2018年8月18日土曜日

日本語は論理的である。述語論理訓読。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
「量化子の関係」により、
① ∃x ∀y 囗(xy)
② ∃x~∃y~囗(xy)
③ ~∀x∃y~囗(xy)
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(01)により、
(02)
x=人
y=人
囗=愛す
であるとして、
① ∃x ∀y 愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
② ∃x~∃y~愛(xy)=ある人が愛さない人はゐない。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
(03)
① ∃x ∀y 愛(xy)
② ∃x~∃y~愛(xy)
③ ~∀x∃y~愛(xy)
といふ「関係」を、説明する上で都合が良いため、「取税人」について、引用すると、次の通りである。
(04)
これらの取税人たちはユダヤ人であって、しかも異邦人(ローマ人)の政府につかえており、民衆を搾取したので、人々により罪人、遊女、異邦人と一緒に考えられた。しかし、主イエスは取税人の友であられた。たとえばマタイやザアカイ等の取税人を愛されたことが福音書に記されている(日本基督教団出版局、聖書辞典、1961年、515頁改)。
従って、
(05)
2000年前の、ユダヤ人社会にあって、「嫌われ者の最たる者」が、「取税人」であったにも拘らず、イエスだけは、そのやうな「取税人」をも愛された。
といふことになる。
従って、
(06)
x=2000年前のユダヤ人
y=2000年前のユダヤ人
であるとして、
① ∃x ∀y 愛(xy)=ある人(イエス)は(取税人を含む)すべての人を愛す。
② ∃x~∃y~愛(xy)=ある人(イエス)が愛さない人は(、たとえ、取税人であっても)ゐない。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=(イエスを含む)すべての人がある人を(、たとへば、取税人を)を愛さない。といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(02)(06)により、
(07)
もう一度、確認すると、
① ∃x ∀y 愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
② ∃x~∃y~愛(xy)=ある人が愛さない人はゐない。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
であるものの、この場合、「左辺」である、
① ∃x ∀y 愛(xy)
② ∃x~∃y~愛(xy)
③ ~∀x∃y~愛(xy)
といふ「論理式」が、「非論理的」である。といふことは、有り得ない。
従って、
(07)により、
(08)
① ∃x ∀y 愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
② ∃x~∃y~愛(xy)=ある人が愛さない人はゐない。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
といふ「等式」の「右辺」である、
①             ある人はすべての人を愛す。
②             ある人が愛さない人はゐない。
③             すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
といふ「日本語」が「非論理的な言語」である。といふことは、有り得ない。
然るに、
(09)
論理思考から連想される、「論理学」は哲学、数学、計算機科学等の一部となる学問分野である。― 中略 ―、これら学問的な文脈からは、「論理的」という表現や「論理的思考」が何かは規定されておらず、これらは学術用語であるとは認められない。学問的な意味での論理は、日常的に使われる論理のイメージとは異なったものであることは、広く指摘されている(ウィキペディア)。
それ故、
(10)
「英語やフランス」は「論理的な言語」であって、「日本語」は「非論理的な言語」である。と言はれるとき、何を以て、「論理的」であるとか、「非論理的」である。と言ふのかが、私には、分からない。
然るに、
(11)
(a)
1   (1)   ∃x∀y囗(xy) A
 2  (2)     ∀y囗(ay) A
 2  (3)       囗(ab) 2UE
  4 (4)    ∃y~囗(ay) A
   5(5)      ~囗(ab) A
 2 5(6)囗(ab)&~囗(ab) 35&I
 24 (7)囗(ab)&~囗(ab) 456EE
 2  (8)   ~∃y~囗(ay) 47RAA
 2  (9) ∃x~∃y~囗(xy) 8EI
1   (ア) ∃x~∃y~囗(xy) 129EE
(b)
1   (1) ∃x~∃y~囗(xy)  A
 2  (2)   ~∃y~囗(ay)  A
  3 (3)      ~囗(ab)  A
    3 (4)    ∃y~囗(ay)  3EI
 23 (5)   ~∃y~囗(ay)&
           ∃y~囗(ay)  24&I
 2  (6)     ~~囗(ab)  35RAA
 2  (7)       囗(ab)  6DN
1   (8)       囗(ab)  127EE
1   (9)     ∀y囗(ay)  8UI
1   (ア)   ∃x∀y囗(xy)  9EI
(12)
(a)
1   (1)   ∃x∀y囗(xy) A
 2  (2)     ∀y囗(ay) A
 2  (3)       囗(ab) 2UE
  4 (4)  ∀x∃y~囗(xy) A
  4 (5)    ∃y~囗(ay) 4UE
   6(6)      ~囗(ab) A
  4 (7)      ~囗(ab) 566EE
 24 (8)囗(ab)&~囗(ab) 37&I
 2  (9) ~∀x∃y~囗(xy) 48RAA
1   (ア) ~∀x∃y~囗(xy) 129EE
(b)
1    (1)~∀x∃y~囗(xy)  A
 2   (2) ~∃x∀y囗(xy)  A
  3  (3)    ∀y囗(ay)  A
  3  (4)  ∃x∀y囗(xy)  3EI
 23  (5) ~∃x∀y囗(xy)&
          ∃x∀y囗(xy)  24&I
 2   (6)   ~∀y囗(ay)  35RAA
   7 (7)  ~∃y~囗(ay)  A
    8(8)     ~囗(ab)  A
    8(9)   ∃y~囗(ay)  8EI
   78(ア)  ~∃y~囗(ay)&
           ∃y~囗(ay)  79&I
   7 (イ)    ~~囗(ab)  8アRAA
   7 (ウ)      囗(ab)  イDN
   7 (エ)    ∀y囗(ay)  ウUI
 2 7 (オ)   ~∀y囗(ay)&
            ∀y囗(ay)  6エ&I
 2   (カ) ~~∃y~囗(ay)  7オRAA
 2   (キ)   ∃y~囗(ay)  カDN
 2   (ク) ∀x∃y~囗(xy)  キUI
12   (ケ)~∀x∃y~囗(xy)&
         ∀x∃y~囗(xy)  1ク&I
1    (コ)~~∃x∀y囗(xy)  2ケRAA
1    (サ)  ∃x∀y囗(xy)  コDN
従って、
(01)(11)(12)により、
(13)
① ∃x ∀y 囗(xy)
② ∃x~∃y~囗(xy)
③ ~∀x∃y~囗(xy)
に於いて、
①=②=③ である。
といふ、「量化子の関係」は、「述語論理学的」である。
従って、
(02)(13)により、
(14)
x=人
y=人
囗=愛す
であるとして、
① ∃x ∀y 愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
② ∃x~∃y~愛(xy)=ある人が愛さない人はゐない。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
といふ、ことからすれば、
① ある人はすべての人を愛す。
② ある人が愛さない人はゐない。
③ すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
といふ「日本語」は、「述語論理学的」である。
(15)
① ∃x ∀y 愛(xy)
② ∃x~∃y~愛(xy)
③ ~∀x∃y~愛(xy)
といふ「述語論理」を、
① ある人はすべての人を愛す。
② ある人が愛さない人はゐない。
③ すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
といふ風に「読む」、「読み方」は、「E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年」他に載ってゐるわけではない。
(16)
① ある人はすべての人を愛す。
② ある人が愛さない人はゐない。
③ すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
といふ風に「読む」のは、
① ∃x ∀y 愛(xy)
② ∃x~∃y~愛(xy)
③ ~∀x∃y~愛(xy)
といふ「述語論理」の「意味」を考へると、『日本語』では、そのやうな『語順』になるので、私自身は、そのやうに読んでゐる。
(17)
④ 無親不愛其子=親にして其の子を愛せ不るは無し。
といふ「漢文訓読」であれば、
④ 二 一レ 二 一
といふ「返り点」が付くやうに、
② ∃x~∃y~愛(xy)=ある人が愛さない人はゐない。
といふ「述語論理訓読」であれば、
② レ 二- レ 一
といふ「返り点」が、付くことになる。
平成30年08月18日、毛利太。

2018年8月17日金曜日

象は鼻が長い(ので、耳が長い兎は象ではない)。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
1     (1)象は鼻が長い。 A
1     (〃)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1     (〃)すべてのxについて、xが象であるならば、有るyはxの鼻であって長く、すべてのzについてzがxの鼻でないならば、zは長くない。 A
 2    (2)兎は耳が長い。 A
 2    (〃)∃x{兎x&∃z(耳zx&長z&~鼻zx)}         A
 2    (〃)有るxは兎であって、有るzはxの耳であって長く、zはxの鼻ではない。 A
1     (3)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
  4   (4)   兎a&∃z(耳za&長z&~鼻za)          A
  4   (5)      ∃z(耳za&長z&~鼻za)          4&E
   6  (6)         耳ca&長c&~鼻ca           A
    7 (7)∃x(兎x&象x)                      A
     8(8)   兎a&象a                       A
     8(9)      象a                       8&E
1    8(ア)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  39MPP
1    8(イ)                 ∀z(~鼻za→~長z)  ア&E
1    8(ウ)                    ~鼻ca→~長c   イUE
   6  (エ)                ~鼻ca           6&E
1  6 8(オ)                         ~長c   ウエMPP
   6  (カ)             長c                6&E
1  6 8(キ)                      長c&~長c   オカ&I
1  67 (ク)                      長c&~長c   78キEE
1 4 7 (ケ)                      長c&~長c   56クEE
12  7 (コ)                      長c&~長c   24ケEE
12    (サ)~∃x(兎x& 象x)                    7コRAA
12    (シ)∀x~(兎x& 象x)                    サ量化子の関係
12    (ス)  ~(兎a& 象a)                    シUE
12    (セ)   ~兎a∨~象a                     ス、ド・モルガンの法則
12    (ソ)    兎a→~象a                     セ含意の定義
12    (タ) ∀x(兎x→~象x)                    ソUI
12    (〃)すべてのxについて、xが兎ならば、xは象ではない。      ソUI
  4   (チ)    兎a                         4&I
124   (ツ)       ~象a                     ソチMPP
124   (テ)    兎a&~象a                     チツ&I
124   (ト) ∃x(兎x&~象x)                    テEI
12    (ナ) ∃x(兎x&~象x)                    24トEE
12    (〃)有るxは兎であって象ではない。                24トEE
12    (〃)兎は象ではない。                       24トEE
従って、
(01)により、
(02)
① 象は鼻が長い。
といふ「前提」から、
② 兎は象ではない。
といふ「結論」を得るためには、
① 象は鼻が長い。
といふ「命題」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ風に、書かなければ、ならない。
従って、
(02)により、
(03)
『論理学』といふ「観点」から、
① 象は鼻が長い。
といふ「日本語」を論じるのであれば、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」を、避けて通るべきではない。
然るに、
(04)
伝統論理学を速水滉『論理学』(016)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂『現代論理学入門』(062)を参照することとする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
(05)
「象は鼻が長い」はどれが主辞がわからないから、このままでは非論理的な構造の文である、と言う人がもしあった(沢田『入門』二九ペ)とすれば、その人は旧『論理学』を知らない人であろう、これはこのままで、
 象は 鼻が長い。 
 主辞 賓辞
とはっきりしている。速水式に簡単明リョウである。意味も、主辞賓辞の関係も小学生にもわかるはずの文である。これに文句をつけたり、それを取り次いだりするのは、人々が西洋文法に巻かれていることを語る以外の何物でもない。このまま定理扱いしてもよろしい。そしてこの定理の逆は真でないとして、鼻の長いもの例に、鞍馬山の天狗だの、池の尾の禅珍内供だのを上げるのも一興だろう。それでおしまいである。
(三上章、日本語の論理、1963年、13・14頁)。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
三上章先生は、「新興の記号論理学の方は、沢田充茂『現代論理学入門』(062)を参照することとする」一方で、
① 象は鼻が長い=
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「論理式」に関しては、それを、論じることが無い。
平成30年08月17日、毛利太。

2018年8月16日木曜日

「論理的」=「正しく言い換へること」。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
① AはBを愛する(A loves B)。
といふ「能動態」は、
② BはAに愛される(B is loved by A)。
といふ「受動態」に、「言ひ換へ」ることが出来る。
従って、
(02)
① ある人は、すべての人を愛してゐる。
といふ「能動態」は、
② すべての人は、ある人に愛されてゐる。
といふ「受動態」に、「言ひ換へ」ることが出来る。
然るに、
(03)
② すべての人(全人類)が、それぞれの家族や、恋人や、友人等に、愛されてゐる。としても、
① ある(一人の)人が、すべての人(全人類)を愛してゐる。といふことには、ならない。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ある人はすべての人を愛す。
② すべての人はある人に愛される。
に於いて、
① → ② であるが、
② → ① ではない。
従って、
(04)により、
(05)
x=人
y=人
であるとして、
① ∃x∀y愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
② ∀y∃x愛(xy)=すべての人はある人に愛される。
に於いて、
① → ② であるが、
② → ① ではない。
然るに、
(06)
1 (1)∃x∀y愛(xy)  A
 2(3)    愛(ab)  2UE
 2(4)  ∃x愛(xb)  3EI
1 (5)  ∃x愛(xb)  124EE
1 (6)∀y∃x愛(xy)  5UI
  (7)∃x∀y愛(xy)→
     ∀y∃x愛(xy)  16CP
(07)
1 (1)∀y∃x愛(xy)  A
1 (2)  ∃x愛(xb)  1UE
 3(3)    愛(ab)  A
 3(4)  ∀y愛(ay)  3UI?
>
 3(5)∃x∀y愛(xy)  4EI
1 (6)∃x∀y愛(xy)  235EE
  (7)∀y∃x愛(xy)→
     ∃x∀y愛(xy)  16CP
然るに、
(08)
UIを適用するに先立って、結論が依存している仮定のそれにも、「b」が現われないということを確かめておくべきなのである。
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、139頁改)
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① ∃x∀y愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
② ∀y∃x愛(xy)=すべての人はある人に愛される。
に於いて、
① → ② であるが、
② → ① ではない。
といふことは、「述語論理」であっても、さうである。
然るに、
(10)
「二重否定、量化子の関係」により、
① ∃x∀y愛(xy)=~~∃x∀y愛(xy)=~∀x~∀y愛(xy)=~∀x∃y~愛(xy)
でなければ、ならない。
従って、
(10)により、
(11)
①   ∃x∀y  愛(xy)=あるxはすべてのyを愛す。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべてのxがあるyを愛さない。といふことはない。
に於いて、
①=③ でなければ、ならない。
然るに、
(12)
(a)
1   (1)   ∃x∀y愛(xy) A
 2  (2)     ∀y愛(ay) A
 2  (3)       愛(ab) 2UE
  4 (4)  ∀x∃y~愛(xy) A
  4 (5)    ∃y~愛(ay) 4UE
   6(6)      ~愛(ab) A
  4 (7)      ~愛(ab) 566EE
 24 (8)愛(ab)&~愛(ab) 37&I
 2  (9) ~∀x∃y~愛(xy) 48RAA
1   (ア) ~∀x∃y~愛(xy) 129EE
(b)
1    (1)~∀x∃y~愛(xy)  A
 2   (2) ~∃x∀y愛(xy)  A
  3  (3)    ∀y愛(ay)  A
  3  (4)  ∃x∀y愛(xy)  3EI
 23  (5) ~∃x∀y愛(xy)&
          ∃x∀y愛(xy)  24&I
 2   (6)   ~∀y愛(ay)  35RAA
   7 (7)  ~∃y~愛(ay)  A
    8(8)     ~愛(ab)  A
    8(9)   ∃y~愛(ay)  8EI
   78(ア)  ~∃y~愛(ay)&
           ∃y~愛(ay)  79&I
   7 (イ)    ~~愛(ab)  8アRAA
   7 (ウ)      愛(ab)  イDN
   7 (エ)    ∀y愛(ay)  ウUI
 2 7 (オ)   ~∀y愛(ay)&
            ∀y愛(ay)  6エ&I
 2   (カ) ~~∃y~愛(ay)  7オRAA
 2   (キ)   ∃y~愛(ay)  カDN
 2   (ク) ∀x∃y~愛(xy)  キUI
12   (ケ)~∀x∃y~愛(xy)&
         ∀x∃y~愛(xy)  1ク&I
1    (コ)~~∃x∀y愛(xy)  2ケRAA
1    (サ)  ∃x∀y愛(xy)  コDN
cf.
 2   (6)   ~∀y愛(ay)  35RAA
 2   (7)   ∃y~愛(ay)  量化子の関係
 2   (8) ∀x∃y~愛(xy)  7UI
従って、
(11)(12)により、
(13)
x=人
y=人
であるとして、
①   ∃x∀y  愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
に於いて、
①=③ である。
従って、
(14)
① 人の子(イエス・キリスト)がすべての人を愛す。といふのであれば、
③ すべての人がある人(取税人や罪人)を愛さない。といふことはない。といふことになり、
③ すべての人がある人(罪人や取税人)を愛さない。といふことはない。といふのであれば、例へば、
① イエス・キリスト(人の子)はすべての人を愛す。といふ、ことになる。
然るに、
(15)
①   ∃x∀y  愛(xy)=ある人はすべての人を愛す。
③ ~∀x∃y~愛(xy)=すべての人がある人を愛さない。といふことはない。
に於いて、
①=③ であるといふことは、
① を「言ひ換へ」ると、③ になり、
③ を「言ひ換へ」ると、① になる。
といふ、ことである。
然るに、
(16)
この観点からすれば、論理法則に従うという意味で「論理的」ということはすなはち「正しく言い換える」ことに他ならず、論理学とは言い換えの規則集に他ならない(大森荘蔵、思考と論理、2015年、130頁)。との、ことである。
従って、
(16)により、
(17)
「論理的な言語」とは、「正しく言ひ換へることが出来る言語」である。といふ、ことになる。
平成30年08月16日、毛利太。

2018年8月12日日曜日

日本語(漢文訓読を含む)は「論理的」である。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
(a)
1  (1)  ∃x(Fx&~Gx)  A
 2 (2)    (Fa&~Ga)  A
  3(3) ∀x~(Fx&~Gx)  A
  3(4)   ~(Fa&~Ga)  3UE
 23(5)    (Fa&~Ga)&
         ~(Fa&~Ga)  24&I
 2 (6)~∀x~(Fx&~Gx)  35RAA
1  (7)~∀x~(Fx&~Gx)  126EE
1  (8)~∀x(~Fx∨~~Gx) 7ド・モルガンの法則
1  (9)~∀x(~Fx∨ Gx)  8DN
1  (ア) ~∀x(Fx→ Gx)  9含意の定義
(b)
1  (1) ~∀x(Fx→ Gx)  A
1  (2)~∀x(~Fx∨ Gx)  1含意の定義
1  (3)~∀x~(Fx&~Gx)  2ド・モルガンの法則
 4 (4)   ~(Fa&~Ga)  A
 4 (5) ∀x~(Fx&~Gx)  4UI
14 (6)~∀x~(Fx&~Gx)&
       ∀x~(Fx&~Gx)  35&I
1  (7)  ~~(Fa&~Ga)  46RAA
1  (8)    (Fa&~Ga)  7DN
1  (9)  ∃x(Fx&~Gx)  8EI
従って、
(01)により、
(02)
①   ∃x(Fx&~Gx)
② ~∀x(Fx→ Gx)
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
③ ~∃x(Fx&~Gx)
④  ∀x(Fx→ Gx)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
F=英語ができる
G=数学ができる
であるとして、
①   ∃x(英語ができるx&~数学ができるx)
② ~∀x(英語ができるx→ 数学ができるx)
③ ~∃x(英語ができるx&~数学ができるx)
④  ∀x(英語ができるx→ 数学ができるx)
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(04)により、
(05)
x=人
であるとして、
① ある人は、英語はできるが、    数学ができない。
② 誰もが、  英語ができるならば、数学もできる。といふわけではない。
③ 英語ができる人が、数学ができない。といふことはない。
④ 誰であっても、  英語ができるならば、数学もできる。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(06)
先日、数人の大学の先生と話をしているときに、ある先生が「うちの学生が、英語ができるようになったら、数学ができるようになった」と言った。これは、暗に、英語ができるようになった、だから数学ができるようになったと言いたいのである。言い換えれば、日本語では論理的に考えられないから、数学ができない、と言いたいのである。私は「またか」と思った。日本人は、この大学の先生のように、日本語は非論理的であり、論理的思考に向いていないと思い込んでいる人が多い。
(月本洋、日本語は論理的である、2009年、2頁)
従って、
(01)~(06)により、
(07)
月本先生は、
①   ∃x(Fx&~Gx)=ある人は、英語はできるが、    数学ができない。
② ~∀x(Fx→ Gx)=誰もが、  英語ができるならば、数学もできる。といふわけではない。
といふ風に、思はれてゐて、
ある先生は、敢へて言へば、
③ ~∃x(Fx&~Gx)=英語ができる人が、数学ができない。といふことはない。
④  ∀x(Fx→ Gx)=誰であっても、  英語ができるならば、数学もできる。
といふ風に、思はれてゐる。
然るに、
(08)
①   ∃x(Fx&~Gx)=ある人は、英語はできるが、    数学ができない。
② ~∀x(Fx→ Gx)=誰もが、  英語ができるならば、数学もできる。といふわけではない。
③ ~∃x(Fx&~Gx)=英語ができる人が、数学ができない。といふことはない。
④  ∀x(Fx→ Gx)=誰であっても、  英語ができるならば、数学もできる。
といふ「等式」に於いて、「左辺」が「論理的」であるのに、「右辺」が「非論理的」である。
といふことは、有り得ない。
従って、
(08)により、
(09)
少なくとも、
① ある人は、英語はできるが、    数学ができない。
② 誰もが、  英語ができるならば、数学もできる。といふわけではない。
③ 英語ができる人が、数学ができない。といふことはない。
④ 誰であっても、  英語ができるならば、数学もできる。
といふ「日本語」が、「非論理的」である。
といふことは、有り得ない。
(10)
(c)
1(1)~∀x{  弟子x→ ~∃y(師匠yx&~及yx)} A
1(2)∃x~{  弟子x→ ~∃y(師匠yx&~及yx)} 1量化子の関係
1(3)∃x~{ ~弟子x∨ ~∃y(師匠yx&~及yx)} 2含意の定義
1(4)∃x {~~弟子x&~~∃y(師匠yx&~及yx)} 3ド・モルガンの法則
1(5)∃x {  弟子x&  ∃y(師匠yx&~及yx)} 4DN
1(〃)あるxは弟子であって、あるyはxの師匠であって、yはxに及ばない。
(d)
1(1)∃x { 弟子x& ∃y(師匠yx&~及yx)} A
1(2)∃x {~~弟子x&∃y(師匠yx&~及yx)} 1DN
1(3)∃x~{~弟子x∨~∃y(師匠yx&~及yx)} 2ドモルガンの法則
1(4)∃x~{ 弟子x→~∃y(師匠yx&~及yx)} 3含意の定義
1(5)~∀x{ 弟子x→~∃y(師匠yx&~及yx)} 4量化子の関係
1(〃)すべてのxについて、xが弟子ならば、あるyはxの師匠であって、yはxに及ばない。といふ、そのやうなyが存在しない。といふことはない。
従って、
(10)により、
(11)
⑤ すべてのxについて、xが弟子ならば、あるyはxの師匠であって、yはxに及ばない。といふ、そのやうなyが存在しない。といふことはない。
⑥ あるxは弟子であって、あるyはxの師匠であって、yはxに及ばない。
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(11)により、
(12)
⑤ 弟子不必不如師=
⑤ 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
⑥ 弟子[必〔(師)如〕不]不=
⑥ 弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず=
⑥ 弟子の方が師匠よりも優れている場合もある(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1973年、56頁改)。
に於いて、
⑤=⑥ である。
といふことは、「論理的」である。
(13)
⑦ 不入虎穴不得虎子=
⑦ 不〔入(虎穴)〕不〔得(虎子)〕⇒
⑦ 〔(虎穴)入〕不〔(虎子)得〕不=
⑦ 〔(虎穴に)入ら〕ずんば〔(虎子を)得〕ず=
⑦ 〔(危険を)侵さ〕なければ〔(成功は)得られ〕ない。
(後漢書、班超伝)
然るに、
(14)
⑦ 危険を侵さなければ、成功は得られない。
の「対偶(Contraposition)」は、
⑧ 成功を得るためには、危険を侵す必要がある。
である。
然るに、
(15)
⑦ 危険を侵さなければ、成功は得られない。
⑧ 成功を得るためには、危険を侵す必要がある。
といふ「日本語」に於いて、
⑦=⑧ である。
といふことは、「論理学」を学ばなくとも、「そんなことは、初めから、当然」である。
然るに、
(16)
⑤ 弟子不[必不〔如(師)〕]=弟子は必ずしも師に如かずんばあらず(弟子の方が師匠よりも優れている場合もある)。
⑦ 不〔入(虎穴)〕不〔得(虎子)〕=虎穴に入らずんば虎子を得ず(成功を得るためには、危険を侵す必要がある)。
⑧ 無{人不[道〔看(花)而回〕]}=人にして花を看て回ると道はざるは無し(全ての人は、花を看て回ると道ふ)。
のやうな「言ひ方」は、「論理的」であるに、違ひない。
然るに、
(17)
明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考えを身につけました。漢文は論理的な構文をたくさん含んでいるからです。
(山下正男、論理的に考えること、1985年、ⅲ)
従って、
(16)(17)により、
(18)
「漢文・訓読」は、
⑤ 弟子は必ずしも師に如かずんばあらず(弟子の方が師匠よりも優れている場合もある)。
⑦ 虎穴に入らずんば虎子を得ず(成功を得るためには、危険を侵す必要がある)。
⑧ 人にして花を看て回ると道はざるは無し(すべての人は、花を看て回ると道ふ)。
のやうな、「論理的な構文」が「多用」されてゐるにも拘らず、「日本語は、非論理的な言語である。」といふことは、有り得ない。
(19)
例へば、
⑨ ~∃x{人x&~(死x)}=
⑨ ∀x~{人x&~(死x)}=
⑨ ∀x{~人x∨~~(死x)}=
⑨ ∀x{人x→死x}=すべてのxについて、xが人ならば、xは死ぬ=
⑨ 不有{而不(死)}=人にして死せざるは、有らず。
がさうであるように、「漢文」は、「述語論理」に、似てゐる。
平成30年08月12日、毛利太。

2018年8月11日土曜日

昨日の「記事」を補足します。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。さい。

(01)
1  (1)∀x{(数学x∨英語x)←→理学部x} A
 2 (2)∃x(理学部x&~英語x)       A
1  (3)   (数学a∨英語a)←→理学部a  1UE
1  (4)理学部a→(数学a∨英語a)&
           (数学a∨英語a)→理学部a 3Df.←→
1  (5)   理学部a→(数学a∨英語a)   4&E
  6(6)   理学部a&~英語a        A
  6(7)   理学部a             6&E
1 6(8)         数学a∨英語a    57MPP
1 6(9)         英語a∨数学a    8交換の法則
1 6(ア)       ~~英語a∨数学a    9DN
1 6(イ)        ~英語a→数学a    ア含意の定義
  6(ウ)        ~英語a         6&E
1 6(エ)             数学a    イウMPP
1 6(オ)        数学a&~英語a    ウエ&I
1 6(カ)     ∃x(数学x&~英語x)   オEI
12 (キ)     ∃x(数学x&~英語x)   26カEE
12 (〃)ある人は、数学はできるが、英語はできない。
12 (ク)   ~~∃x(数学x&~英語x)   キDN
12 (ケ)   ~∀x~(数学x&~英語x)   ク量化子の関係
12 (コ)   ~∀x(~数学x∨~~英語x)  ケ、ド・モルガンの法則
12 (サ)   ~∀x(~数学x∨ 英語x)   コDN
12 (シ)    ~∀x(数学x→ 英語x)   サ含意の定義
12 (〃)誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x{(数学x∨英語x)←→理学部x}。然るに、
② ∃x(理学部x&~英語x)。従って、
③ ~∀x(数学x→ 英語x)。
といふ「推論」は「正しい」。
従って、
(02)により、
(03)
① ∀x{(数学x∨英語x)←→理学部x}。然るに、
② ∃x(理学部x&~英語x)。従って、
③ ~∀x(数学x→ 英語x)。
といふ「推論」、すなはち、
①「すべてのxについて、xが数学ができるか、xが英語ができるならば、そのときに限ってxは理学部である。」然るに、
②「あるxは理学部であって、英語ができない。」従って、
③「すべてのxについて、xが数学ができるならば、xは英語ができる。といふわけではない。」
といふ「推論」は「正しい」。
従って、
(03)により、
(04)
①「すべてのxについて、xが数学ができるか、xが英語ができるならば、そのときに限ってxは理学部である。」然るに、
②「あるxは理学部であって、英語ができない。」従って、
③「すべてのxについて、xが数学ができるならば、xは英語ができる。といふわけではない。」
といふ「推論」、すなはち、
①「数学か英語ができるならば、そのときに限って、全員が理学部である。」然るに、
②「理学部であるが、英語ができない人がゐる。」従って、
③「誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。」
といふ「推論」は「正しい」。
然るに、
(05)
①「数学か英語ができるのは、理学部の学生だけだ。」
といふことは、
①「数学か英語ができるならば、全員が理学部の学生だ。」
といふことである。
従って、
(05)により、
(06)
①「数学か英語ができるのは、理学部の学生だけだ。」然るに、
②「理学部であるが、英語ができない人がゐる。」 従って、
③「誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。」
といふ「推論」は、
①「数学か英語ができるならば、そのときに限って、全員が理学部である。」然るに、
②「理学部であるが、英語ができない人がゐる。」従って、
③「誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。」
といふ「推論」に、相当する。
然るに、
(07)
①「数学か英語ができるならば、そのときに限って、全員が理学部である。」然るに、
②「理学部であるが、英語ができない人がゐる。」従って、
③「誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。」
といふ「推論」は、
① ∀x{(数学x∨英語x)←→理学部x}。然るに、
② ∃x(理学部x&~英語x)。従って、
③ ~∀x(数学x→ 英語x)。
といふ「推論」ではなく、
① ∀x{(数学x∨英語x)→理学部x}。然るに、
② ∃x(理学部x&~英語x)。従って、
③ ~∀x(数学x→ 英語x)。
といふ「推論」に、相当する。
然るに、
(08)
① A=2+3 然るに、
② B=A×2 従って、
③ B=10
といふ「計算」は、「正しく」、
その一方で、
① A=2×3 然るに、
② B=A×2 従って、
③ B=10
といふ「計算」は、「正しくない」。
cf.
{(2+3)×2=5×2=10}=10
{(2×3)×2=6×2=12}≠10
然るに、
(09)
この書物の目的は、学生に「命題計算」と「述語計算」の有効な知識を与えることである。ある計算に同意しないことだけではだめなのである。同意しないのなら、どこが間違っているのかが、言われなければならないのである。
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、序文・50頁改)
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
① A=2×3 然るに、
② B=A×2 従って、
③ B=10
といふ「計算」が、「正しくない」やうに、
① ∀x{(数学x∨英語x)→理学部x}。然るに、
② ∃x(理学部x&~英語x)。従って、
③ ~∀x(数学x→ 英語x)。
といふ「計算」は、「正しくない」。
従って、
(02)(04)(06)(10)により、
(11)
① A=2×3 然るに、
② B=A×2 従って、
③ B=10
といふ「計算」が、「正しくない」やうに、
①「数学か英語ができるのは、理学部の学生だけだ。」然るに、
②「理学部であるが、英語ができない人がゐる。」 従って、
③「誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。」
といふ「推論」は、「正しくない」。
従って、
(11)により、
(12)
①「数学か英語ができるのは、理学部の学生だけだ。」然るに、
②「理学部であるが、英語ができない人がゐる。」 従って、
③「誰もが、数学ができるならば、英語もできる。といふわけではない。」
といふ「推論」は、「正しくない」のは、実際には、
① A=2×3 然るに、
② B=A×2 従って、
③ B=10
といふ「計算」は、「正しくない」にも拘らず、
① A=2×3 を、
① A=2+3 と、「読み違へ」て、
③ B=(2+3)×2=5×2=10
といふ「計算マチガイ」をしてゐる場合に、「譬へる」ことが、出来る。
平成30年08月11日、毛利太。

2018年8月10日金曜日

「論理学」の「難問」を作ってみました。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
〔問題〕
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」 然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」は、『間違ひ』であるが、その「理由」を述べよ。
(昭和堂、論理学の基礎、1994年、148頁改)
(02)
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」   といふことは、
①「国語か英語ができるのは文学部の学生以外ではない。」といふことである。
然るに、
(03)
①「国語か英語ができるのは文学部の学生以外ではない。」といふことは、
①「国語か英語ができるのはみんな文学部の学生である。」といふことである。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」 然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」は、
①「国語か英語ができるのはみんな文学部の学生だ。」然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」に等しい。
然るに、
(05)
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)←→文学部x} A
 2 (2)∃x(文学部x&~英語x)       A
1  (3)   (国語a∨英語a)←→文学部a  1UE
1  (4)文学部a→(国語a∨英語a)&
           (国語a∨英語a)→文学部a 3Df.←→
1  (5)   文学部a→(国語a∨英語a)   4&E
  6(6)   文学部a&~英語a        A
  6(7)   文学部a             6&E
1 6(8)         国語a∨英語a    57MPP
1 6(9)         英語a∨国語a    8交換の法則
1 6(ア)       ~~英語a∨国語a    9DN
1 6(イ)        ~英語a→国語a    ア含意の定義
  6(ウ)        ~英語a        6&E
1 6(エ)             国語a    イウMPP
1 6(オ)        国語a&~英語a    ウエ&I
1 6(カ)     ∃x(国語x&~英語x)   オEI
12 (キ)     ∃x(国語x&~英語x)   26カEE
12 (〃)あるxは国語はできるが、英語ができない。
12 (〃)国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。
従って、
(05)により、
(06)
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)←→文学部x} A
 2 (2)∃x(文学部x&~英語)        A
といふ「仮定」により、
12 (キ)     ∃x(国語x&~英語x)   26カEE
12 (〃)あるxは国語はできるが、英語ができない。
12 (〃)国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。
といふ「結論」を、得ることが、出来る。
従って、
(05)(06)により、
(07)
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)←→文学部x} A
といふ「仮定」ではなく、
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)→ 文学部x} A  
といふ「仮定」からは、
12 (キ)     ∃x(国語x&~英語x)   26カEE
12 (〃)あるxは国語はできるが、英語ができない。
12 (〃)国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。
といふ「結論」を、得ることは、「計算マチガイ」であるため、出来ない。
然るに、
(08)
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)←→文学部x} A
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)→ 文学部x} A 
といふ「論理式」は、それぞれ、
①「すべてのxについて、xが国語できるか、xが英語できるならば、そのときに限ってxは文学部である。」
①「すべてのxについて、xが国語できるか、xが英語できるならば、xは文学部である。」
といふ「意味」である。
然るに、
(09)
①「すべてのxについて、xが国語できるか、xが英語できるならば、そのときに限ってxは文学部である。」
①「すべてのxについて、xが国語できるか、xが英語できるならば、xは文学部である。」
といふことは、それぞれ、
①「国語か英語ができるならば、そのときに限ってみんな文学部の学生だ。」
①「国語か英語ができるのはみんな文学部の学生だ。」
といふことである。
従って、
(02)(03)(09)により、
(10)
①「すべてのxについて、xが国語できるか、xが英語できるならば、xは文学部である。」
といふことは、
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」
といふことである。
従って、
(04)(08)(10)により、
(11)
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」 然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」に於ける、
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」
といふ「仮定」は、
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)←→文学部x} A
といふ「仮定」ではなく、
1  (1)∀x{(国語x∨英語x)→ 文学部x} A  
といふ「仮定」に、「等しい」
従って、
(07)(11)により、
(12)
① ∀x{(国語x∨英語x)→ 文学部x}=
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」
といふ「仮定」からは、
12 (キ)     ∃x(国語x&~英語x)   26カEE
12 (〃)あるxは国語はできるが、英語ができない。
12 (〃)国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。
といふ「結論」を、得ることは、「計算マチガイ」であるため、出来ない。
従って、
(01)(12)により、
(13)
①「国語か英語ができるのは文学部の学生だけだ。」 然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」は、『間違ひ』である。
すなはち、
(14)
①「∀x{(国語x∨英語x)→ 文学部x}。」  然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」は、『間違ひ』である。
然るに、
(06)により、
(15)
①「∀x{(国語x∨英語x)←→文学部x}。」  然るに。
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」の場合は、『間違ひ』ではない。
従って、
(08)(09)(15)により、
(16)
①「国語か英語ができるならば、そのときに限ってみんな文学部の学生だ。」然るに、
②「文学部の学生のなかに英語ができない者がいる。」          従って、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」
といふ「推論」は、『間違ひ』ではない。
(17)
①「国語か英語ができるならば、そのときに限ってみんな文学部の学生だ。」といふのであれば、
①「文学部の学生であるならば、国語か英語ができる。」といふことになる。
然るに、
(18)
①「文学部の学生であるならば、英語か国語ができる。」として、
②「文学部の学生のなかに、  英語ができない者がいる。」のであれば、
③「文学部の学生のなかには、 国語ができて英語ができないものがいる。」
然るに、
(19)
③「文学部の学生のなかには、 国語ができて英語ができないものがいる。」といふのであれば、
③「国語ができるものはみんな英語ができる。というわけではない。」   といふことになる。
平成30年08月10日、毛利太。

2018年8月6日月曜日

「固有名(Proper name)」を用いて次の論証の健全性を確立せよ。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
固有名(Proper name)を用いて次の「論証の健全性」を確立せよ。
プリンピキア・マテマティカの著者は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルである。
然るに、ドナルド・トランプは、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドではないし、バートランド・ラッセルでもない。
故に、 ドナルド・トランプは、プリンキピア・マテマティカの著者ではない。
(02)
〔解答〕
PM=プリンキピア・マテマティカの著者
 r=バートランド・ラッセル
 w=アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
 t=ドナルド・トランプ米国大統領
であるとして、
1     (1)∀x{PMx→(x=w)∨(x=r)}  A
 2    (2)       (t≠w)&(t≠r)   A
  3   (3)   PMt               A
1     (4)   PMt→(t=w)∨(t=r)   1UE
1 3   (5)       (t=w)∨(t=r)   34MPP
   6  (6)       (t=w)         A
 2    (7)       (t≠w)         2&E
 2 6  (8)       (t=w)&(t≠w)   67&I
   6  (9)     ~{(t≠w)&(t≠r)}  28RAA
     ア(ア)             (t=r)   A
 2    (イ)             (t≠r)   2&E  
 2   ア(ウ)       (t=r)&(t≠r)   アイ&I
     ア(エ)     ~{(t≠w)&(t≠r)}  2ウRAA
1 3   (オ)     ~{(t≠w)&(t≠r)}  569アEVI
123   (カ)      {(t≠w)&(t≠r)}&
              ~{(t≠w)&(t≠r)}  2オ&I
12    (キ)  ~PMt               3カRAA
12    (〃)ドナルド・トランプ米国大統領はプリンキピア・マテマティカの著者ではない。
従って、
(02)により、
(03)
1     (1)すべてのxについて、xがプリンキピア・マテマティカの著者であるならば、xはアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドか、バートランド・ラッセルである。 A
 2    (2)ドナルド・トランプ米国大統領は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドではないし、バートランド・ラッセルでもない。 A
12の故に、(キ)ドナルド・トランプ米国大統領はプリンキピア・マテマティカの著者ではない。 3カRAA
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(03)により、
(04)
「プリンピキア・マテマティカの著者は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルである。然るに、ドナルド・トランプ米国大統領は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドではないし、バートランド・ラッセルでもない。故に、ドナルド・トランプ米国大統領はプリンキピア・マテマティカの著者ではない。」といふ「推論」は、「正しい」。
然るに、
(05)
1     (1)∀x{PMx→(x=w)∨(x=r)}  A
 2    (2)       (t≠w)&(t≠r)   A
といふ「仮定」から、
 2    (2)       (t≠w)&(t≠r)   A
といふ「仮定」を「除く」ならば、
12    (キ)  ~PMt               3カRAA
12    (〃)ドナルド・トランプ米国大統領はプリンキピア・マテマティカの著者ではない。
といふ「結論」は、「帰結」しない。
従って、
(01)(05)により、
(06)
① プリンピキア・マテマティカの著者は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルである。
② ドナルド・トランプは、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドではないし、バートランド・ラッセルでもない。
といふ「仮定」から、
② ドナルド・トランプは、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドではないし、バートランド・ラッセルでもない。
といふ「仮定」を「除く」ならば、
③ ドナルド・トランプは、プリンキピア・マテマティカの著者ではない。
といふ「結論」は、「帰結」しない。
然るに、
(07)
① プリンピキア・マテマティカの著者は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルである。
といふ風に、聞けば、我々は直ちに、
③ ドナルド・トランプは、プリンキピア・マテマティカの著者ではない。
といふ風に、思ふことになる。
従って、
(08)
① プリンピキア・マテマティカの著者は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(固有名)とバートランド・ラッセル(固有名)である。
といふ「日本語」は、
② ドナルド・トランプ(固有名)は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(固有名)ではないし、バートランド・ラッセル(固有名)でもない。
といふ「情報」を「含意」する。
平成30年08月06日、毛利太。

問題:ラッセルの「確定記述の理論」を用いて、証明せよ。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』他をお読み下さい。
(01)
5 Using Russell's theory of definite descriptions, establish the soundness of following argument;
(a)The author of "Mein Kampf" died in 1945; Hitler wrote "Mein Kampf"; therefore Hitler died in 1945.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic, First pubished in Great Britain 1965)
5 ラッセルの確定記述の理論を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(a)マイン・カンプの著者は1945年に死んだ。ヒトラーはマイン・カンプを書いた。故にヒトラーは1945年に死んだ。
(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、215頁)
然るに、
(01)により、
(02)
The author of "Mein Kampf" died in 1945.
従って、
(03)
「私の戦ひ」は、『複数の著者による「共著」』ではなく、『一人(the author)による「著作」』である。
従って、
(04)
ヒトラーは「私の戦ひ」を書いた。
といふのではなく、
ヒトラーが「私の戦ひ」を書いた。
とするのが、「正しい」。
従って、
(01)(04)により、
(05)
〔私の解答1〕
1  (1)∃x(私の戦ひx&45年死x)      A
 2 (2)   私の戦ひa&45年死a       A
  3(3)私の戦ひh&∀x(私の戦ひx→x=h)   A
  3(4)      ∀x(私の戦ひx→x=h)  3&E
  3(5)         私の戦ひa→a=h   4UE
 2 (6)   私の戦ひa             2&E
 23(7)               a=h   56MPP
 2 (8)         45年死a       2&E
 23(9)         45年死h       78=E
1 3(ア)         45年死h       129EE
1 3(〃)ヒトラーは1945年に死んだ。
(06)
〔私の解答2〕
1  (1) ∃x(私の戦ひx&45年死x)     A
 2 (2)    私の戦ひa&45年死a      A
  3(3)私の戦ひh&~∃x(私の戦ひx&x≠h) A
  3(4)      ~∃x(私の戦ひx&x≠h) A
  3(5)    ~∃x(~~私の戦ひx&x≠h) 4DN
  3(6)    ~∃x~(~私の戦ひx∨x=h) 5ドモルガンの法則
  3(7)    ~∃x~( 私の戦ひx→x=h) 6含意の定義
  3(8)    ~~∀x( 私の戦ひx→x=h) 7量化子の関係
  3(9)      ∀x( 私の戦ひx→x=h) 8DN1
 2 (イ)          私の戦ひa      2&E
 23(ウ)                a=h  イウMPP
 2 (エ)          45年死a      2&E
 23(オ)          45年死h      ウオ=E
1 3(エ)          45年死h      12オEE
1 3(〃)ヒトラーは1945年に死んだ。
(07)
〔私の解答3〕
1   (1)∃x(私の闘争x&45年死x)               A
 2  (2)   私の闘争a&45年死a                A
  3 (3)∃y{ヒトラーy&私の闘争y&∀x(私の闘争x→x=y)} A
   4(4)   ヒトラーb&私の闘争b&∀x(私の闘争x→x=b)  A
   4(5)               ∀x(私の闘争x→x=b)  4&E
   4(6)                  私の闘争a→a=b   5UE
 2  (7)                  私の闘争a       2&E
 2 4(8)                        a=b   67MPP
   4(9)   ヒトラーb                      4&E
 2 4(ア)   ヒトラーa                      89=E
 2  (イ)         45年死a                2&E
 2 4(ウ)   ヒトラーa&45年死a                アイ&I
 2 4(エ)∃x(ヒトラーx&45年死x)               ウEI
 23 (オ)∃x(ヒトラーx&45年死x)               34エEE
1 3 (カ)∃x(ヒトラーx&45年死x)               12オEE
1 3 (〃)あるxはヒトラーであって1945年に死んだ。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
① ヒトラーが「私の戦ひ」を書いた。
② 私の戦ひh&  ∀x(私の戦ひx→x=h)
③ 私の戦ひh&~∃x(私の戦ひx&x≠h)
④ ∃y{ヒトラーy&私の戦ひy&∀x(私の戦ひx→x=y)}
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(08)により、
(09)
① ヒトラーが「私の戦ひ」を書いた。
②「私の戦ひ」の著者はヒトラーであって、すべてのxについて、xが「私の戦ひ」の著者であるならば、xはヒトラーである。
③「私の戦ひ」の著者はヒトラーであって、ヒトラー以外の、あるxが「私の戦ひ」の著者である、といふことはない。
④ あるyはヒトラーであって、「私の戦ひ」の著者であり、すべてのxについて、xが「私の戦ひ」の著者であるならば、xとyは「同一人物」である。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(10)
プリンキピア・マテマティカ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/プリンキピア・マテマティカ
プリンキピア・マテマティカ(Principia Mathematica:数学原理)は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルによって書かれ、1910年から1913年に出版された、数学の基礎に関する全3巻からなる著作である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① ラッセルが「プリンキピア・マテマティカ」を書いた。
②「プリンキピア・マテマティカ」の著者はラッセルであって、すべてのxについて、xが「プリンキピア・マテマティカ」の著者であるならば、xはラッセルである。
③「プリンキピア・マテマティカ」の著者はラッセルであって、ラッセル以外の、あるxが「プリンキピア・マテマティカ」の著者である、といふことはない。
④ あるyはラッセルであって、「プリンキピア・マテマティカ」の著者であり、すべてのxについて、xが「プリンキピア・マテマティカ」の著者であるならば、xとyは「同一人物」である。
に於いて、
①=②=③=④ であるが、
① ラッセルが「プリンキピア・マテマティカ」を書いた。
といふ「命題」は、「真(本当)」ではなく、「偽(ウソ)」である。
平成30年08月05日、毛利太。