(01)
① 我非聖人 =我は聖人に非ず。
② 我非聖人也=我は聖人に非ざるなり。
(02)
① 我は聖人に非ず =私は聖人ではない。
② 我は聖人に非ざるなり=私は聖人ではないのだ。
従って、
(01)(02)により、
(03)
② 也={なり=のだ(断定)}。
とする。
(04)
② 我非聖人也=
② 主語+述語+補語+断定。
に於いて、
② 主語 の「意味」は、
② 述語 を「介し」て、
② 補語 に「係ってゐる」。
とする。
(05)
目的語と補語とはそれほど区別する必要はないので、
両方併せて、補足語と呼んだり、単に補語と呼んだりしている。
(江連隆、基礎からの漢文、1993年、26頁)
然るに、
(06)
② 我非聖人也。
に於いて、
② 非の(補語)は(聖人)である。
従って、
(06)により、
(07)
② 我非聖人也。
といふ「漢文の補足構造」は、
② 我非(聖人)也。
である。
然るに、
(08)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、
その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
(07)(08)により、
(09)
② 我非聖人也=
② 我非(聖人)也。
に於いて、
② 非( )⇒( )非
といふ「移動」を行ふと、
② 我非聖人也=
② 我非(聖人)也⇒
② 我(聖人)非也=
② 我は(聖人に)非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
(10)
③ 我非必求以解英文法解漢文者也。
に於いて、
③ 非の{補語}は{必求以解英文法解漢文者}である。
③ 求の[補語]は[解英文法解漢文] である。
③ 以の〔補語〕は〔解英文法〕 である。
③ 解の(補語)は(英文) である。
③ 解の(補語)は(漢文) である。
従って、
(10)により、
(11)
③ 我非必求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文の補足構造」は、
③ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
である。
従って、
(08)(11)により、
(12)
③ 我非必求以解英文法解漢文者也=
③ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
③ 非{ }⇒{ }非
③ 求[ ]⇒[ ]求
③ 以〔 〕⇒〔 〕以
③ 解( )⇒( )解
③ 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
③ 我非必求以解英文法解漢文者也=
③ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也⇒
③ 我{必[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
③ 我{必ずしも[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
然るに、
(14)
③ 我非必求以解英文法解漢文者也。
に於いて、
③ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
であるならば、
③ 非 は{必求以解英文法解漢文者}に係ってゐる。
③ 求 は[解英文法解漢文] に係ってゐる。
③ 以 は〔解英文法〕 に係ってゐる。
③ 解 は(英文) に係ってゐる。
③ 解 は(補語) に係ってゐる。
従って、
(11)(13)(14)により、
(15)
③ 我非必求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文の管到」は、
③ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
であって、「管到」とは、すなはち、「補足構造」である。
然るに、
(16)
③ 我非{必求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、「返り点(レ点を除く)」が付く「位置」に#を置くと、
③ 我#{必#[#〔#(英#)#〕#(漢#)]#}也。
である。
従って、
(17)
③ 我#{必#[#〔#(英#)#〕#(漢#)]#}也。
地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
であるため、「返り点」は、
我非地 必求丙 以下 解二 英文一 法上 解乙 漢文甲 者天 也。
である。
従って、
(15)(16)により、
(18)
「括弧」は、「補足構造」を表し、「補足構造」とは、すなはち、「管到」であって、「管到(補足構造)」が、「返り点」を、確定する。
平成29年03月17日、毛利太。
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