(01)
(ⅰ)
世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有、而伯楽不常有。
故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
(ⅱ)
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖〔有(名馬)〕、祇辱〔於(奴隷人之手)〕、駢‐死〔於(槽櫪之間)〕、不〔以(千里)称〕也。
(ⅲ)
世(伯楽)有、然後(千里馬)有。
千里馬常有、而伯楽(常有)不。
故〔(名馬)有〕雖、祇〔(奴隷人之手)於〕辱、〔(槽櫪之間)於〕駢‐死、〔(千里)以称〕不也。
(ⅳ)
世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は(常には有ら)不。
故に〔(名馬)有りと〕雖へども、祇だ〔(奴隷人の手)に〕辱められ、〔(槽櫪の間)に〕駢‐死し、〔(千里を)以て称せられ〕不る也。
(ⅴ)
世の中に(名馬を見分ける)伯楽という人があってはじめて、一日に千里も走るような名馬が見いだされる。
(ところで)千里を走る名馬はいつでもいるのだが、(それを見ぬく)伯楽がいつでもいるというものではない。
そこで、もしりっぱな馬がいたとしても、(それを名馬だと見ぬく人がいなければ)ただ低い身分の馬飼いの手にかかって粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の普通の馬と)首をならべて死んでゆき、千里の名馬だとしてほめたたえられることもないのである。
(雑説・韓愈 日栄社 要説 諸子百家・文章、1970年、177頁)
然るに、
(02)
1 (1)∀x(馬x)→∃x(千里x) A
2 (2)∀x(馬x) A
12 (3) ∃x(千里x) 12MPP
2 (4) 馬a 2UE
5(5) 千里a A
25(6) 馬a&千里a 45&I
25(7)∃x(馬x&千里x) 6EI
12 (8)∃x(馬x&千里x) 35EE
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x(馬x)→∃x(千里x)
(ⅱ)∀x(馬x)
(ⅲ)∃x(馬x&千里x)
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxが馬ならば、あるxは千里である。
(ⅱ)あるxは(馬である)。 故に、
(ⅲ)あるxは(千里の馬である)。
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1)~∀x{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)} A
1 (2)∃x~{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)} 1量化子の関係
3 (3) ~{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)} A
4(4) ~(千里a&馬a)∨ ∃y(伯楽y& 飼ya) A
4(5) (千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya) 4含意の定義
34(6) ~{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)}&
{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)} 35&I
3 (7) ~{~(千里a&馬a)∨ ∃y(伯楽y& 飼ya)} 46RAA
3 (8) (千里a&馬a)&~∃y(伯楽y& 飼ya)} 7ド・モルガンの法則
3 (9) (千里a&馬a) 8&E
3 (ア) ~∃y(伯楽y& 飼ya) 8&E
3 (イ) ∀y~(伯楽y& 飼ya) ア量化子の関係
3 (ウ) ~(伯楽b& 飼ba) イUE
3 (エ) ~伯楽b∨~飼ba ウ、ド・モルガンの法則
3 (オ) 伯楽b→~飼ba エ含意の定義
3 (カ) ∀y(伯楽y→~飼ya) オUI
3 (キ) (千里a&馬a)& ∀y(伯楽y→~飼ya) 9カ&I
3 (ク) ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)} キEI
1 (ケ) ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)} 13クEE
(ⅱ)
1 (1) ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)} A
1 (2) (千里a&馬a)& ∀y(伯楽y→~飼ya) A
1 (3) (千里a&馬a) 2&E
1 (4) ∀y(伯楽y→~飼ya) 2&E
1 (5) 伯楽b→~飼ba 4UE
1 (6) ~伯楽b∨~飼ba 5含意の定義
1 (7) ~(伯楽b& 飼ba) 6ド・モルガンの法則
1 (8) ∀y~(伯楽y& 飼ya) 7UI
1 (9) ~∃y(伯楽y& 飼ya) 8量化子の関係
1 (ア) (千里a&馬a)&~∃y(伯楽y& 飼ya) 39&I
イ (イ) (千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya) A
1 (ウ) (千里a&馬a) ア&E
1イ (エ) ∃y(伯楽y& 飼ya) イウMPP
イ (オ) ~∃y(伯楽y& 飼ya) ア&E
1イ (カ)∃y(伯楽y& 飼ya)&~∃y(伯楽y& 飼ya) エオ&I
1 (キ) ~{(千里a&馬a)→ ∃y(伯楽y& 飼ya)} イカRAA
1 (ク)∃x~{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)} キEI
1 (ケ)~∀x{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)} ク量化子の関係
従って、
(04)により、
(05)
① ~∀x{(千里x&馬x)→ ∃y(伯楽y& 飼yx)}
② ∃x{(千里x&馬x)& ∀y(伯楽y→~飼yx)}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて{(xが千里で、xが馬である)ならば、あるyは(伯楽であって、xを飼ふ)}といふわけではない。
② あるxは{(千里であって、馬である)が、いかなるyであっても(yが伯楽であるならば、yはxを飼はない)}。
に於いて、すなはち、
①{すべての千里の馬に対して、それを飼ふ伯楽がゐる}といふわけではない。
② ある{千里の馬は、伯楽によって飼はれるといふことがない}。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)(05)により、
(06)
(ⅰ) ∀x(馬x)→∃x(千里x)
(ⅱ) ∀x(馬x)
(ⅲ) ∃x(千里x&馬x)
(ⅳ)~∀x{(千里x&馬x)→∃y(伯楽y&飼yx)}
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)すべてのxが馬ならば、あるxは千里である。
(ⅱ)あるxは(馬である)。 故に、
(ⅲ)あるxは(千里の馬である)。然るに、
(ⅳ)すべてのxについて{(xが千里で、xが馬である)ならば、あるyは(伯楽であって、xを飼ふ)}といふわけではない。
といふ「意味」である。
然るに、
(01)により、
(07)
「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」
といふ「漢文」は、
「世の中に伯楽という人があってはじめて、一日に千里も走るような名馬が見いだされる。千里を走る名馬はいつでもいるのだが、伯楽がいつでもいるというものではない。」
といふ「意味」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」
といふ「漢文」は、「述語論理」としては、概ね、
「∀x(馬x)→∃x(千里x),∀x(馬x)├ ∃x(千里x&馬x),~∀x{(千里x&馬x)→∃y(伯楽y&飼yx)}」
といふ「意味」である。
然るに、
(09)
現在のコンピュータ、人工知能にも原理的にできないことがあります。述語論理の演繹かどうかの判定なんて、絶対できないです。
(佐野 勝彦 北海道大学大学院文学研究院哲学倫理学研究室 准教授)
従って、
(08)(09)により、
(10)
私には出来るのに、AIは、「原理的」に、
「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」
のやうな「漢文」を、「述語論理」には、「翻訳」出来ないやうであるが、
何となく、本当だらうかと、思はれる。
令和04年04月26日、毛利太。
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