2021年1月24日日曜日

「英文・訓読」と「括弧」について。

(01)
① 我非必不求以解中文法解漢文者也。
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
非〈 〉⇒〈 〉非
不{ }⇒{ }不
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふことによって、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
① 我〈必{[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざるなり=
① 私は〈必ずしも{[〔(中国語を)理解する法を〕用いて(漢文を)理解しようと]}しない者で〉はない。
といふ「漢文・訓読」を、得ることが出来る。
cf.
① 我非必不中文漢文也。
然るに、
(02)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
に於ける、
①〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
①〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、
①「漢文補足構造」と、
①「国語補足構造」と、
①「漢文訓読語順」を、同時に、表してゐる
(04)
②              【 『 「 《 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】
で、足りない場合は、
②              【 『 「 《 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】を、
②【 『 「 《 〈 { [ 〔 (                            ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】で「括って」、
②【 『 「 《 〈 { [ 〔 ( 【 『 「 《 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】 ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】とする。
然るに、
(05)
② I am not always a person who does not try to understand kanbun by the method of understanding chinese.
② I am《not「always a{person〈who[does(not〔try【to『understand「kanbun《by〈the[method{of〔understanding(chinese)〕]}〉》」』】)〕]}〉》」.
に於いて、
           am《 》⇒《 》am
          not「 」⇒「 」not
            a{ }⇒{ }a
       person〈 〉⇒〈 〉person
          who[ ]⇒[ ]who
         does( )⇒( )does
          not〔 〕⇒〔 〕not
          try【 】⇒【 】try
           to『 』⇒『 』to
   understand「 」⇒「 」understand
       kanbun《 》⇒《 》kanbun
           by〈 〉⇒〈 〉by
          the[ ]⇒[ ]the
           of〔 〕⇒〔 〕of
understanding( )⇒( )understanding
といふ「移動」を行ふことによって、
② I amnotalways apersonwho[doesnottry【to『understand「kanbun《by〈themethodof〔understanding(chinese)〕]}〉》」』】)〕]}〉》」⇒
② I 《「always {〈[(〔【『「《〈[{〔(chinese)understanding〕of]the}method〉by》kanbun」understand』to】try)does〕not]who}a〉person》am」not=
② 私は《「必ずしも {〈[(〔【『「《〈[{〔(中国語を)理解する〕の]その}方法〉によって》漢文を」理解する』ことを】試みようと)し〕ない}所の}一人の〉人》で」はない。
といふ「英文・訓読」を、得ることが出来る。
然るに、
(06)
この場合、
② I amnotalways apersonwho[doesnottry【to『understand「kanbun《by〈themethodof〔understanding(chinese)〕]}〉》」』】)〕]}〉》」.
に於ける、
《 「 { 〈 ( 〔 【 『 「 《 〈 [ { 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】 ) 〕 ] } 〉 》 」は、
②「 《 〈 { [ 〔 ( 【 『 「 《 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】 ) 〕 ] } 〉 》 」でなく、それ故、
《 「 { 〈( 〔 【 『 「 《 〈 [ { 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】 ) 〕 ] } 〉 》 」は、「括弧」ではない
然るに、
(07)
② I am not always a person who does not try to understand kanbun by the method of understanding chinese.
に於いて、
② am not
② a person
② the method
② does not
といふ「語」を、
③ am-not(ain't)
③ a-person
③ the-method
③ does-not(doesn't)
といふ「語」とするならば、
③ I am《not「always a{person〈who[does(not〔try【to『understand「kanbun《by〈the[method{of〔understanding(chinese)〕]}〉》」』】)〕]}〉》」.
ではなく、
③ I am-not[always a-person〔who(does-not【try『to「understand《kanbun〈by{the-method[of〔understanding(chinese)〕]}〉》」』】)〕].
といふ風に、書くことになり、この場合、
③[ 〔 ( 【 『 「 《 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」 』 】 ) 〕 ]は、「括弧」である。
然るに、
(08)
③ I am-not[always a-person〔who(does-not【try『to「understand《kanbun〈by{the-method[of〔understanding(chinese)〕]}〉》」』】)〕]⇒
③ I[always〔(【『「《〈{[〔(chinese)understanding〕of]the-method}by〉kanbun》understand」to』try】does-not)who〕a-person]am-not=
③ 私は[必ずしも〔(【『「《〈{[〔(中国語を)理解する〕の]方法}によって〉漢文を》理解する」ことを』試み】ない)所の〕人]ではない。
といふ「語順で読む」ことは、
③(I)am-not(always)a-person who does-not try to understand kanbun by the-method of understanding chinese.
といふ風に、「括弧」で括った上で、
③(I,always)に関しては、「そのままの順」で読み、
③(I,always)以外は、「からへ」読むことと、「同じ」である。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
① 我非必不求以解中文法解漢文者也。
③ I am not always a person who does not try to understand kanbun by the method of understanding chinese.
といふ「漢文」と「英文」を、
① 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
③ 私は必ずしも中国語を理解するの方法によって漢文を理解することを試みない所の人ではない。
といふ「語順」で読む場合には、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
③(I)am-not(always)a-person who does-not try to understand kanbun by the-method of understanding chinese.
といふ風に、「括弧」で、括れば良い。
然るに、
(03)(08)により、
(10)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
に於ける、
①〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
①〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、
①「漢文補足構造」と、
①「国語補足構造」と、
①「漢文訓読語順」を、同時に、表してゐるものの、その一方で、
③(I)am-not(always)a-person who does-not try to understand kanbun by the-method of understanding chinese.
に於ける、
③( )( )
は、ただ単に、「英文和訳」の際の、「語順」を示してゐるに、過ぎない
従って、
(10)により、
(11)
① 我非必不求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざるなり。
といふ風に「訓読」することと、
③ I am not always a person who does not try to understand kanbun by the method of understanding chinese.
といふ「英文」を、
③ 私は必ずしも中国語を理解するの方法によって漢文を理解することを試みない所の人ではない。
といふ風に「和訳」することは、「本質的」に、「同じ」ではない
令和03年01月24日、毛利太。

0 件のコメント:

コメントを投稿