① 4×3+2+1=囗
② 4×3+2+1=囗
③ 4×3+2+1=囗
に於いて、
① は、4× の「直後」に、( )が「省略」されてゐる。
② は、4× の「直後」に、( )が「省略」されてゐる。
③ は、4× の「直後」に、( )が「省略」されてゐる。
然るに、
(02)
① 4×(3)+2+1=12+3=15
② 4×(3+2)+1=20+1=21
③ 4×(3+2+1)=24+0=24
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 4×3+2+1=15
② 4×3+2+1=21
③ 4×3+2+1=24
であるならば、( )が、書かれてはゐなくとも、「実質的」に、
① 4×(3)+2+1=15
② 4×(3+2)+1=21
③ 4×(3+2+1)=24
である。
従って、
(04)
① 4×3+2+1=15
② 4×3+2+1=21
③ 4×3+2+1=24
であるならば、( )が、書かれてはゐなくとも、「実質的」に、( )は有る。といふ、ことになる。
従って、
(05)
② 読其文矣=その文を読めり。
といふ「漢文」に対して、
② 読(其文)矣。
といふ「括弧」を「認める」ことは、
② 4×3+2+1=21
に対して、
② 4×(3+2)+1=21
といふ「括弧」を「認める」ことと、「同じ」ではないが、「似てゐる」。
(06)
① 孫権使呂蒙読書。
① 孫権 let 呂蒙 read 書。
に於いて、
① 呂蒙が「読む(reads)」のは(何か)。と言へば、(書)である。
従って、
(06)により、
(07)
① 孫権使呂蒙読書。
① 孫権 let 呂蒙 read 書。
に於いて、
①「読む(reads)」の「意味」は、(書)に、及んでゐる。
(08)
① 孫権使呂蒙読書。
① 孫権 let 呂蒙 read 書。
に於いて、
① 孫権が「させる(lets)」ことは〔何か〕。と言へば、〔呂蒙に、書を読ませること〕である。
従って、
(08)により、
(09)
① 孫権使呂蒙読書。
① 孫権 let 呂蒙 read 書。
に於いて、
①「させる(lets)」の「意味」は、〔呂蒙読書〕に、及んでゐる。
然るに、
(10)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(10)により、
(11)
括弧は、漢字の意味が及ぶ範囲(スコープ)を明示する働きを持つ。
従って、
(06)(09)(11)により、
(12)
① 孫権使呂蒙読書。
に於いて、
① 孫権使〔呂蒙読(書)〕。
である。
然るに、
(13)
「英語」や「漢文」は、
SVO=主語+動詞+目的語
であるのに対して、
「国語」の場合は、
SOV=主語+目的語+動詞である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 呂蒙読(書)。
といふ「漢文の語順」に対する、「訓読の語順」は、
① 呂蒙(書を)読む。
である。
然るに、
(15)
[3]使役・尊敬の助動詞
【2】[す][さす][しむ]「す」「さす」は、口語の「セル」「サセル」にあたる。
① 使役 〈・・・・・セル・・・・・サセル〉
馬に水を飲ます。 [訳]馬に水を飲ませる。
弟に菊を植ゑさす。[訳]弟に菊を植えさせる。
馬に水を飲ましむ。[訳]馬に水を飲ませる。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、86頁改)
然るに、
(16)
「英語」や「漢文」の「それ」とは異なり、「国語」の「助動詞」は、「動詞(用言)」の「後」に来る。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
① 使〔呂蒙読(書)〕。
といふ「漢文の語順」に対する、「国語の語順」は、
① 〔呂蒙に(書を)読ま〕す。
① 〔呂蒙をして(書を)読ま〕使む。
でなければ、ならない。
従って、
(12)(17)により、
(18)
① 孫権使呂蒙読書。
といふ「漢文」が、
① 孫権 let 呂蒙 read 書。
といふ「意味」であるならば、
① 孫権使呂蒙読書。
といふ「漢文」には、
① 孫権使〔呂蒙読(書)〕。
といふ「括弧」が有って、
① 孫権使〔呂蒙読(書)〕。
といふ「漢文」に対する、「訓読の語順」は、
① 〔呂蒙をして(書を)読ま〕使む。
である。といふ、ことになる。
然るに、
(19)
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
に於いて、
② 是以=かういう理由で、
は、「接続詞」であって、
② 必=かならず
は、「副詞」であって、「副詞」は、「漢文」であっても、「国語」であっても、「補語」を、持たない。
従って、
(20)
① 孫権使〔呂蒙読(書)〕。
であっても、
② 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
であっても、
① 〔 ( ) 〕 は、
② 〔 ( ) 〕 の、ままである。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 孫権使呂蒙読書。
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
に於いて、
① は、「単純な、使役構文」であって、
② は、「複雑な、使役構文」である。
従って、
(22)
② 是以孫権必使呂蒙読書。
に於いて、
② 是以孫権必使〔呂蒙読(書)〕。
であることから、
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
に於いて、
② 是以大学始教必使〔学者即(凡天下之物)〕。莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
であるといふ風に、「予想」してみる。
然るに、
(23)
② 是以大学始教必使〔学者即(凡天下之物)〕。莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
であるならば、
② 是以大学始教必使〔学者即(凡天下之物)〕。
といふ「文」に対する、
② 莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「文」の、「関連」が、「説明」出来ない。
然るに、
(24)
② 莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
に於いて、
② 莫不因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕。
であることは、「分りやすく」、
② 莫不因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕。
であるならば、
② 莫不
は、「二重否定」であるため、
② 莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}。
であることは、「分りやすい」。
然るに、
(25)
② 是以大学始教必使〔学者即(凡天下之物)囗〕。
に於いて、
② 囗=莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}
といふ「代入」を行ふと、
② 是以大学始教必使〈学者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「補足構造」が、成立する。
然るに、
(26)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(25)(26)により、
(27)
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に、
② 是以大学始教必使〈学者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「補足構造」が、有るのであれば、「国語(日本語)」の「補足構造」は、
② 是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因りて、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
である。といふ、ことになる。
すなはち、
(28)
② 是以、大学始教、必使学者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益極之、以求至乎其極。
といふ「漢文」の、
⑥ 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「補足構造」に於いて、
② 使〈 〉⇒〈 〉使
② 即( )⇒( )即
② 莫{ }⇒{ }莫
② 不[ ]⇒[ ]不
② 因( )⇒( )因
② 極( )⇒( )極
② 求〔 〕⇒〔 〕求
② 至( )⇒( )至
といふ「移動」を行った「結果」である、
② 是以、大学始教、必〈学者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使。
に対して、「平仮名」を加へた「形」が、
② 是を以て、大学の始教は、必ず〈学者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因りて、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
である。といふ、ことになる。
然るに、
(29)
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
のやうな「漢文(大学伝五章)」は、「このような複雑な文章」といふに、相応しい。
然るに、
(30)
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
のやうに、「複雑な文章」であっても、
② 是以、大学始教必使〈学者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
のやうに、「括弧」を加へれば、例へば、
② 使 といふ「漢字の意味」が、
② 〈学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極〉
といふ「26個の漢字」に「掛ってゐる」といふことを、「簡明直截」に、知ることが出来る。
然るに、
(31)
しばしばとりあげられる〈語順〉の問題、元来はまっすぐに書かれた漢文に返り点をつけた、転倒しながら読むのは不自然だという考え方、などは、むしろ些少なことにすぎないかもしれない。かえって、語と語との修飾や支配の関係を、
是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
そこで大学での始めの教えは、学習者が天下の物すべてについて、彼がすでに知っている理を手がかりとしてますますこれをきわめ、そしてその極点にまで到達することを求めるようにせしめる(原文では、「求めないことはいっさいないように、ぜひともせしめる」)のである。
このよう複雑な文章でも、返り点があることによって、簡明直截に文字のかかり方を知ることができる。
(平凡社、日本語の歴史2、2007年、155・156頁改)
従って、
(30)(31)により、
(32)
② 是以大学始教必使学者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」に付く、
② 是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
といふ「返り点」も、
② 是以、大学始教、必使〈学者即(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ、「漢文の補足構造」に、付いてゐると、すべきである。
然るに、
(33)
進研ゼミからの回答!
こんにちは。
早速、いただいた質問についてお答えしていきましょう。
【質問の確認】
返り点がたくさんついた複雑な漢文は、どういう順番で読んだらいいのかがわからなくなります。
どうしたらいいですか?
【解説】
レ点や一二点の読み方はわかっていても一レ点や上レ点が組み合わさると一気に難しくなった気がしますね。
従って、
(34)
② 是以、大学始教、必使下学者即二凡天下之物一、 莫上レ不下因二其已知之理一、而益々極レ之、以求上レ至二乎其極一。
に付いてゐる、
② 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点」は、「中高生」には、「難しい」。
然るに、
(35)
② 是以、大学始教、使〈学者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
の場合は、
② 〈 〉の中を、「読み終へた」直後に、「使」を読み、
② ( )の中を、「読み終へた」直後に、「即」を読み、
② { }の中を、「読み終へた」直後に、「莫」を読み、
② [ ]の中を、「読み終へた」直後に、「不」を読み、
② ( )の中を、「読み終へた」直後に、「因」を読み、
② ( )の中を、「読み終へた」直後に、「極」を読み、
② 〔 〕の中を、「読み終へた」直後に、「求」を読み、
② ( )の中を、「読み終へた」直後に、「至」を読む。
といふ「ルール」が有るだけであるため、「極めて、簡単」である。
(36)
③ 盍各言汝志。
に於いて、
③ 盍=何不=なんぞ・・・ざる。
は、「再読文字」である。
然るに、
(37)
③ 盍各言汝志。
③ 何不〔各言(汝志)〕。
に於いて、
③ 〔 〕の中を、「読み終へた」直後に、「不」を読み、
③ ( )の中を、「読み終へた」直後に、「言」を読む。
といふことは、
③ 何不〔各言(汝志)〕。
といふ「語順」を、
③ 何〔各(汝志)言〕不。
といふ「語順」にした上で、「左から右へ」、
③ 何ぞ〔各々(汝の志を)言は〕ざる。
といふ風に、「読む」ことに、「等しい」。
平成29年06月29日、毛利太。
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