2017年7月29日土曜日

日本人にとっての漢作文。

(01)
漢文の返り点は誰がつけているの?
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mount11030704さん2017/7/2419:13:53
漢文の返り点は誰がつけているの?
(02)
logosautou(毛利太)さん2017/7/2909:21:36
以下の画像をお読み下さい。

従って、
(03)
最初に、頭の中で、例へば、
① 能く漢文を訓読する者に非ざるよりは、返り点を漢文に付くるべからざるなり。
といふ「漢文訓読体」の「日本語」を思ひ浮かべ、その「日本語」を「漢文の語序」に従って、
② 自非能訓読漢文者則不可付返点於漢文也。<br><br>
といふ風に、「復文」し、その上で、「必要」であれば、
③ 自能訓読漢文則不返点於漢文也。
④ 自[非〔能訓‐読(漢文)者]則不[可〔付(返点於漢文)〕]也。
といふ風に、「返り点(括弧)」を、付けることになる。
然るに、
(04)
実際に漢詩・漢文を自分で書いてみればわかることだが、日本人が音読直読だけで純正漢文を書くことは、なかなかに難しい(そもそも漢文の音読直読ができる現代中国人でも、純正漢文が書ける者は少ない)(加藤徹 他、「訓読」論、2008年、265頁)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
日本人が漢文を書く場合、漢文直訳体の日本語である漢文訓読は、有力な道具となり得る(勉誠出版、「訓読」論、2008年、265頁)。
然るに、
(06)
返り点・送り仮名をつけて訓読みすることが「日本人として徹底的にわかることを意味する」というところに私は大きな衝撃を受けた。それに対して韓国でそのまま外国語として音読みし、翻訳して意味を理解する道をとった(呉善花、漢字廃止で韓国に何が起きたか、2008年、89・90頁)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
少数の天才的なひとたちあるいは秀才たちは、返り点・送り仮名をつけなくとも正確な漢文の理解に至るであろう。李氏朝鮮の儒学のレベルの高さはそういう少数の秀才や天才に負うものである。・・・・・・しかし大多数のコリア人にとって、シナの古典は近づき難い高峰であった
(渡辺昇一、『英文法を撫でる』PHP新書、頁は不明)。
従って、
(08)
日本のような漢文訓読法がなかった朝鮮では、純正漢文を読めたのは上流知識人に限られた。読書層は日本にくらべると薄く、朝鮮の対日認識は限定的なものにとどまった。極論すれば、漢文訓読法をもてなかったことが、朝鮮が近代において日本に圧倒されるようになった遠因の一つとなった(加藤徹、漢文の素養、2006年、199頁)。
従って、
(09)
「結論」として、
もし、江戸時代の日本人が、漢文を読めなかったら。もし、日本でも科挙の受験勉強のような詰め込み式漢文教育が行われていたら。たぶん日本の近代化への歩みは、ずっと困難なものになっていたことでしょう(加藤徹・北方謙三、NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心、2008年、60頁)。といふ、ことになる。
(10)
「情報」にアクセスする「手段」としての、
純正漢文」を読めたのが、一方では、上流知識人に限られてゐたのに対して、
純正漢文」を読めたのが、一方では、上流知識人に限られてゐなかったことが、「決定的」であったとするのが、加藤先生の、見識である。
平成29年07月29日、毛利太。

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