2022年4月26日火曜日

「千里常有而伯楽不常有」の「述語論理」。

(01)
(ⅰ)
世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有、而伯楽不常有。
故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
(ⅱ)
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖〔有(名馬)〕、祇辱〔於(奴隷人之手)〕、駢‐死〔於(槽櫪之間)〕、不〔以(千里)称〕也。
(ⅲ)
世(伯楽)有、然後(千里馬)有。
千里馬常有、而伯楽(常有)不。
故〔(名馬)有〕雖、祇〔(奴隷人之手)於〕辱、〔(槽櫪之間)於〕駢‐死、〔(千里)以称〕不也。
(ⅳ)
世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は(常には有ら)不。
故に〔(名馬)有りと〕雖へども、祇だ〔(奴隷人の手)に〕辱められ、〔(槽櫪の間)に〕駢‐死し、〔(千里を)以て称せられ〕不る也。
(ⅴ)
世の中に(名馬を見分ける)伯楽という人があってはじめて、一日に千里も走るような名馬が見いだされる。
(ところで)千里を走る名馬はいつでもいるのだが、(それを見ぬく)伯楽がいつでもいるというものではない。
そこで、もしりっぱな馬がいたとしても、(それを名馬だと見ぬく人がいなければ)ただ低い身分の馬飼いの手にかかって粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の普通の馬と)首をならべて死んでゆき、千里の名馬だとしてほめたたえられることもないのである。
(雑説・韓愈 日栄社 要説 諸子百家・文章、1970年、177頁)
然るに、
(02)
1  (1)∀x(馬x)→∃x(千里x) A
 2 (2)∀x(馬x)         A
12 (3)       ∃x(千里x) 12MPP
 2 (4)   馬a          2UE
  5(5)          千里a  A
 25(6)   馬a&千里a      45&I
 25(7)∃x(馬x&千里x)     6EI
12 (8)∃x(馬x&千里x)     35EE
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x(馬x)→∃x(千里x)
(ⅱ)∀x(馬x)
(ⅲ)∃x(馬x&千里x)
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxが馬ならば、あるxは千里である。
(ⅱ)あるxは(馬である)。 故に、
(ⅲ)あるxは(千里の馬である)。
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1  (1)~∀x{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)}  A
1  (2)∃x~{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)}  1量化子の関係
 3 (3)  ~{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)}  A
  4(4)   ~(千里a&馬a)∨ ∃y(伯楽y& 飼ya)   A
  4(5)    (千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)   4含意の定義
 34(6)  ~{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)}&
         {(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)}  35&I
 3 (7) ~{~(千里a&馬a)∨ ∃y(伯楽y& 飼ya)}  46RAA
 3 (8)    (千里a&馬a)&~∃y(伯楽y& 飼ya)}  7ド・モルガンの法則
 3 (9)    (千里a&馬a)                 8&E
 3 (ア)             ~∃y(伯楽y& 飼ya)   8&E
 3 (イ)             ∀y~(伯楽y& 飼ya)   ア量化子の関係
 3 (ウ)               ~(伯楽b& 飼ba)   イUE
 3 (エ)                ~伯楽b∨~飼ba    ウ、ド・モルガンの法則
 3 (オ)                 伯楽b→~飼ba    エ含意の定義
 3 (カ)              ∀y(伯楽y→~飼ya)   オUI
 3 (キ)    (千里a&馬a)& ∀y(伯楽y→~飼ya)   9カ&I
 3 (ク) ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)}  キEI
1  (ケ) ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)}  13クEE
(ⅱ)
1  (1) ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)}  A
1  (2)    (千里a&馬a)& ∀y(伯楽y→~飼ya)   A
1  (3)    (千里a&馬a)                 2&E
1  (4)              ∀y(伯楽y→~飼ya)   2&E
1  (5)                 伯楽b→~飼ba    4UE
1  (6)                ~伯楽b∨~飼ba    5含意の定義
1  (7)               ~(伯楽b& 飼ba)   6ド・モルガンの法則
1  (8)             ∀y~(伯楽y& 飼ya)   7UI
1  (9)             ~∃y(伯楽y& 飼ya)   8量化子の関係
1  (ア)    (千里a&馬a)&~∃y(伯楽y& 飼ya)   39&I
 イ (イ)    (千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)   A
1  (ウ)    (千里a&馬a)                 ア&E
1イ (エ)              ∃y(伯楽y& 飼ya)   イウMPP
 イ (オ)             ~∃y(伯楽y& 飼ya)   ア&E
1イ (カ)∃y(伯楽y& 飼ya)&~∃y(伯楽y& 飼ya)   エオ&I
1  (キ)  ~{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)}  イカRAA
1  (ク)∃x~{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)}  キEI
1  (ケ)~∀x{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)}  ク量化子の関係
従って、
(04)により、
(05)
① ~∀x{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)}
②  ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて{(xが千里で、xが馬である)ならば、あるyは(伯楽であって、xを飼ふ)}といふわけではない。
②      あるxは{(千里であって、馬である)が、いかなるyであっても(yが伯楽であるならば、yはxを飼はない)}。
に於いて、すなはち、
①{すべての千里の馬に対して、それを飼ふ伯楽がゐる}といふわけではない。
② ある{千里の馬は、伯楽によって飼はれるといふことがない}。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)(05)により、
(06)
(ⅰ)  ∀x(馬x)→∃x(千里x)
(ⅱ)  ∀x(馬x)
(ⅲ)  ∃x(千里x&馬x)
(ⅳ)~∀x{(千里x&馬x)→∃y(伯楽y&飼yx)}
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)すべてのxが馬ならば、あるxは千里である。
(ⅱ)あるxは(馬である)。   故に、
(ⅲ)あるxは(千里の馬である)。然るに、
(ⅳ)すべてのxについて{(xが千里で、xが馬である)ならば、あるyは(伯楽であって、xを飼ふ)}といふわけではない。
といふ「意味」である。
然るに、
(01)により、
(07)
「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」
といふ「漢文」は、
「世の中に伯楽という人があってはじめて、一日に千里も走るような名馬が見いだされる。千里を走る名馬はいつでもいるのだが、伯楽がいつでもいるというものではない。」
といふ「意味」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」
といふ「漢文」は、「述語論理」としては、概ね
「∀x(馬x)→∃x(千里x),∀x(馬x)├ ∃x(千里x&馬x),~∀x{(千里x&馬x)→∃y(伯楽y&飼yx)}」
といふ「意味」である。
然るに、
(09)
現在のコンピュータ、人工知能にも原理的にできないことがあります。述語論理の演繹かどうかの判定なんて、絶対できないです
(佐野 勝彦 北海道大学大学院文学研究院哲学倫理学研究室 准教授)
従って、
(08)(09)により、
(10)
私には出来るのに、AIは、「原理的」に、
「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」
のやうな「漢文」を、「述語論理」には、「翻訳」出来ないやうであるが、
何となく、本当だらうかと、思はれる。
令和04年04月26日、毛利太。

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