(01)
1 (1) P→Q A
2 (2)~Q A
3 (3) P A
13 (4) Q 12MPP
123(5)~Q&Q 23&I
12 (6)~P 35RAA
1 (7)~Q→~P 26CP
(8)(P→Q)→(~Q→~P) 17CP
(02)
1 (1)~Q→~P A
2 (2)P A
2 (3)~~P 2DN
12 (4)~~Q 13MTT
12 (5)Q 4DN
1 (6)P→Q 25CP
(7)(~Q→~P)→(P→Q) 16CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
(P→Q)は、(~Q→~P)に、等しい。
従って、
(03)により、
(04)
「PならばQである。」は、「QでないならばPでない。」に、等しい。
cf.
対偶(Contraposition)
従って、
(04)により、
(05)
「QならばPである。」は、「PでないならばQでない。」に、等しい。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「PならばQであり、QならばPである。」は、
「PならばQであり、PでないならばQでない。」に、等しい。
従って、
(06)により、
(07)
「PはQであり、QはPである。」は、
「PはQであり、P以外はQでない。」に、等しい。
従って、
(07)により、
(08)
「東京は日本の首都であり、日本の首都は東京である。」は、
「東京は日本の首都であり、東京以外は日本の首都ではない。」に、等しい。
然るに、
(09)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Ton SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムがメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(09)により、
(10)
①「Tokyo is the capital of Japan.」ではなく、
②「TOKYO is the capital of Japan.」であるならば、その場合は、
①「東京は日本の首都である。」ではなく、
②「東京は日本の首都であり、東京以外は日本の首都ではない。」といふ、「意味」になる。
然るに、
(11)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、
音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
(12)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
然るに、
(13)
①「は」は、「清音」であって、
②「が」は、「濁音」である。
従って、
(10)~(13)により、
(14)
①「東京は日本の首都である。」ではなく、
②「東京が日本の首都である。」であるならば、
②「東京は日本の首都であり、東京以外は日本の首都ではない。」といふ、「意味」になる。
然るに、
(15)
②「東京は日本の首都であり、日本の首都は東京である。」
従って、
(08)(15)により、
(16)
②「東京は日本の首都であり、東京以外は日本の首都ではない。」
従って、
(14)(16)により、
(17)
②「東京が日本の首都である。」
平成29年10月16日、毛利太。
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