2017年4月23日日曜日

「三段論法」の「は・が」。

(01)
「Aは」の「は」は、「清音」であって、
「A」の「」は、「音」である。
然るに、
(02)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「A」は、「Aは」に対する、「(音による)強調形」である。
然るに、
(04)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
    b.Ton SENT Mary flowers.
    c.Tom sent MARY flowers.
    d.Tom sent Mary FLOWERS.
”Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
「AはBである。」
に対する、
「ABである。」
といふ「強調形」は、
「AはBであって、A以外はBでない。」
といふ「意味」に、なるものの、そのやうな「命題」を、
排他的命題(exclusive proposition)」と言ふ。
従って、
(05)により、
(06)
① 三郎犯人である。
といふ「日本語」は、
① 三郎は犯人であって、三郎以外は犯人ではない
といふ、「意味」になる。
然るに、
(07)
問題 真理表を使って以下の推論の妥当性を判定しなさい。妥当でない推論については、そのときの要素命題の真理値を明記すること。
① 次郎か三郎犯人だ。
  次郎は犯人ではない
∴ 三郎犯人だ。 (選言三段論法)
(昭和堂、論理学の基礎、1994年、58頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 次郎か三郎犯人だ。
  次郎は犯人ではない。
∴ 三郎犯人だ。 (選言三段論法)
といふ「推論」に於ける、
① 三郎犯人である。
といふ「日本語」は、
① 三郎は犯人であって、三郎以外(次郎)は犯人ではない
といふ、「意味」になる。
然るに、
(09)
① 次郎か三郎犯人だ。
といふ、「日本語」は、
① 次郎犯人である。か、三郎犯人である。
といふ、「複合命題」である。
然るに、
(10)
① 次郎が犯人である。か、三郎が犯人である。
といふ、「複合命題」は、
② 次郎犯人でないならば、三郎犯人である。
といふ「仮言命題」と、その「対偶」である、
③ 三郎犯人でないならば、次郎犯人である。
といふ「仮言命題」に等しい。
cf.
~(~P&~Q)=P∨Q=~(~P)∨Q=~P→Q
~(~P&~Q)=Q∨P=~(~Q)∨P=~Q→P

PでないならばQである。⇔
QでないならばPである。⇔
PでなくてQでない。といふことはない。⇔
QでなくてPでない。といふことはない。
然るに、
(08)(10)により、
(11)
① 次郎か三郎犯人だ。
といふ「日本語」は、
② 次郎犯人ではなく(、次郎以外が犯人である)ならば、三郎が犯人である。
③ 三郎犯人ではなく(、三郎以外が犯人である)ならば、次郎が犯人である。
といふ、「意味」になる。
従って、
(05)(11)により、
(12)
③ 三郎犯人ではないならば、次郎が犯人である。
といふ「仮言命題」に於いて、
③ 三郎犯人ではない。
といふ「前件」は、
③ 三郎は犯人はなく(、三郎以外が犯人である)。
といふ、「排他的命題」である。
従って、
(05)(12)により、
(13)
③ 三郎犯人ではないならば、
③ 三郎犯人ならば、
に対して、
④ 三郎は犯人ではないならば、
④ 三郎は犯人ならば、
といふ風に、言はないことは、「理に適ってゐて、自然である」。
然るに、
(14)
④ 明日晴れならば、
に対して、
④ 明日は晴れならば、
とも、言はない。
然るに、
(15)
例へば、
④ 明日が晴れならば、釣りに行く。
と言ふのであれば、
④(明日以外ではなく、)明日が晴れならば、釣りに行く。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)(15)により、
(16)
④(明日以外ではなく、)明日_晴れならば、釣りに行く。
といふのであれば、
④ 明日は晴れならば、釣りに行く。
とは言はずに、
④ 明日晴れならば、釣りに行く。
と言ふことは、「理に適ってゐて、不自然ではない」。
従って、
(13)(16)により、
(17)
③ 三郎犯人ならば、次郎は犯人ではない。
④ 明日晴れならば、釣りに行く。
と言ふことは、「理に適ってゐて、自然である」。
従って、
(17)により、
(18)
③ AがBならば、Cである。
④ ABならば、Cである。
に於いて、
③ が「正しく」、
④ は「間違ひ」である。
然るに、
(19)
④ 太郎日本人ならば、東洋人である。
  太郎は日本人ではない。
∴ 太郎は東洋人ではない。
(昭和堂、論理学の基礎、1994年、58頁) 
従って、
(18)(19)により、
(20) 
④ 太郎日本人ならば、東洋人である。
といふ「例文」は、
③ 太郎日本人ならば、東洋人である。
といふ風に、書き直すべきである。
然るに、
(21)
④ 太郎は日本人ならば、太郎は東洋人である。
⑤ 太郎は日本人なので、太郎は東洋人である。
に於いて、
④ は、ともかく、
⑤ は、「日本語として、完全に、正しい」。
(22)
⑥ 太郎は日本人である。ならば、太郎は日本人である。
といふ「トートロジー」であれば、
⑥ は、「論理的に、完全に、正しい」。
然るに、
(23)
④ 太郎は日本人ならば、東洋人である。
⑤ 太郎は日本人なので、太郎は東洋人である。
⑥ 太郎は日本人である。ならば、太郎は日本人である。
といふ「例文」を、「繰り返し読んでゐる」と、「次第に、混乱し」、
④ 太郎日本人ならば、東洋人である。
といふ「日本語」も、「間違ひ」ではない(?)のではと、思へて来る。
然るに、
(24)
それでも尚、
③ ABならば、Cである。
④ ABならば、Cである。
であれば、明らかに、
③ が「正しく」、
④ は「間違ひ」である。
(25)
「私は(僕は)」を韓国語では?
韓国語で「私は(僕は)」を「나는(ナヌン)」と言います。
丁寧な言い方では「저는(チョヌン)」と言われます。
「私が(僕が)」を韓国語では?
韓国語で「私(僕)」を「내(ネ)」と言います。
丁寧な言い方では「제(チェ)」と言われます。
(coneru-web.com › 韓国語)
然るに、
(26)
(ネ)の「가()」は、「日本語」と同く、「」である。
然るに、
(27)
③ ABならば、Cである(A ga Bnaraba, Cdearu)。
を、「グーグル翻訳」に掛けたところ、
③ A B이면 C이다(Aga Bimyeon Cida).
とのことである。
然るに、
(28)
残念なことに、私自身は、「韓国語(朝鮮語)」を、全く知らない。
従って、
(09)
「日本語」の「は・」と、「韓国語(朝鮮語)」の「ヌン・」を「比較」することは、私には、出来ない。
平成29年04月23日、毛利太。

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