(01)
① 古人は成敗を以て之を論ずべからざるなり。
という「訓読」に於いて、
①「故人は」=「之を」
である。
従って、
(02)
① 古人は成敗を以て之を論ずべからざるなり。
といふ「訓読」に於いて、
① 之を
を「除く」ならば、
② 古人をは成敗を以て論ずべからざるなり。
といふ風に、「言ひたく」なる。
然るに、
(03)
(六)名をば 「ば」は他のものと区別して提示する係助詞「は」が、格助詞「を」と用いられたため連濁したもの。
(中道館、古典新釈シリーズ③竹取物語(全)、1992年、2頁)
従って、
(02)(03)により、
(04)
② 古人をは成敗を以て論ずべからざるなり。
といふ「訓読」は、「連濁」により、
③ 古人をば成敗を以て論ずべからざるなり。
といふ「それ」になる。
然るに、
(05)
(2)「倒置」により、次の各分は文の成分の位置が変わっている。
① 詠嘆 ・・・ 賢人哉回也(賢なるかな回や)。
② 強意 ・・・ 何亡国敗家之有(何ぞ国を亡ぼし家を敗ること之有らん)。
③ 提示 ・・・ 故人不可以成敗論也(古人をば成敗を以て論ずべからざるなり)。
(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁を参照)
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
③ 古人をば成敗を以て論ずべからざるなり。
といふ「訓読」は、
③ 成敗を以て古人を論ずべからざるなり。
といふ「訓読」に対する、「提示(倒置)」である。
cf.
③ 古人不[可〔以(成敗)論〕]也。
③ 不[可〔以(成敗)論(古人)〕]也。
③ 古人=昔の人、成敗=成功と失敗。
従って、
(06)により、
(07)
④ 二階をば、先生に貸せり。
といふ「それ」は、
④ 先生に、二階を貸せり。
といふ「それ」に対する、「提示」である。
然るに、
(03)により、
(08)
(38j)2階を先生に貸しています。
(39j)2階は先生に貸しています。
に於いて、
⑤ 2階を
⑤ 2階は
といふ「二つ」を「一緒に」すれば、「連濁」により、
⑤ 2階をば先生に貸しています。
といふ「日本語」が成立し、
⑤ 2階をば先生に貸しています。
といふ「口語」を、「文語」で言へば、
④ 二階をば、先生に貸せり。
といふ「文語」となる。
従って、
(07)(08)により、
(09)
⑤ 2階は先生に貸しています。
に於ける、
⑤ 2階は
といふ「言ひ方」は、
④ 二階をば、先生に貸せり。
に於ける、
④ 二階をば
といふ「提示」に相当する。
然るに、
(10)
(41j)先生は2階を貸りています。
(39j)と(41j)における「は」の共通性は何だろうか。(39j)では「は」は(38j)の「を」に対応しているのだから、少なくとも「主語」という答えは明らかに不可である。
(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、102頁)
然るに、
(11)
⑥ 先生は2階を貸りています。
に於いて、
⑥ 先生は
は、「古文の文法(学校文法)」からすれば、「主語」である。
従って、
(09)(11)により、
(12)
⑤ 2階は先生に貸しています。
に於ける、
⑤ 2階は
は、「古文の文法(学校文法)」からすれば、「提示」であって、
⑥ 先生は2階を貸りています。
に於ける、
⑥ 先生は
は、「古文の文法(学校文法)」からすれば、「主語」である。
従って、
(10)(12)により、
(13)
(38j)2階を先生に貸しています。
(39j)2階は先生に貸しています。
に於いて、
(39j)では「は」は(38j)の「を」に対応しているのだから、少なくとも「主語」という答えは明らかに不可である。
といふことになり、
(40j)先生が2階を貸りています。
(41j)先生は2階を貸りています。
に於いて、「先生が・先生は」は、「主語」である。
といふ、ことになる。
従って、
(14)
「日本語に主語はいらない。」といふ金谷先生の「主張」は、「現代日本語」を外国人に教へる際は兎も角、少なくとも、「古文・漢文」といふ「日本語」を学ぶ上では、「有害」である。
平成29年06月14日、毛利太。
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私が大野です(大野は私です)=http://kannbunn.blogspot.com/2017/05/blog-post_29.html。
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