(01)
(ⅰ)
1 (1) ∀x{人x→ ∃y(兄弟yx)} A
2 (2) ∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} A
1 (3) 人a→ ∃y(兄弟ya) 1UE
4(4) 人a&~∃y(兄弟ya) A
4(5) 人a 1&E
1 4(6) ∃y(兄弟ya) 35MPP
4(7) ~∃y(兄弟ya) 4&E
1 4(8)∃y(兄弟ya)&~∃y(兄弟ya) 67&I
12 (9)∃y(兄弟ya)&~∃y(兄弟ya) 248EE
1 (ア) ~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} 29RAA
(ⅱ)
1 (1)~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} A
2 (2) 人a A
3(3) ~∃y(兄弟ya) A
23(4) 人a&~∃y(兄弟ya) 24&I
23(5) ∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} 4EI
123(6)~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)}&
∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} 15&I
12 (7) ~~∃y(兄弟ya) 36RAA
12 (8) ∃y(兄弟ya) 7DN
1 (9) 人a→ ∃y(兄弟ya) 28CP
1 (ア) ∀x{人x→ ∃y(兄弟yx)} 1UI
(02)
(ⅱ)
1 (1)~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} A
1 (2)∀x~{人x&~∃y(兄弟yx)} 1量化子の関係
1 (3) ~{人a&~∃y(兄弟ya)} 1UE
1 (4) ~人a∨ ∃y(兄弟ya) 3ド・モルガンの法則
1 (5) ∃y(兄弟ya)∨~人a 4交換法則
1 (6) ~∃y(兄弟ya)→~人a 5含意の定義
1 (7)∀x{~∃y(兄弟yx)→~人x} 6UI
(ⅲ)
1 (1)∀x{~∃y(兄弟yx)→~人x} A
1 (2) ~∃y(兄弟ya)→~人a 1UE
1 (3) ∃y(兄弟ya)∨~人a 2含意の定義
1 (4) ~人a∨ ∃y(兄弟ya) 3交換法則
1 (5) ~{人a&~∃y(兄弟ya)} 4ド・モルガンの法則
1 (6)∀x~{人x&~∃y(兄弟yx)} 5UI
1 (7)~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)} 6量化子の関係
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ∀x{人x→ ∃y(兄弟yx)}
② ~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)}
③ ∀x{~∃y(兄弟yx)→~人x}
に於いて、
①=② であって、
②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
① すべてのxについて{xが人であるならば、あるyは(xの兄弟である)}。
② {人であって、あるyが(xの兄弟ではない)といふ、そのやうな}xは存在しない。
③ すべてのxについて{あるyが(xの兄弟ではない)ならば、xは人ではない}。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
① 人皆有兄弟=
① 人皆有(兄弟)⇒
① 人皆(兄弟)有り=
① 人には皆、兄弟が有る(論語、顔淵)。
(ⅱ)
② 無人不有兄弟=
② 無[人不〔有(兄弟)〕]⇒
② [人にして〔(兄弟の)有ら〕不るは]無し=
② 人であって、兄弟がゐないものは、無い(作例)。
(ⅲ)
③ 無兄弟非人也=
③ 無(兄弟)非(人)也⇒
③ (兄弟)無くんば(人に)非ざるなり=
③ 兄弟がゐなければ、人ではないのである(作例)。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
① ∀x{人x→ ∃y(兄弟yx)}= 人皆有兄弟(人には皆、兄弟が有る)。
② ~∃x{人x&~∃y(兄弟yx)}=無人不有兄弟(人であって、兄弟がゐないものは、無い)。
③ ∀x{~∃y(兄弟yx)→~人x}=無兄弟非人也(兄弟がゐなければ、人ではないのである)。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(07)
司馬牛憂曰、
人皆有兄弟。
我独亡。
司馬牛憂へて曰はく、
人は皆兄弟有り。
我独り亡し。
司馬牛は思い悩みながら言った。
人は皆、兄弟がいます。
私だけ、兄弟がいません。
(論語、顔淵)
従って、
(06)(07)により、
(08)
③ 兄弟がゐなければ、人ではないが、
③ 司馬牛には、兄弟がゐない。
従って、
(08)により、
(09)
③ 司馬牛には、兄弟がゐないので、
③ 司馬牛は、人ではない。
然るに、
(10)
③ 司馬牛は、人である。
cf.
?-BC481以降。氏は司馬、名は耕、字は子牛。百度百科によると姓は向。『孔子家語』によると宋の出身で、兄は孔子の命を狙った宋国司馬(元帥)の桓魋(カンタイ)だという。
(『論語』全文・現代語訳)
従って、
(09)(10)により、
(11)
③ 司馬牛は、人ではないが、
③ 司馬牛は、人である。
従って、
(06)~(11)により、
(12)
① ∀x{人x→∃y(兄弟yx)}=人皆有兄弟(人には皆、兄弟が有る)。
③ 司馬牛独亡(司馬牛といふ人だけは、兄弟がゐない)。
に於いて、
①と③ は、「矛盾」する。
然るに、
(13)
【人】ジン、ニン
③ 他人。〔論語、雍也〕己欲レ達而達レ人。
(大修館、大漢和辞典)
従って、
(13)により、
(14)
③「人」といふ漢字には、
③ 自分(己)以外の他人。
といふ「意味」がある。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① ∀x{人x→∃y(兄弟yx)}
に於ける「人」は、「人」の「意味」であって、
① 人皆有兄弟=人には皆、兄弟が有る。
に於ける「人」は、「他人(自分以外の人)」といふ「意味」である。
従って、
(12)~(15)により、
(16)
① ∀x{人x→∃y(兄弟yx)}=人皆有兄弟(人には皆、兄弟が有る)。
といふ「等式」ではなく、
① ∀x{人x→∃y(兄弟yx)}≠人皆有兄弟(人には皆、兄弟が有る)。
といふ「非等式」が、正しい。
然るに、
(17)
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる(ウィキペディア)。
然るに、
(18)
例へば、
司馬牛憂曰、
人皆有兄弟。
我独亡。
子夏曰、
商聞之矣。
死生有命、富貴在天。
君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也。
君子何患乎無兄弟也。
(論語、顔淵)
といふ「漢文」全体を、「述語論理」で記述することは、言ふ迄もなく、「可能」ではない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っているが、
漢文の一部ではなく、漢文の全域を、述語論理で記述することは、「可能」ではない。
令和03年08月21日、毛利太。
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