(01)
① 無象非動物(象にして動物に非ざるは無し)。
② 象者動物也(象は動物なり)。
③ 弟子不必不如師(弟子は必ずしも師に如かずんばあらず)。
④ 弟子有大於其師者(弟子に其の師よりも大なる者有り)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(02)
①(xが象であって、xが動物ではない)といふ、そのやうなxは存在しない。
② すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
③(すべてのxについて(xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない))といふわけではない。
④ あるxは弟子であって、すべてのyについて(yがxの師であるならば、xはy以上である)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(03)
① ~∃x(象x&~動物x)
② ∀x(象x→ 動物x)
③ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
④ ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)}
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1)~∃x(象x&~動物x) A
2 (2) 象a&~動物a A
2 (3) ∃x(象x&~動物x) A
12 (4)~∃x(象x&~動物x)&
∃x(象x&~動物x) 13&I
1 (5) ~(象a&~動物a) 2RAA
6 (6) 象a A
7(7) ~動物a A
67(8) 象a&~動物a 67&I
167 (9) ~(象a&~動物a)&
(象a&~動物a) 58&I
16 (ア) ~~動物a 79RAA
16 (イ) 動物a アDN
1 (ウ) 象a→ 動物a 6イCP
1 (エ) ∀x(象x→ 動物x) ウUI
(ⅱ)
1 (1) ∀x(象x→ 動物x) A
1 (2) 象a→ 動物a A
3 (3) ∃x(象x&~動物x) A
4 (4) 象a&~動物a A
4 (5) 象a 4&E
1 4 (6) 動物a 25MPP
4 (7) ~動物a 4&E
1 4 (8) 動物a&~動物a 67&I
4 (9)~∀x(象x→ 動物x) 18RAA
1 4 (ア) ∀x(象x→ 動物x)&
~∀x(象x→ 動物x) 19&I
13 (イ) ∀x(象x→ 動物x)&
~∀x(象x→ 動物x) 34EE
1 (ウ)~∃x(象x&~動物x) 3イRAA
(ⅲ)
1 (1)~∀x{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} A
1 (2)∃x~{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)} 1量化子の関係
3 (3) ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} A
4(4) ~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y) A
4(5) 弟子a→ ∃y(師ya&a<y) 4含意の定義
34(6) ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)}&
{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)} 35&I
3 (7) ~{~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y)} 46RAA
3 (8) 弟子a&~∃y(師ya&a<y) 7ド・モルガンの法則
3 (9) 弟子a 8&E
3 (ア) ~∃y(師ya&a<y) 8&E
3 (イ) ∀y~(師ya&a<y) ア量化子の関係
3 (ウ) ~(師ba&a<b) イUE
3 (エ) ~師ba∨a≧b ウ、ド・モルガンの法則
3 (オ) 師ba→a≧b エ含意の定義
3 (カ) ∀y(師ya→a≧y) オUI
3 (キ) 弟子a& ∀y(師ya→a≧y) 9カ&I
3 (ク) ∃x{弟子x& ∀y(師yx→x≧y)} キEI
1 (ケ) ∃x{弟子x& ∀y(師yx→x≧y)} 13クEE
(ⅳ)
1 (1) ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)} A
2 (2) 弟子a&∀y(師ya→a≧y) A
2 (3) 弟子a 2&E
2 (4) ∀y(師ya→a≧y) 2&E
2 (5) 師ba→a≧b 4UE
2 (6) ~師ba∨a≧b 5含意の定義
2 (7) ~(師ba&a<b) 6ド・モルガンの法則
2 (8) ∀y~(師ya&a<y) 7UI
2 (9) ~∃y(師ya&a<y) 8量化子の関係
ア(ア) 弟子a→∃y(師ya&a<y) A
2ア(イ) ∃y(師ya&a<y) 3アMPP
2ア(ウ) ~∃y(師ya&a<y)&
∃y(師ya&a<y) 9イ&I
2 (エ) ~{弟子a→∃y(師ya&a<y)} アウRAA
2 (オ) ∃x~{弟子x→∃y(師yx&x<y)} エEI
1 (カ) ∃x~{弟子x→∃y(師yx&x<y)} 12オEE
1 (キ) ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)} カ量化子の関係
従って、
(03)(04)により、
(05)
果たして、
① ~∃x(象x&~動物x)
② ∀x(象x→ 動物x)
③ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
④ ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)}
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 無象非動物。
② 弟子不必不如師。
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に於いて、
①=③ であって、
②=④ である。
然るに、
(07)
言ふまでもなく、
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
といふ「述語論理式」は、「人工言語」である。
然るに、
(08)
日本語や英語、中国語(現代でなく、過去の中国語も含む)は、自然言語である。しかし漢文は、自然言語を土台にした人工言語だ(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
① 無象非動物。
② 弟子不必不如師。
といふ「漢文」も、「人工言語」である。
然るに、
(10)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた術語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかももたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
Flexibility of mind is generally required for translating from ordinary speech into sentences of the predicate calculus. No firm rules can be given, and practice is needed before full familiarity with quantifiers is reached. The activity involved is one of translation; but the formal language into which translation is being made has a rather different from that of a natural language,and has only a narrow terminology―logical connectives, variables, proper names, predicate-letters, and two quantifiers. The chief merit of the language is that, despite its notational limitations, it has a very wide expressive power(E.J.Lemmon, Beginning Logic, First published in Great Britain 1965).
(11)
記号論理学は、英語などヨーロッパ語を母国語とする文化圏でもっぱら開発された学門であるにもかかわらず、論理学者の母語よりも日本語のような外国語の文法に合致している部分が少なくない(もちろん逆もある)。このことは、論理学が、ローカルな日常言語ではなく言語的な普遍論理をかなり再現しおおせている証しと言えるだろう(三浦俊彦、ラッセルのパラドックス、2005年、105頁)。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に於いて、これらは、4つとも、「人工言語」であるが、
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に関しては、それを「理解」する際に、「英語が出来ること」は、「アドバンテージ」にはならない。
然るに、
(13)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
(14)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください。
(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に於いて、これらは、4つとも、「人工言語」であるが、
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
に関しては、それを「理解」する際に、「中国語が出来ること」が、「アドバンテージ」になる。
といふ風に、「京都大学の漢文の先生」は、思ってゐる。
然るに、
(16)
③ ~∃x(Zx&~Dx)
④ ~∀x{Tx→∃y(Syx&x<y)}
といふ「式」がさうであるやうに、固より、「人工言語」は、「英語」で読んでも、「日本語」で読んでも、「中国語」で読んでも、「支障」は無い。
従って、
(15)(16)により、
(17)
「京都大学の漢文の先生」は、
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
といふ「漢文」を、「人工言語」ではなく、「自然言語」である。
といふ風に、思ってゐる。
令和04年03日、毛利太。
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