2017年4月29日土曜日

中国語の先生への質問。

(01)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、47頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(02)
① 我不常読中国語。
に於いて、
① 不 の「意味」が、常読中国語 に及んでゐることを、「括弧」を用ゐて、
① 我不(常読中国語)。
といふ風に、書くことにする。
(03)
① 我不(常読中国語)。
に於いて、
① 我 の「意味」は、不 を介して、(常読中国語)に及んでゐる。
(04)
② 我不(常読中国語)。
に於いて、
② 読 の「意味」が、中国語 に及んでゐることを、
② 我不〔常読(中国語)〕。
といふ風に、書くことにする。
(05)
② 我不〔常読(中国語)〕。
に於いて、
② 常 の「意味」は、読 を介して、(中国語)に及んでゐる。
然るに、
(06)
② 我不〔常読(中国語)〕。
にならって、
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
に対して、「括弧」を用ゐると、
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
といふ、ことになる。
従って、
(02)~(06)により、
(07)
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
③ 非 の「意味」は、{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}に及んでゐて、
③ 求 の「意味」は、   [以〔解(中国語)法〕解(漢文)]  に及んでゐて、
③ 以 の「意味」は、     〔解(中国語)法〕        に及んでゐて、
③ 解 の「意味」は、       (中国語)          に及んでゐて、
③ 解 の「意味」は、              (漢文)    に及んでゐる。  
従って、
(07)により、
(08)
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
に於ける、
③ 非 の「意味」が及ぶ「範囲」を確定し、
③ 求 の「意味」が及ぶ「範囲」を確定し、
③ 以 の「意味」が及ぶ「範囲」を確定し、
③ 解 の「意味」が及ぶ「範囲」を確定し、
③ 解 の「意味」が及ぶ「範囲」を確定した「結果」が、
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)者]}也。
である。
然るに、
(09)
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける「括弧」は、
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
といふ「漢文」の「補足構造」を表してゐると、「仮定」する。
然るに、
(10)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治、
中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
といふ「漢文」に、
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「補足構造」が有るのであれば、
③ 我は必ずしも中国語を解する法を以て漢文を解せんことを求むる者に非ざる也。
といふ「国語」には、
③ 我は{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ「補足構造」が、無ければならない。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
に於ける「補足構造」を、
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
のやうに、「確定」し、
(13)
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
に対して、
 非{ }⇒{ }非
 求[ ]⇒[ ]求
 以〔 〕⇒〔 〕以
 解( )⇒( )解
 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ひ、その上で、
(14)
③  は{ ずしも[〔(  を) する を〕以て(  を) せんことを] むる に} ざる
といふ風に、「平仮名」を、補ふことによって、
③ 我は{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
といふ「漢文訓読」が成立する。
然るに、
(15)
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様ものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
(16)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
(17)
かつて漢文学科だった学科や漢文学専攻は、いま、そのほとんすべてが中国文学科中国文学専攻になってしまっている。そこでは、当然、中国語も履修することになっていて、そこで学んだ方々は、古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりするもののようである。そこで、日本文学科出身の国語科の先生や、教育学部の国語専修などの出身の先生は、漢文は嫌いではないのだが、生徒からなにか、偽者のように思われて辛い、と聞くことがあったりするのである(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁)。
(18)
古来、日本人は訓読といふ方法で漢文を読んできました。訓読は漢文を読む技術として有効なだけでなく、日本語にも大きな影響を与え、漢文訓読それ自体が一つの日本文化だと言っても過言ではないでしょう。その漢文訓読が、現在、中学・高校で丁寧に教えられているとは言えません。大学においても、十分に漢文を訓読する練習をしていない学生が国語科の教員免許状を取得してしているのが実情ではないかと危惧します。―中略―、漢文訓読の灯が消えることは、日本文化にとって大きな損失です。そのような危機意識のもとに本書を著しました。本書がそれを防ぐ一助になれば幸いです(古田島洋介・湯城吉信、漢文訓読入門、平成23年、はじめに)。
従って、
(15)~(18)により、
(19)
「漢文訓読」といふ「日本語」は、ILISH の如く、絶滅に向ひつつある所の、「風前の灯」である。
然るに、
(20)
「古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりする」教師に対してであっても、例へば、
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
に於ける、
③ 非 の「意味」が及ぶ「範囲」を質問し、
③ 求 の「意味」が及ぶ「範囲」を質問し、
③ 以 の「意味」が及ぶ「範囲」を質問し、
③ 解 の「意味」が及ぶ「範囲」を質問し、
③ 解 の「意味」が及ぶ「範囲」を質問することは、可能である。
従って、
(21)
その「質問」に対する「答へ」が、
③ 非 の「意味」は、{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}に及んでゐて、
③ 求 の「意味」は、   [以〔解(中国語)法〕解(漢文)]  に及んでゐて、
③ 以 の「意味」は、     〔解(中国語)法〕        に及んでゐて、
③ 解 の「意味」は、       (中国語)          に及んでゐて、
③ 解 の「意味」は、              (漢文)    に及んでゐる。
であるならば、
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
といふ「漢文」には、
③ 我非{必求[以〔解(中国語)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「補足構造」が有る。といふ、ことになる。
従って、
(12)(13)(14)(21)により、
(22)
漢文訓読よりも、現代中国語の方が得意な、教師に対してであっても、
③ 我非必求以解中国語法解漢文者也。
といふ「漢文」に対する、「訓読」が、
③ 我は{必ずしも[〔(中国語を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざる也。
であり得るのか、といふことを、「質問」することは、可能である
従って、
(23)
漢文訓読よりも、現代中国語の方が得意な、教師に対してであっても、
(Ⅰ)で示す「漢文」に対する「訓読」が、
(Ⅱ)のやうであって、「良いのか否か」といふことを、
(Ⅲ)で示す「括弧」を用ゐて、「質問」することは、可能である
(Ⅰ)
庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰、『臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智、夐出千古。然以臣等區區管見、尚有可疑者。敢布危懇、謹疏于後、伏惟聖裁。』
一、我朝自祖宗以來、至誠事大、一遵華制。今當同文同軌之時、創‐作諺文有駭觀聽。黨曰、『諺文皆本古字、非新字也。』則字形雖倣古之篆文、用音合字、盡反於古、實無所據、若流中國、或有非‐議之者、豈不有愧於事大慕華。
一、自古九州之内、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。傳曰、『用夏變夷、未聞於夷者也。』歴代中國皆以我國有箕子遺風。文物・禮樂比擬中華。今別作諺文、捨中國而自同於夷狄。是所謂棄蘇合之香而取螗螂之丸也。豈非文明之大累哉。
一、新羅薛聰吏讀、雖爲鄙俚、然皆借中國通行之字、施於語助、與文字元不相離。故雖至胥吏僕之徒、必欲習之、先讀數書、粗知文字、然後乃用吏讀。用吏讀者、須馮文字、乃能達意。故因吏讀而知字者頗多、亦興學之一助也。若我國元不知文字、如結繩之世、則姑借諺文、以資一時之用猶可、而執正議者、必曰『與其行諺文以姑息、不如寧遲緩而習中國通行之文字、以爲久長之計也。』而況吏讀行之數千年、而簿書期會等事、無有防礎者。何用改舊行無弊之文、別創鄙諺無益之字乎。若行諺文、則爲吏者專習諺文。不顧學問文字、吏員岐而爲二。苟爲吏者以諺文而宦達、則後進皆見其如此也、以爲『二十七文字諺文足以立身於世、何須苦心勞思、窮性理之學哉。』如此則數十年之後、知文字者必少、雖能以諺文而施於吏事、不知聖賢之文字、則不學墻面、昧於事理之是非。徒工於諺文、將何用哉。我國家積累右文之化、恐漸至掃地矣。前此吏讀雖不外於文字、有識者尚且鄙之、思欲以吏文易之。而況諺文與文字暫不干渉、專用委巷俚語者乎。借使諺文自前朝有之、以今日文明之治・變魯至道之意、尚肯因循而襲之乎。必有更張之議者、此灼然可知之理也。厭舊喜新、古今通患。今此諺文不過新奇一藝耳。於學有損於治無益、反覆籌之未見其可也。
cf.
「東洋文庫、訓民正音、2010年、P136~P145」
(Ⅱ)
庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏して曰く、『臣等伏して覩るに、諺文の制作、至って(神妙)爲り、創物運智、夐かに(千古を)出づ。然れども(臣等の區區管見を)以てするに、尚ほ〔(疑ふ)可き者〕有り。敢へて(危懇を)布き、謹んで(後に)疏し、伏して(聖裁を)惟ふ。』
一、我朝(祖宗)自り以來、至誠に(大に)事へ、一に(華制に)遵ふ。今(同文同軌の時に)當り、(諺文)創‐作するに(駭きて觀聽する)有り。黨しくは曰く、『諺文は皆(古字に)本づき、(新字に)非ざるなり。』則ひ字形〔(古の篆文に)倣ふと〕雖も、(音を)用ひ(字を)合はすは、盡く(古に)反す、實に〔(據る)所〕無し、若し(中國に)流れ、或は〔(之を)非‐議する者〕有らば、豈に{[〔(大に)事へ(華を)慕ふに〕愧ずること]有ら}ざらんや。
一つ、(古)自り九州の内、風土(異なると)雖も、未だ[〔(方言に)因りて別に(文字を)爲す者〕有ら]ず。唯だ蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各々(其の字)有るは、是れ皆夷狄の事のみ、〔(道ふに)足る者〕無し。傳に曰く、『(夏を)用ひて(夷を)變ずるも、未だ[〔(夷に)變ずる者を〕聞か]ざるなり。』歴代の中國、皆(我國を)以て(箕子の遺風)有りとし、文物・禮樂は(中華)に比‐擬す。今、別に(諺文を)作り、(中國を)捨て、自ら(夷狄と)同じくす。是れ所謂(蘇合の香を)棄て(螗螂の丸)取るなり。豈に(文明の大累に)非ざらんや。
一つ、新羅の薛聰の吏讀は、〔(鄙俚)爲りと〕雖も、然れども皆(中國通行の字を)借り、(語助を)施し、(文字)と元々(相ひ離れ)ず。故に〔(至胥吏僕の徒)至ると〕雖も、必ず〔(之を)習はんと〕欲せば、先ず(數書を)讀み、粗ぼ(文字を)知りて、然る後に乃ち(吏讀を)用ゐる。(吏讀を)用ゐる者は、須らく(文字に)馮り、乃ち能く(意を)達す。故に(吏讀に)因りて(字を)知る者頗る多く、亦た興學の一助なり。若し我が國元々〔(文字を)知ら〕ず、(結繩の世の)如くんば、則ち姑く(諺文を)借り、以て(一時の用に)資するも猶ほ可なれども、(正議を)執る者、必ず曰く『〔其の(諺文を)行ひ(姑息を)以ってする〕與りは、[〔寧ろ遲緩なれども(中國通行の文字を)習ひ、以て(久長の計を)爲すに〕如か]ざるなり。』而も況んや吏讀は、(之を)行ふこと數千年にして、簿書・期會等の事、[〔(礎を)防ぐる者〕有ること]無し。何の用にか(舊行無弊の文を)改め、別に(鄙諺無益の字を)創らんむや。若し(諺文を)行はば、則ち(吏)爲る者は專ら(諺文を)習ひ。〔(學問・文字を)顧み〕ず、吏員は岐れて(二と)爲らむ。苟くも(吏)爲る者、(諺文を)以て宦達すれば、則ち後進、皆〔其の(此くの)如き〕見るや、以爲く『二十七文字の諺文[以て〔(世に)身を〕立つるに]足らば、何ぞ須く〔苦心勞思し、(性理の學を)窮む〕可きや。』(此くの)如くん則ち數十年の後、(文字を)知る者は必ず少なく、〔能く(諺文を)以て(吏事に)施すと〕雖も、〔(聖賢の文字を)知ら〕ずんば、則ち不學墻面にして、(事理の是非に)昧し。徒に(諺文に)工なるは、將た何ぞ用ひんや。我が國家積累右文の化、〔漸く(掃地するに)至るを〕恐る。(此に)前つ吏讀は[〔(文字を)外れ〕ざると]雖も、(識)有る者は尚ほ且つ(之を)鄙み、思ひて〔(吏文を)以て(之に)易へんと〕欲す。而るに況んや諺文は(文字)と暫く(干渉せ)ず、專ら(委巷の俚語を)用ゐる者をや。借-使ひ諺文(前朝)自り(之)有るとも、(今日の文明の治・變魯至道の意を)以てすら、尚ほ(因循を)肯じて(之を)襲ぬるや。必ず(更張の議)有るは、此れ灼然として可知の理なり。(舊を)厭ひ(新しきを)喜ぶは、古今の通患なり。今、此の諺文〔(新奇の一藝に)過ぎ〕ざるのみ。(學に)於て(損)有り(治)於て(益)無く、反覆して(之を)籌れども未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり。
(Ⅲ)
庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰、『臣等伏覩、諺文制作、至爲(神妙)、創物運智、夐出(千古)。然以(臣等區區管見)、尚有〔可(疑)者〕。敢布(危懇)、謹疏(于後)、伏惟(聖裁)。』
一、我朝自(祖宗)以來、至誠事(大)、一遵(華制)。今當(同文同軌之時)、創‐作(諺文)有(駭觀聽)。黨曰、『諺文皆本(古字)、非(新字)也。』則字形雖〔倣(古之篆文)〕、用(音)合(字)、盡反(於古)、實無〔所(據)〕、若流(中國)、或有〔非‐議(之)者〕、豈不{有[愧〔於事(大)慕(華)〕]}。
一、自(古)九州之内、風土雖(異)、未[有〔因(方言)而別爲(文字)者〕]。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有(其字)、是皆夷狄事耳、無〔足(道)者〕。傳曰、『用(夏)變(夷)、未[聞〔變(於夷)者〕]也。』歴代中國皆以(我國)有(箕子遺風)、文物・禮樂比‐擬(中華)。今別作(諺文)、捨(中國)而自同(於夷狄)。是所謂棄(蘇合之香)而取(螗螂之丸)也。豈非(文明之大累)哉。
一、新羅薛聰吏讀、雖〔爲(鄙俚)〕、然皆借(中國通行之字)、施(於語助)、與(文字)元不(相離)。故雖〔至(胥吏僕之徒)〕、必欲〔習(之)〕、先讀(數書)、粗知(文字)、然後乃用(吏讀)。用(吏讀)者、須馮(文字)、乃能達(意)。故因(吏讀)而知(字)者頗多、亦興學之一助也。若我國元不〔知(文字)〕、如(結繩之世)、則姑借(諺文)、以資(一時之用)猶可、而執(正議)者、必曰『與〔其行(諺文)以(姑息)〕、不[如〔寧遲緩而習(中國通行之文字)、以爲(久長之計)〕]也。』而況吏讀行(之)數千年、而簿書期會等事、無[有〔防(礎)者〕]。何用改(舊行無弊之文)、別創(鄙諺無益之字)乎。若行(諺文)、則爲(吏)者專習(諺文)。不〔顧(學問・文字)〕、吏員岐而爲(二)。苟爲(吏)者以(諺文)而宦達、則後進皆見〔其如(此)〕也、以爲『二十七文字諺文足[以立〔身(於世)〕]、何須〔苦心勞思、窮(性理之學)〕哉。』如(此)則數十年之後、知(文字)者必少、雖〔能以(諺文)而施(於吏事)〕、不〔知(聖賢之文字)〕、則不學墻面、昧(於事理之是非)。徒工(於諺文)、將何用哉。我國家積累右文之化、恐〔漸至(掃地)〕矣。前(此)吏讀雖[不〔外(於文字)〕]、有(識)者尚且鄙(之)、思欲〔以(吏文)易(之)〕。而況諺文與(文字)暫不(干渉)、專用(委巷俚語)者乎。借-使諺文自(前朝)有(之)、以(今日文明之治・變魯至道之意)、尚肯(因循)而襲(之)乎。必有(更張之議)者、此灼然可知之理也。厭(舊)喜(新)、古今通患。今此諺文不〔過(新奇一藝)〕耳。於(學)有(損)於(治)無(益)、反覆籌(之)未〔見(其可)〕也。
(24)
漢文訓読よりも、現代中国語の方が得意な、教師に対して、例へば、
④ 尚有可疑者。
に於いて、
④ 有 は、可疑者 に及んでゐて、
④ 可 は、 疑  に及んでゐる。
のか、といふ「質問」を、行ふことが、出来る。
(25)
その結果として、教師の「答へ」が、仮に、「YES」であるならば、
④ 尚有可疑者。
といふ「漢文」には、
④ 尚有〔可(疑)者〕。
といふ「補足構造」が、有ることになる。
従って、
(10)(25)により、
(26)
④ 尚有可疑者。
といふ「漢文」は、その教師の「説」により、
④ 尚〔(疑ふ)可き者〕有り。
といふ風に、「訓読」しても良い。
といふ、ことになる。
平成29年04月29日、毛利太。

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