2017年3月18日土曜日

「括弧」と「スコープ(管到)」と「返り点」。

(01)
① Qならば、Pである=Q→P
② QであってPである=Q&P
に於いて、
① Qでないならば、Pであっても、Pでなくとも、「真(本当)」である。
② Qでないならば、Pであっても、Pでなくとも、「偽(ウソ)」である。
従って、
(01)により、
(02)
① Q→P=Qならば、Pである。
② Q&P=QであってPである。
に於いて、
①≠② である。
従って、
(02)により、
(03)
① Q→P=Qならば、Pである。
② Q&P=QであってPである。
の「否定」である、
① ~(Q→P)=(Qならば、Pである)といふことはない。
② ~(Q&P)=(QであってPである)といふことはない。
に於いても、
①≠② である。
然るに、
(04)
① ~(Q→P)=~(P)&Q
② ~(Q&P)=~(P&Q)
である。
cf.
① ~(Q→P)=~{~(Q)∨P}=~{P∨~(Q)}=~(P)&~(~(Q))=~(P)&Q
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ~(Q→P)=(Qならば、Pである)といふことはない=~(P)&Q
② ~(Q&P)=(QであってPである)といふことはない=~(P&Q)
である。
従って、
(03)(05)により、
(06)
① ~(P)&Q=(Qならば、Pである)といふことはない。
② ~(P&Q)=(PであってQである)といふことはない。
に於いても、
①≠② である。
従って、
(07)
① ~(P)&Q=(Pでは)なくてQである。
② ~(P&Q)=(PであってQである)といふことはない。
に於いても、
①≠② である。
然るに、
(08)
① ~(P)&Q=(Pでは)なくてQである。
② ~(P&Q)=(PであってQである)といふことはない。
に於いて、
① ~ は、「Pだけ」を「否定」し、
② ~ は、「PとQ」を「否定」する。
従って、
(08)により、
(09)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(10)
② ~(P&Q)
に於いて、
② ~ が、「P  」ではなく、
② ~ が、「PとQ」を、「否定」するのであれば、
② ~ は、「PとQ」に、「係ってゐる」。
然るに、
(11)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
「論理学」でいふ所の「スコープ」とは、「漢文」でいふ所の「管到」である。
従って、
(09)(12)により、
(13)
括弧は、漢字の「管到(scope)」を明示する働きを持ってゐる。
従って、
(14)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文の、管到」は、例へば、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}。
といふ「括弧」によって、「明示」することが、出来る。
然るに、
(15)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者=
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}。
に於いて、
③ 無{ }⇒{ }無
③ 不[ ]⇒[ ]不
③ 知〔 〕⇒〔 〕知
③ 有( )⇒( )有
といふ「移動」を行ふと、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者=
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕]者}⇒
③ 当世士大夫{[〔(劉老人)有〕知]不者}無=
③ 当世の士大夫{[〔(劉老人)有るを〕知ら]ざる者}無し=
③ 当時の知識人に、劉老人の存在を知らない者はゐない(助字弁略、序文)。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(16)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
例へば、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文」に対する、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕者]}。
といふ「括弧(管到)」は、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文の、補足構造」を、示してゐる。
然るに、
(18)
括弧は曖昧さがない場合は適当に省略される(赤間世紀、AIプログラミング、2008年、13頁)。
むやみに括弧が多くなることは我慢でないのである(E.J.レモン、論理学初歩、1973年、59頁)。
といふ「理由」により、「論理式」であっても、「括弧」は、「省略」される。
従って、
(18)により、
(19)
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文」が、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕者]}。
といふ風に、書かれてゐない。からと言って、
③ 当世士大夫無不知有劉老人者。
といふ「漢文」に、
③ 当世士大夫無{不[知〔有(劉老人)〕者]}。
といふ「括弧(管到)」が無い。とは、限らない。
(20)
① ~(Q→P)=(Qならば、Pである)といふことはない。
② ~(Q&P)=(QであってPである)といふことはない。
であるならば、
① (Q→P)=(Qならば、Pである)
② (Q&P)=(QであってPである)
であって、
① ~=といふことはない。
② ~=といふことはない。
である。
従って、
(20)により、
(21)
① ~(Q→P)=(Q→P)~
② ~(Q&P)=(Q&P)~
である。
然るに、
(22)
① ~(Q→P)=(Q→P)~
② ~(Q&P)=(Q&P)~
であるならば、
① ~(Q→P)
② ~(Q&P)
といふ「 括弧 」は、
① ~Q→P=QならばPである。ではない。
② ~Q&P=QであってPである。といふことはない。
といふ「返り点」と、「変はり」がない。
平成29年03月19日、毛利太。

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