2017年6月24日土曜日

宛「荻生徂徠」様。

(01)
和訓」を排除するのは、無用にいかめしくむつかしい雰囲気を作る日本語だからである。
過則勿憚改は、アヤマテバスナハチ云云ではなくして、コウ ツヱ ホン ダン カイ。である。それをそのとおりに読むのが、万事のはじまりである。当時はそれを長崎通事の仕事として意識されていたゆえに、彼はそれを「崎陽の学」と呼ぶ。しかし「崎陽の学」はまだ普及しない。二次的な方法として、アヤマテバスナワチアラタムルニハバカルコトナカレと、いいかめしい雰囲気を持つ訓読よみを、せめてものことに廃棄する。その代替として、平易な日本語の口語におきかえる。シクジッタラヤリナオシニエンリョスルナ。あるいはシクジリハエンリョナクヤリナオセ。そうした俗語へのおきかえを、彼は「」と呼び、従来の訓読「和訓」の方は、「」と呼んで、両者を区別する。かくて「訓」を廃棄して「訳」を方法とすることを、「崎陽の学」すなわち中国音を知らないものは、せめてもの方法とせよ(岩波書店、日本思想大系36、荻生徂徠 、1973年、650・649頁)。
従って、
(02)
荻生徂徠は、
アヤマテバスナワチアラタムルニハバカルコトナカレ。
といふ「訓」は、「いかめしくむつかしい」といふ「理由」から、
シクジリハエンリョナクヤリナオセ。
シクジッタラヤリナオシニエンリョスルナ。
といふ「訳」を、「提案」する。
然るに、
(03)
古代、中世、近世を通じて、それらの時代にも、一方に全国的に通用する中心の言語があり、他方に各地で独自に発達したさまざまな方言があったと考えられ、その点では、現在とは似たようなものといえるのかもしれない(中央公論社、日本語の世界8、1981年、38頁)。
然るに、
(04)
      せばだば  →  それじゃあ
       まいね  →  ダメ
       びょん  →  だよね
せばだばまいねびょん  →  それじゃあダメだよね
(Webサイト:青森 方言 せばだばまいねびょん かわいいフランス語? - 郵便番号検索)
従って、
(05)
江戸であれば、
シクジリハエンリョナクヤリナオセ。
シクジッタラヤリナオシニエンリョスルナ。
といふところを、
津軽では、
シクジリ、ソノママ、セバダバマイネビョン
といふ風に、言ったのかも、知れない。
然るに、
(06)
標準語には、それでは十分に意を尽くすことができない、情がこもらないよそよそしいといった欠点があるとされ、方言には、それによってこそ言ひた本心が適確に表現できる、感情表現にふさわしい(中央公論社、日本語の世界8、1981年、39・40頁)。
従って、
(02)~(06)により、
(07)
荻生徂徠は、
アヤマテバスナワチアラタムルニハバカルコトナカレ。
といふ「訓」は、自分にとっては、「いかめしくむつかしい」といふ「理由」から、
シクジリハエンリョナクヤリナオセ。
シクジッタラヤリナオシニエンリョスルナ。
といふ「訳」を、「提案」するのであれば、
津軽の学者は、
シクジリハエンリョナクヤリナオセ。
シクジッタラヤリナオシニエンリョスルナ。
といふ「訓」は、自分にとっては、「いかめしくむつかしい」といふ「理由」から、
シクジリ、ソノママ、セバダバマイネビョン
といふ「訳」を、「提案」しても、良いことになる。
然るに、
(08)
さうであるならば、
シクジリハエンリョナクヤリナオセ。
シクジッタラヤリナオシニエンリョスルナ。
といふ「江戸弁の訳」の他に、
シクジリ、ソノママ、セバダバマイネビョン
といふ「津軽弁」や、その他に、「南部弁の訳」や、「会津弁の訳」や、「鹿児島弁の訳」等が、有っても良い。
然るに、
(09)
古代、中世、近世を通じて、それらの時代にも、一方に全国的に通用する中心の言語があり、例へば、
アヤマテバスナワチアラタムルニハバカルコトナカレ。
といふ「言ひ方」が、「(訓読としての)中心の言語」であるにも拘らず、わざわざ「それ」を、「方言」にする必要があるとは、思へないし、固より、
アヤマテバスナワチアラタムルニハバカルコトナカレ。
といふ「言ひ方」が、「むつかしい雰囲気を作る日本語」である。といふのは、飽く迄も、「荻生徂徠の、主観」に過ぎない。
(10)
予は十四歳の時に南総に流れ落し、二十五歳で赦されて江戸に還るまでの十三年間、田夫野老の中で暮らす毎日で、学問上の師も友も持てなかった。ただ父の篋中にあった「大学諺解」一冊、これは父の手沢本であったが、この書物を一生懸命に何度も読んだものである。すると久しくして、群書に通じるようになった(田尻祐一郎、荻生徂徠、2008年、78頁)。
従って、
(11)
十四歳から、二十五歳までの間、学問上の師も友も持てなかったが、「独学」で、何度も「大学諺解」を読んだことが、荻生徂徠の「学問の基礎」を作った。
然るに、
(12)
学問上の師も友も持てなかった。といふのであれば、いはんや、その当時の荻生徂徠は、漢詩文を、「唐音(中国語音)」で音読することは、出来なかったことになる。
然るに、
(13)
徂徠は、書を千遍読めば意味はおのずとわかる(「読書千遍、其義自見」)とはどういうことか、幼時にはわからなかったと云う。意味がわからないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだと思ったからである。しかし後になって、中華では文字列をそのままの順で読むために、意味がわからなくとも読めること、それに対して。日本では中華の文字をこちらの言語の語順に直して読むために意味がとれなければ読めないことに気づく(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、17頁)。
従って、
(14)
読」の際には、「意味」が分るならば、そのときに限って、「読める」ものの、
読」の際には、「意味」が分からなくとも、「声に出す」ことは、「可能」である。
といふことに、荻生徂徠は、気付いたこと、になる。
然るに、
(15)
徂徠は「題言十則」のなかで以下のように述べている。
中華の人多く言へり、「読書、読書」と。予は便ち謂へり、書を読むは書を看るに如かず、と。此れ中華と此の方との語言同じからざるに縁りて、故に此の方は耳口の二者、皆な力を得ず、唯だ一双の眼のみ、三千世界の人を合はせて、総て殊なること有ること莫し。
ここでの「読書」は、文脈からして音読であろう(勉誠出版、「訓読」論、2008年、27・244頁)。
従って、
(15)により、
(16)
徂徠は「題言十則」のなかで、
読書不如看書(書を音読することは、書を看ることに及ばない)。
看書愈於読書(書を看ることの方が、書を音読することよりも優れてゐる)。
といふ風に、述べてゐて、尚且つ、
唯だ一双の眼は、三千世界の人に「共通」であるため、
看書(書を看る)ことに関しては、何処にゐても、「可能」である。
といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(17)
江戸時代には、荻生徂来(おぎゅう・そらい、1666-1728)が、漢文訓読法排斥して、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきだと主張しました。荻生徂来は、長崎通詞であった岡島冠山(おかじま・かんざん、1674-1728)から唐話(とうわ=中国語)を学んでいました。漢詩文を唐音で読むという徂来の主張は強固なもので、彼の古文辞学(擬古的な漢文)とともに一世を風靡する大流行となりました。ただし、当時のいわゆる唐音というのは、国南方の方言音で、現在の北京語を基礎とした普通話(pŭ tōng huà)とはかなり違うものでした。当時、わが国は清国と正式の国交はなく、貿易は長崎において清国商人に信牌(貿易許可証)を与え、私貿易という形で許可していました。そのため、長崎で用いられる中国語も、清国商人が用いる南方方言だったのです(Webサイト:日本漢文の世界)。
従って、
(16)(17)により、
(18)
看書(書を看る)ことは、読書(書を音読する)ことよりも、優れてゐるし
看書(書を看る)ことに関しては、世界中の何処にゐても、「可能」である。
といふ風に、述べてゐた、その、荻生徂徠が、
漢文訓読法を排斥して、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきであると、主張した、ことになる。
(19)
「今学者訳文ノ学ヲセント思ハバ、悉ク古ヨリ日本ニ習ヒ来ル和訓ト云フモノト字ノ反リト云フモノトヲ排除スベシ」。反り点排除するのは、中国語の原語序破壊だからである。
然るに、
(20)

従って、
(20)により、
(21)
「漢文」ならぬ、「白話(中国語)」に対して、「無理矢理」、「返り点」を付けるようとすると、
只‐管要
端‐的看婆‐子的本‐事
西門慶促‐忙促‐急儧造 不
了不三レ 多酒
のやうに、
下 二 上 一
二 五 三 一 四
二 三レ 一
のやうな「それ」が、「使用」される。
然るに、
(22)
「返り点」は、「(右)から、(左)へ、返る点」であるため、
二 → 上
二 → 三
二 → レ
を含む所の、
下 二 上 一
二 五 三 一 四
二 三レ 一
は、「返り点」ではない
然るに、
(23)
下 二 上 一
二 五 三 一 四
二 三レ 一
といふ「それ」は、
四 二 三 一
二 五 三 一 四
二 四 三 一
といふ「順番」を、表してゐる。
従って、
(22)(23)により、
(24)
四 二 三 一
二 五 三 一 四
二 四 三 一
といふ「順番」に対して、「返り点」を、加へことは、出来ない
然るに、
(25)
四 二 三 一
二 五 三 一 四
二 四 三 一
に対して、「それ」を、加へると、
四[二(三〔一)〕]
二(五[三〔一)〕四]
二(四[三〔一)〕]
でなければ、ならない。
然るに、
(26)
四[二(三〔一)〕]
二(五[三〔一)〕四]
二(四[三〔一)〕]
に於ける、
 [ ( 〔 )〕]
 ( [ 〔 )〕 ]
 ( [ 〔 )〕]
のやうな「それ」は、
 [ 〔 ( )〕]
 [ 〔 ( )〕]
 [ 〔 ( )〕]
のやうな「括弧」ではない
従って、
(25)(26)により、
(27)
四 二 三 一
二 五 三 一 四
二 四 三 一
といふ「順番」に対して、「括弧」を、加へことは、出来ない
従って、
(24)(27)により、
(28)
四 二 三 一
二 五 三 一 四
二 四 三 一
といふ「順番」に対して、「返り点括弧」を、加へことは、出来ない
従って、
(19)(21)(28)により、
(29)
荻生徂徠曰く、反り点を排除するのは、中国語の原語序破壊だからである。
とは、言ふものの、固より、
只管要下纏擾上我。
端的看不出這婆子的本事来。
西門慶促忙促急儧造不出床来。
吃了不多酒。
といふ「白話(中国語)」に対しては、「返り点括弧」を、加へことが、出来ない
(30)
① 不〔読(書)〕。
の場合であれば、「訓読」は、
② 〔(書を)読ま〕ず。
といふ「語順」であっても、
① 書 が、読 の「補語」であるといふこと。
② 書 が、読 の「補語」であるといふこと。
に関しては、
①=② であって、
① 不 が、「不」意外の「全体」を「否定」してゐること。
② ず が、「不」意外の「全体」を「否定」してゐること。
に関しても、
①=② である。
従って、
(30)により、
(31)
① 不〔読(書)〕。
② 〔(書を)読ま〕ず。
といふ「漢文訓読」に於いては、「語順」は「異なる」ものの、
① 〔 ( ) 〕。
② 〔 ( ) 〕。
といふ「構造」に関しては、「変り」が無い
然るに、
(32)

従って、
(31)(32)により、
(33)
① 不〔読(書)〕。
② 〔(書を)読ま〕ず。
に於いては、「語順」は「異なる」ものの、
① 〔 ( ) 〕。
② 〔 ( ) 〕。
といふ「構造」に関しては、「変り」が無いやうに、
③ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
④ 是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「漢文訓読」に於いても、「語順」は「異なる」ものの、
③ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
④ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「構造」に関しては、「変り」が無い
従って、
(33)により、
(34)
③ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
③ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
といふ風に、「訓読」しても、
③ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」の、
④ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「構造」は、「保存」される。
然るに、
(35)
⑤ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
に対して、
⑥ 西門慶促‐忙促‐急儧造 不
⑥ 西門慶促‐忙促‐急儧‐造(不[出〔床)〕来]。
のやうに、
⑥ 二 五 三 一 四
⑥ ( [ 〔 )〕 ]
といふ、「返り点」でも、「括弧」でもない、「それら」を用ゐて、「無理矢理」、
⑥ 西門慶促忙促急([〔床を)儧‐造し〕出し来たら]ず。
といふ風に、「訓読」するといふことは、
⑤ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「中国語(白話)の構造」と、
⑥ 西門慶促忙促急に床を儧造し出だし来たらず。
といふ「訓読(和文)の構造」が、「同じ」ではない。といふことを、意味してゐる。
従って、
(34)(35)により、
(36)
③ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
④ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
といふ風に、「訓読」しても、
③ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」の、
③ 〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「構造」は、「保存」されるものの、その一方で、
⑤ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「中国語」を、
⑥ 西門慶促忙促急に床を儧造し出だし来たらず。
といふ風に、「訓読」するならば、
⑤ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「中国語構造」は、「保存」されない
従って、
(36)により、
(37)
「問題」なのは、「語順」の「保存」ではなく、「構造」の「保存」であるとするならば、
③ 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
④ 是を以て、大学の始教は、必ず学者をして凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因って、益々之を極め、以て其の極に至るを求め不るを莫から使む。
といふ風に、「訓読」した「結果」として、「語順」が「変はる」ことは、「些細な問題」であると、すべきである。
従って、
(37)により、
(38)
しばしばとりあげられる〈語順〉の問題、元来はまっすぐに書かれた漢文に返り点をつけた、転倒しながら読むのは不自然だという考え方、などは、むしろ些少なことにすぎないかもしれない。かえって、語と語との修飾や支配の関係を、まったく構造を異にする日本語という言語と対比させることによって、はっきりとうかびあがらせる効用があるというべきである。
是以、大学始教、必使学者即凡天下之物、莫上レ其已知之理、而益々極之、以求上レ乎其極
そこで大学での始めの教えは、学習者が天下の物すべてについて、彼がすでに知っている理を手がかりとしてますますこれをきわめ、そしてその極点にまで到達することを求めるようにせしめる(原文では、「求めないことはいっさいないように、ぜひともせしめる」)のである。
このよう複雑な文章でも、返り点があることによって、簡明直截文字のかかり方を知ることができる(平凡社、日本語の歴史2、2007年、155・156頁改)。
といふ「指摘」は、「語順=構造」であるとする「部分」を除いて、「正しい」。
従って、
(39)
「問題」なのは、「語順」の「保存」ではなく、「構造」の「保存」である。
といふ「観点」無いままに
反り点排除するのは、中国語の原語序の破壊だからである。」
といふ風に、荻生徂徠が、述べてゐるのであれば、そのやうな「主張」は、「浅見」であると、すべきである。
(40)
通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア)。
との、ことである。
然るに、
(41)
(α)「漢文」は、「訓読」に、極めて、適してゐて
(β)「白話」は、「訓読」に、極めて、適してゐない
といふことは、
(γ)「漢文(文言文)」と、「白話(中国語」は、互いに、「完全に、別の言語」である。
といふことに、他ならない。
 <平成29年06月25日、毛利太。

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