2024年2月19日月曜日

「ある入門書」にある「論理学」の「例題」。

(01)
他方、ヴェン図は、三段論法の枠にはまらない推論にも使える。
たとえば、次の推論を考えてみよう。
  哲学者はみなエゴイストであるか嘘つきである。
  すべての哲学者は嘘つきであるとは限らない。
∴ あるエゴイストは嘘つきではない。
(昭和堂入門選書25、論理学基礎、1994年、112頁)
然るに、
(02)
① 哲学者はみなエゴイストであるか嘘つきである。
② 嘘つきでない哲学者はエゴイストである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
① すべての哲学者は嘘つきであるとは限らない。
② 嘘つきでない哲学者がゐる。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 哲学者はみなエゴイストであるか嘘つきである。
② すべての哲学者は嘘つきであるとは限らない。
といふことは、
① 嘘つきでない哲学者はエゴイストである。
② 嘘つきでない哲学者がゐる。
といふことに、「他ならない」。
然るに、
(05)
① 嘘つきでない哲学者はエゴイストである。
② 嘘つきでない哲学者がゐる。
といふことは、
③ 嘘つきでない哲学者がゐるが、嘘つきでない哲学者はエゴイストである。
といふことである。
然るに、
(06)
③ 嘘つきでない哲学者がゐるが、嘘つきでない哲学者はエゴイストである。
といふことは、
③ 嘘つきでない哲学者がゐて、その哲学者はエゴイストである。
といふことである。
然るに、
(07)
③ 嘘つきでない者がゐて、その者はエゴイストである。
といふのであれば、
② あるエゴイストは嘘つきではない。
といふ、ことになる。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
「日本語」で考へる限り、たしかに、
  哲学者はみなエゴイストであるか嘘つきである。
  すべての哲学者は嘘つきであるとは限らない。
∴ あるエゴイストは嘘つきではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(09)
1  (1) ∀x(哲学者x→ エゴイストx∨嘘つきx) A
 2 (2)~∀x(哲学者x→ 嘘つきx)        A
1  (3)    哲学者a→ エゴイストa∨嘘つきa  1UE
 2 (4)∃x~(哲学者x→ 嘘つきx)        2量化子の関係
  5(5)  ~(哲学者a→ 嘘つきa)        A
  5(6) ~(~哲学者a∨ 嘘つきa)        5含意の定義
  5(7)    哲学者a&~嘘つきa         6ド・モルガンの法則
  5(8)    哲学者a               7&E
  5(9)         ~嘘つきa         7&E
1 5(ア)          エゴイストa∨嘘つきa  38MPP
1 5(イ)          嘘つきa∨エゴイストa  ア交換法則
1 5(ウ)        ~~嘘つきa∨エゴイストa  イDN
1 5(エ)         ~嘘つきa→エゴイストa  ウ含意の定義
1 5(オ)               エゴイストa  9エMPP
1 5(カ)         エゴイストa&~嘘つきa  9オ&I
1 5(キ)      ∃x(エゴイストx&~嘘つきx) カEI
12 (ク)      ∃x(エゴイストx&~嘘つきx) 45キEE
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ) ∀x(哲学者x→ エゴイストx∨嘘つきx)。然るに、
(ⅱ)~∀x(哲学者x→ 嘘つきx)。 従って、
(ⅲ) ∃x(エゴイストx&~嘘つきx)。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて(xが哲学者であるならば、xはエゴイストであるか、または、xは嘘つきである)。然るに、
(ⅱ)すべてのxについて(xが哲学者であるならば、xは嘘つきである)といふわけではない。従って、
(ⅲ)  あるxについて(xはエゴイストであるが、xは嘘つきではない)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
  哲学者はみなエゴイストであるか嘘つきである。
  すべての哲学者は嘘つきであるとは限らない。
∴ あるエゴイストは嘘つきではない。
といふ「推論」は、「日本語」で考へても、「述語論理」で「計算」しても、「妥当」である。
然るに、
(12)
法律家、つまり弁護士とか裁判官とか検事などは、
自分たちが論理を得意とすると思っているようです。
(横浜の弁護士のブログ)
従って、
(11)(12)により、
(13)
「弁護士とか裁判官とか検事」などは、
  原告はみなエゴイストであるか嘘つきである。
  すべての原告は嘘つきであるとは限らない。
∴ あるエゴイストは嘘つきではない。
といふ「推論」に接した際に、「この推論は妥当」である。
といふことを、「直ちに判定」出来ることが「期待」される。
然るに、
(14)
でも、他分野の学問にそれなりに触れた人にとっては、
法律家が論理を理解しているようには思えないと思います。
むしろ、法律学というのは極めて非論理的なものという印象を抱くのではないでしょうか
然るに、
(15)
短答式試験の試験科目は、民法、憲法、刑法の計3科目です。
論文式試験の試験科目は、憲法、行政法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法、選択科目の系8科目です。
といふ風に、「司法試験の試験科目」に「論理学」は無い
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
大変、「由々しきこと」ではあるものの、恐らくは、ある裁判官は、
  原告はみなエゴイストであるか嘘つきである。
  すべての原告は嘘つきであるとは限らない。
∴ あるエゴイストは嘘つきではない。
といふ「推論」に接した際に、「この推論は妥当」である。
といふことを、「直ちに判定」出来るとは、限らない(!?)。
令和6年2月19日、毛利太。

0 件のコメント:

コメントを投稿