従って、
(01)により、
(02)
① 二 一レ 二 一
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」は、
② 四 三 二 一
⑤ 己 二 一 戊 丁 二 一 二 一 丙 乙 甲
といふ「返り点」に「等しく」、
② 四 三 二 一
⑤ 己 二 一 戊 丁 二 一 二 一 丙 乙 甲
といふ「返り点」は、
③ [ 〔 ( ) 〕 ]
⑥ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」に、「等しい」。
然るに、
(03)
kirakiraebaさん2010/7/2320:43:43
漢文の朝三暮四で
恐(二) 衆 狙 之 不 (一レ) 馴 (二) 於 己(一) 也、・・・ という文がありました。
この文を帰り点に従って訓読すると「衆狙の馴れざらんことを恐るる己に馴れ也、・・・」となり
「馴」を二回読んでしまうのですがこれは正しいですか。
( )内は返り点です。
noname#100659
漢文についてお聞きします。
(数字)は、返り点を表します。レ点はカタカナの(レ)で書きます。
漢文の教科書に次のような文章が出てきます。
例文は有名な朝三暮四です。
恐(2)衆狙之不(1+レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
(読み下しは、衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、先づこれを誑きて曰く・・です。)
これなのですが、打ち方はこれ一通りと決まっていますか?
次のように打つと何がいけないのでしょうか?
同じように読めてしまうような気がするのですが・・。
(3)衆狙之不(レ)馴(2)於己(1)也、先誑(レ)之曰、・・・(以下略)。
上の打ち方だと何が問題でしょうか?
同じにはなりませんでしょうか?
なお、これは学校の宿題等ではありませんのでよろしくおねがいします。
投稿日時 - 2005-11-20 01:10:47
従って、
(01)(03)により、
(04)
① 二 一レ 二 一
といふ「返り点」は、「分りにくい」ものの、
② 四 三 二 一
といふ「返り点」は、「極めて、分りやすい」。
然るに、
(05)
① 二 一レ 二 一
といふ「返り点」が、「分りにくい」のであれば、
④ 下 上レ 下 上レ
といふ「返り点」を含む、
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」も、「分りにくい」。
従って、
(02)(04)(05)により、
(06)
① 二 一レ 二 一
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
のやうな、「レ点」を含む、「通常の、返り点」は、
② 四 三 二 一
⑤ 己 二 一 戊 丁 二 一 二 一 丙 乙 甲
のやうな、「レ点」を含まない、「返り点」よりも、「分りにくい」。
(07)
⑦ 是以孫権必使呂蒙読書=
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
といふ「漢文」に於いて、
⑦ 使〔 〕⇒〔 〕使
⑦ 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕⇒
⑦ 是以孫権必〔呂蒙(書)読〕使=
⑦ 是を以て、孫権、必ず〔呂蒙をして(書を)読ま〕使む。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(08)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(07)(08)により、
(09)
⑦ 是以孫権必使呂蒙読書=
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
といふ「漢文」に於いて、
⑦ 使〔 〕⇒〔 〕使
⑦ 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕⇒
⑦ 是以孫権必〔呂蒙(書)読〕使=
⑦ 是を以て、孫権、必ず〔呂蒙をして(書を)読ま〕使む。
といふ「日本語の語順」になる。といふことは、
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
に於ける、
⑦ 〔 ( )〕
といふ「括弧」が、
⑦ 孫権必使呂蒙読書。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」を表してゐる。
といふことを、示してゐる。
然るに、
(10)
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
に於いて、
⑦ 孫権 =大学始教
⑦ 呂蒙 =学者
⑦ 読(書)=即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}
といふ「代入」を行ふと、
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「漢文」を、認めることになる。
然るに、
(11)
(01)でも、「確認」した通り、
⑥ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
⑥ 是以、大学始教、必〈学者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
⑥ 是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ、「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
⑦ 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
に於ける、
⑦ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」が、
⑦ 孫権必使呂蒙読書。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」を表してゐる。
といふことを、示してゐるやうに、
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
に於ける、
⑥ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」も、
⑥ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」を表してゐる。
従って、
(13)
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「漢文」を、
⑥ 是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ風に、「訓読」すれば、「語順」は、確かに、「変る」ものの、
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「漢文」に於ける、
⑥ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「補足構造」は、「保存」される。
従って、
(14)
「語順」を「保存」する「読み方」よりも、
「構造」を「保存」する「読み方」の方が、「価値」が有るとするならば、
「語順」を「転倒」することは、「些細なこと」である。といふ「考へ方」が有っても、少しも、悪くはない。
然るに、
(01)により、
(15)
④ 是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
であっても、
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
であっても、両方と、
④ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
⑥ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
といふ風に、「訓読」される。
従って、
(14)(15)により、
(16)
④ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に対して、
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」を用ゐて、
④ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
といふ風に、「訓読」しても、「構造」は「保存」されるので、「語順」を「転倒」することは、「些細なこと」である。といふ「考へ方」が有っても、少しも、悪くはない。
然るに、
(17)
しばしばとりあげられる〈語順〉の問題、元来はまっすぐに書かれた漢文に返り点をつけた、転倒しながら読むのは不自然だという考え方、などは、むしろ些少なことにすぎないかもしれない。かえって、語と語との修飾や支配の関係を、
是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
そこで大学での始めの教えは、学習者が天下の物すべてについて、彼がすでに知っている理を手がかりとしてますますこれをきわめ、そしてその極点にまで到達することを求めるようにせしめる(原文では、「求めないことはいっさいないように、ぜひともせしめる」)のである。
このよう複雑な文章でも、返り点があることによって、簡明直截に文字のかかり方を知ることができる。
(平凡社、日本語の歴史2、2007年、155・156頁改)
従って、
(16)(17)により、
(18)
「平凡社、日本語の歴史2、2007年」の編集委員は、
④ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に対して、
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」を用ゐて、
④ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
といふ風に、「訓読」しても、「返り点」によって、簡明直截に「文字のかかり方(構造)」を知ることが出来るので、「語順」を「転倒」することは、「些細なこと」である。といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(19)
⑥ 使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
であれば、
⑥ 使 の「語」が、
⑥ 〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
に「掛ってゐる(管到してゐる)」ことは、「一目瞭然」であるが、
④ 使下学者即二凡天下之物一、莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
の場合は、
⑥ 使 の「語」が、
⑥ 下学者即二凡天下之物一、莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
に「掛ってゐる(管到してゐる)」ことが、「一目瞭然」であるとは、言へない。
従って、
(20)
⑥ 使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
に於ける、
⑥ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、「補足構造」と、「訓読の語順」の、「両方」を表してゐるが、
④ 使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
に於ける、
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」は、「補足構造」といふよりも、主として、「訓読の語順」を表してゐる。と、すべきである。
従って、
(06)(20)により、
(21)
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」は、主として、「訓読の語順」を表してゐて、尚且つ、「分りにくい」。
(22)
⑥ 使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
の場合は、
⑥ 〈 〉の中を、「読み終へた」直後に、「使」を読み、
⑥ ( )の中を、「読み終へた」直後に、「即」を読み、
⑥ { }の中を、「読み終へた」直後に、「莫」を読み、
⑥ [ ]の中を、「読み終へた」直後に、「不」を読み、
⑥ ( )の中を、「読み終へた」直後に、「因」を読み、
⑥ ( )の中を、「読み終へた」直後に、「極」を読み、
⑥ 〔 〕の中を、「読み終へた」直後に、「求」を読み、
⑥ ( )の中を、「読み終へた」直後に、「至」を読む。
といふ「ルール」が有るだけであるため、「極めて、簡単」である。
従って、
(23)
⑥ 使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
に於ける、
⑥ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」の方が、
④ 使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
に於ける、
④ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」よりも、明らかに、「優れてゐる」。
然るに、
(24)
Kaeriten(返り点)
Unicode 表示 名称 備考
3191 ㆑ IDEOGRAPHIC ANNOTATION REVERSE MARK レ点
3192 ㆒ IDEOGRAPHIC ANNOTATION ONE MARK ≈<super>4E00(一)
3193 ㆓ IDEOGRAPHIC ANNOTATION TWO MARK ≈<super>4E8C(二)
3194 ㆔ IDEOGRAPHIC ANNOTATION THREE MARK ≈<super>4E09(三)
3195 ㆕ IDEOGRAPHIC ANNOTATION FOUR MARK ≈<super>56DB(四)
3196 ㆖ IDEOGRAPHIC ANNOTATION TOP MARK ≈<super>4E0A(上)
3197 ㆗ IDEOGRAPHIC ANNOTATION MIDDLE MARK ≈<super>4E2D(中)
3198 ㆘ IDEOGRAPHIC ANNOTATION BOTTOM MARK ≈<super>4E0B(下)
3199 ㆙ IDEOGRAPHIC ANNOTATION FIRST MARK ≈<super>7532(甲)
319A ㆚ IDEOGRAPHIC ANNOTATION SECOND MARK ≈<super>4E59(乙)
319B ㆛ IDEOGRAPHIC ANNOTATION THIRD MARK ≈<super>4E19(丙)
319C ㆜ IDEOGRAPHIC ANNOTATION FOURTH MARK ≈<super>4E01(丁)
319D ㆝ IDEOGRAPHIC ANNOTATION HEAVEN MARK ≈<super>5929(天)
319E ㆞ IDEOGRAPHIC ANNOTATION EARTH MARK ≈<super>5730(地)
319F ㆟ IDEOGRAPHIC ANNOTATION MAN MARK ≈<super>4EBA(人)
のやうに、「ユニコード」には、「一レ、上レ、甲レ、天レ」点と、
のやうな、「ハイフンに付く返り点」が無いものの、「JIS漢字コード」には、「返り点」自体が無い。
従って、
(25)
「ユニコード」の「返り点」は、「中途半端」であるといふべきであって、何故、そのやうに「中途半端」なのかと言へば、思ふに、「ユニコード」を作成した方たちが、「漢文訓読」には、「何らの関心」も無かったからに、違ひない。
然るに、
(26)
( )〔 〕[ ]{ }〈 〉
であれば、これらの「括弧」は、ほとんどの「文字コード表」の中に、見付かるはずである。
従って、
(27)
その点に於いても、アドバンテージが、有るのは、「括弧」であって、「返り点」ではない。
平成29年06月28日、毛利太。
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