2017年7月15日土曜日

「代入」と「置換」と「リカージョン」。

(01)
( )は、『括弧』である。
〔 〕の中に、1個以上の( )が有るならば、『括弧』である。
[ ]の中に、1個以上の〔 〕が有るならば、『括弧』である。
{ }の中に、1個以上の[ ]が有るならば、『括弧』である。
〈 〉の中に、1個以上の{ }が有るならば、『括弧』である。
従って、
(01)により、
(02)
①  ( )
② 〔( )〕
は、『括弧』である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
③ 〔 ①( )〕
すなはち、
③ 〔( )( )〕
は、『括弧』である。
cf.
代入(substitution)、置換(replacement)。
従って、
(01)(03)により、
(04)
④ 〔( ③ )( )〕
すなはち、
④ {[〔( )( )〕]( )}
は、『括弧』である。
従って、
(01)(04)により、
(05)
⑤ {[〔( )( )〕① ]①( )}
すなはち、
⑤ {[〔( )( )〕( )]( )( )}
は、『括弧』である。
然るに、
(01)(04)により、
(06)
④ {[〔( )( )〕]( )}
から、
④       ( )  ( )
を「消去(eliminatie)」した、
⑥ {[〔( )〕( )]}
は、『括弧』である。
従って、
(01)(06)により、
(07)
⑦ 〈 ⑥ 〉
すなはち、
⑦ 〈{[〔( )〕( )]}〉
は、『括弧』である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
①     ( )
②    〔( )〕
③    〔( )( )〕
④  {[〔( )( )〕]( )}
⑤  {[〔( )( )〕( )]( )( )}
⑥  {[〔( )〕( )]}
⑦ 〈{[〔( )〕( )]}〉
等は、『括弧』であって、その他、
⑧ 〈{[〔( )( )〕( )]( )( )}〔( )( )〕{[〔( )〕( )]}〉
⑨ 〈{[〔( )( )〕( )]( )( )}〔( )( )〕{[〔( )〕〔( )( )〕( )]}〔( )( )〕( )〉
等の、「無数」の、『括弧(入れ子構造)」』が、存在する。
然るに、
(08)により、
(09)
⑤ {[〔( )( )〕( )]( )( )}
⑦ 〈{[〔( )〕( )〕]}〉
は、『括弧』であるため、
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(財銭)以済(医薬)}。
⑦ 我非〈必不{常求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉也。
は、『括弧』である。
然るに、
(10)
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(財銭)以済(医薬)}。
に於いて。
⑤ 使{ }⇒{ }使
⑤ 不[ ]⇒[ ]不
⑤ 以〔 〕⇒〔 〕以
⑤ 畜( )⇒( )畜
⑤ 憂( )⇒( )憂
⑤ 乱( )⇒( )乱
⑤ 有( )⇒( )有
⑤ 済( )⇒( )済
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(財銭)以済(医薬)}⇒
⑤ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(財銭)有以(医薬)済}使=
⑤ {籍誠をして[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(心を)乱さ]不(財銭)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ、「漢文訓読」が、成立する。
(11)
⑦ 我非〈必不{常求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
⑦ 非〈 〉⇒〈 〉非
⑦ 不{ }⇒{ }不
⑦ 求[ ]⇒[ ]求
⑦ 以〔 〕⇒〔 〕以
⑦ 解( )⇒( )解
⑦ 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 我非〈必不{常求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
⑦ 我〈必{常[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
⑦ 我は〈必ずしも{常には[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざるなり。
といふ、「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(12)
こういうロシアの入れ子人形のような性質を、コンピュータ科学や言語学、心理学、哲学などではリカージョンと呼ぶ。この問題は目下、人間や言語を理解する上でのピダハン語文法の重要性を論議するなかで、言語学や言語哲学、人類学、さらには心理学をも巻き込んだ盛んな論争の火種になっている(ダニエル・L・エベレット、ピダハン、「言語本能」を超える文化と世界観、317頁)。
従って、
(08)(12)により、
(13)
⑤ {[〔( )( )〕( )]( )( )}
⑦ 〈{[〔( )〕( )〕]}〉
のやうな『入れ子構造』は、コンピュータ科学や言語学、心理学、哲学などで言ふ所の、『リカージョン』である。
従って、
(10)(11)(13)により、
(14)
「言語学」等で言ふ所の、『リカージョンければ、例へば、
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有財銭以済医薬=
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(財銭)以済(医薬)}=
⑤ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(財銭)以済(医薬)}⇒
⑤ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(財銭)有以(医薬)済}使=
⑤ 籍をして、誠に、妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず、財銭有りて以て医薬を済さ使む。
といった「漢文訓読」は、成立しないし、
⑦ 我非必不常求以解中国語法解漢文者也=
⑦ 我非〈必不{常求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
⑦ 我〈必{常[〔(中国語)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
⑦ 我は必ずしも、常には、中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
といった「漢文訓読」も、成立しない
(15)
⑤ 使籍済医薬=籍をして医薬を済さ使む。
⑦ 我非中国人=我は中国人に非ず。
のやうな「漢文」を、「長くした」のが、例へば、
⑤ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有財銭以済医薬=籍をして、誠に、妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず、財銭有りて以て医薬を済さ使む。
⑦ 我非必不常求以解中国語法解漢文者也=我は必ずしも、常には、中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
といふ「漢文」である。
然るに、
(16)
二〇〇二年、マーク・ハウザーとノーム・チョムスキー4、テクムセ・フィッチが『サイエンス』誌に、リカージョンは人間言語に固有の要素であると発表し、リカージョンは大変な重責を担わせることとなった。三人の主張は、リカージョンが言語の豊かさのカギであり、文法上リカージョンという形の上での技巧があるために、分は制限なく長く、また無数の文を作ることができるのであるということだった(ダニエル・L・エベレット、ピダハン、「言語本能」を超える文化と世界観、317頁)。
との、ことである。
平成29年07月15日、毛利太。

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