2021年9月25日土曜日

「私が理事長です(理事長は私です)」の「述語論理」。

(01)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 私理事長です。
② 理事長は、私である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
(ⅱ)
1  (1) 理事長→私  A
 2 (2)    ~私  A
  3(3) 理事長    A
1 3(4)     私  13MPP
123(5)  ~私&私  24&I
12 (6)~理事長    35RAA
1  (7)~私→~理事長 26CP
(ⅲ)
1  (1) ~私→~理事長  A
 2 (2)     理事長  A
  3(3) ~私       A
1 3(4)    ~理事長  13MPP
123(5) 理事長&~理事長 24&I
12 (6)~~私       35RAA
12 (7)  私       6DN
1  (8) 理事長→私    27CP
従って、
(03)により、
(04)
②  理事長→私
③ ~私→~理事長
に於いて、すなはち、
② 理事長ならば、 私である。
③ 私でないならば、理事長ではない。
に於いて、
②=③ である(対偶)。
従って、
(04)により、
(05)
② 理事長ならば、 私である。
③ 私でないならば、理事長ではない
に於いて、すなはち、
② 理事長は、私です。
③ 私以外は、理事長ではない
②=③ である(対偶)。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私は理事長であり、理事長は、私である。
③ タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は、理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(07)
④ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
⑤ すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、yとzは「同一人物」である)]。}
に於いて、
④=⑤ である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私は理事長であり、理事長は、私である。
③ タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は、理事長ではない
④ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
⑤ すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、yとzは「同一人物」である)]。}
に於いて、
①=②=③=④=⑤ である。
然るに、
(09)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)     ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)        小倉c&~私c                       A
    ア (イ)        小倉c                           ア&E
    ア (ウ)            ~私c                       ア&E
     エ(エ)               b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3スCP
1  9  (ソ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
(ⅱ)∃z(小倉z&~私z)
(ⅲ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、yとzは「同一人物」である)]。}
(ⅱ)あるzは(小倉氏であって、zは私ではない。)
(ⅲ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは(小倉氏であって、zはxの理事長ではない)。}
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
(ⅰ)タゴール記念会は、私理事長です。然るに、
(ⅱ)小倉氏は私ではない。従って、
(ⅲ)タゴール記念会は、小倉氏は理事長ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(12)
「私は、一人しかゐない。」ものの、
「私は、一人しかゐない。」といふことは、
「私以外に、私はゐない。」といふことに、他ならない。
従って、
(12)により、
(13)
② 理事長は私です。
といふのであれば、それだけで、
③ 私以外は、理事長ではない
従って、
(01)~(13)により、
(14)
いづれにせよ、
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は、私である。
③ 私は理事長であり、私以外は、理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(15)
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
といふ「言ひ方」からも分かるやうに、三上章先生は、
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は、私である。
③ 私は理事長であり、私以外は、理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
といふことに、気付いてはゐない
従って、
(15)により、
(16)
三上章先生は、
① 象はが長い。
② 象で、長いのは鼻である。
③ 象は、鼻は長く、鼻以外は長くない
に於いて、
①=②=③ である。
といふことにも、気付いてはゐない
令和03年09月25日、毛利太。

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