(01)
① A者[読み]Aは : Aは主語[訳]Aは。
② 之[格助詞]の《連体修飾格・同格・節の主格を示す》
③ AB也[読み]A、Bなり:Aは主語、Bは体言[訳]AはBである。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、166・137・329頁改)
従って、
(01)により、
(02)
① 者=は
② 之=の
③ 也=である。
従って、
(02)により、
(03)
④ A者B之C也。
⑤ AはBのCである。
に於いて、
④=⑤ である。
従って、
(03)により、
(04)
④ 誠者天之道也。
といふ「中庸の一節」は、
⑤ 誠は天の道である。
といふ、「意味」である。
然るに、
(05)
日本語は、テニヲハを伴わねば文を成さないのに対し、中国語は「助字」を伴わなくても、文を成し得る。あってもなくともよい。
(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、47頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
④ 誠者天之道也。
だけでなく、
④ 者 之 也
を除いた、
④ 誠 天 道 。
であっても、
⑤ 誠は天の道である。
といふ、「意味」である。
cf.
④ 孔子魯人 ⇔
⑤ 孔子者魯之人也 ⇔
⑤ 孔子は魯の人なり。
従って、
(06)により、
(07)
「漢文」の場合は、
④ A者B之C也。
④ AはBのCである。
といふ風に、書くことが出来るのに、
④ A B C 。
といふ風に、書いても、構はない。
然るに、
(08)
【誠】① まこと。② まことにする。まことの道を実現する。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、699頁)
然るに、
(09)
⑥ 誠者天之道也。誠之者、人之道也。
⑥ 誠は天の道なり。之れを誠にするは人の道なり(中庸、二十、八)。
に於いて、
⑥ 之れを=天の道を。
であるとする。
cf.
之 シ
① これ〔に・を〕、こノ・ここ〈代名詞〉
② これこそ〈強調〉
③ ~の〈連体修飾格〉、~が〈主格〉
④ 行く
(全国高等学校国語教育研究連合会、必携 新明解漢文、2007年、120頁)
従って、
(04)(08)(09)により、
(10)
⑥ 人之道誠天之道。
⑥ 人の道は天の道を誠にす。
である。
従って、
(06)(10)により、
(11)
④ 誠者天之道也。
ではなく、
④ 誠天道。
であれば、
⑤ 誠は天の道である。
といふ風にも、
⑥ 天の道を誠にす。
といふ風にも、『二通りに、読める』ことになる。
然るに、
(12)
朝聞レ道、夕死、可矣。
朝に道を聞かば、夕に死すとも、可なり。
この文は、「如朝聞レ道、則雖二夕死一、亦可矣」とも書くこともできるものである。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、295頁)
従って、
(13)
⑦ 朝聞道、夕死、可矣。
といふ「論語の一節」は、
⑦ 如朝聞道、則雖夕死、亦可矣。
⑦ 如し、朝に道を聞かば、則ち、夕に死と雖も亦可なり!
であるものの、この場合は、
⑦ 如=IF
⑦ 則=THEN
⑦ 雖=EVEN IF
⑦ 亦=TOO
である。
従って、
(14)
「漢文」の場合は、
⑦ IF A THEN B.
といふ風に、書くことが出来るのに、
⑦ A B.
といふ風に、書いても、構はない。
従って、
(07)(14)により、
(15)
④ AはBのCである。
⑦ IF A THEN B.
といふ風に、書くことが出来るのに、
④ A B C。
⑦ A B.
といふ風に、書いても、構はない。
然るに、
(16)
④ A B C。
⑦ A B.
と書かれてゐるよりも、
④ AはBのCである。
⑦ IF A THEN B.
と書かれてゐる方が、当然、「分り易い」し、
④ A B C。
⑦ A B.
が、実際には、
④ AはBのCである。
⑦ IF A THEN B.
であるといふことを、「知る方法」は、「文法的な分析」ではない所の、要するに、『感』だけである
従って、
(17)
漢語におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢語の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(18)
④ 誠天道。
⑦ 朝聞道、夕死、可矣。
の方が、
④ 誠者天之道也。
⑦ 如朝聞道、則雖夕死、亦可矣。
よりも、「簡潔(シンプル)」である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
漢文の文法は、「(ラテン語等の文法に比して、)シンプルすぎて、だからこそ、却って、難しい。」といふ風に、言へないこともない。
平成29年06月10日、毛利太。
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