(01)
① 我毎朝与友乗車行於職場。
② I go to work with my friend by car every morning.
然るに、
(02)
① 我毎朝与(友)乗(車)行〔於(職場)〕。
に於いて、
① 与( )⇒( )与
① 乗( )⇒( )乗
① 行〔 〕⇒〔 〕行
① 於( )⇒( )於
といふ「移動」を行ふと、
① 我毎朝与(友)乗(車)行〔於(職場)〕⇒
① 我毎朝(友)与(車)乗〔(職場)於〕行=
① 私は毎朝(友人)と(車に)乗り〔(職場)に〕行く。
然るに、
(03)
② I go「to《work〈with{my‐friend[by〔car(every morning)〕]}〉》」.
に於いて、
② go「 」⇒「 」go
② to《 》⇒「 」to
② work〈 〉⇒〈 〉work
② with{ }⇒{ }with
② my‐friend[ ]⇒[ ]my‐friend
② by〔 〕⇒〔 〕by
② car( )⇒( )car
② I 「《〈{[〔(every morning)car〕by]my‐friend}with〉work》to」go=
② 私は「《〈{[〔(毎朝)車〕で]友人}と〉職場》へ」行く。
然るに、
(04)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
然るに、
(05)
② car(every morning)
② my‐friend[by〔car(every morning)〕]
② work〈with{my‐friend[by〔car(every morning)〕]}〉
に於いて、すなはち、
② 車(毎朝)
② 友人[車で毎朝]
② 仕事〈毎朝車で友人と〉
に於いて、
② (毎朝)
② [車で毎朝]
② 〈毎朝車で友人と〉
といふ「句」は、
② 車
② 友人
② 仕事
といふ「語」の、「補語(補足語)」ではない。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 我毎朝与(友)乗(車)行〔於(職場)〕。
に於ける、
①( )( )〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、
① 我毎朝与友乗車行於職場。
といふ「漢文」の「補足構造」を表してゐて、
② I go「to《work〈with{my‐friend[by〔car(every morning)〕]}〉》」.
に於ける、
②「 《 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉 》 」
といふ「括弧」は、
② I go to work with my friend by car every morning.
といふ「英文」の「補足構造」を表してはゐない。
然るに、
(07)
② I go to work with my friend by car every morning.
に対する、
② I go〔to(work)〕with(my friend)by(car)every morning.
であるならば、「括弧」は、「補足構造」を表してゐる。
然るに、
(08)
② I go〔to(work)〕with(my friend)by(car)every morning.
の場合は、
② go〔 〕⇒〔 〕go
② to( )⇒( )to
② with( )⇒( )with
② by( )⇒( )by
といふ「移動」を行ったとしても、
② I go to work with my friend by car every morning=
② I go〔to(work)〕with(my friend)by(car)every morning⇒
② I 〔(work)to〕go(my friend)with(car)byevery morning=
② 私は 〔(仕事)へ〕行く(友人)と(車)で毎朝。
といふ「語順」なるため、「漢文」のやうに、
① 我毎朝与友乗車行於職場=
① 我毎朝与(友)乗(車)行〔於(職場)〕⇒
① 我毎朝(友)与(車)乗〔(職場)於〕行=
① 私は毎朝(友人)と(車に)乗り〔(職場)に〕行く。
といふ「語順」には、ならない。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
例へば、
① 我毎朝与(友)乗(車)行〔於(職場)〕。
② I go「to《work〈with{my‐friend[by〔car(every morning)〕]}〉》」.
といふ場合がさうであるやうに、
②「英文を和文の語順に変換する際の、括弧の種類」は、
①「漢文を和文の語順に変換する際の、括弧の種類」よりも、「多くならざるを得ない」。
加へて、
(10)
例へば、
During the past seventy five years since Japan's closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of‘but also's’ever used for any nation of the world(ルース・ベネディクト、菊と刀、1946年).
がさうであるように、「英文は、センテンスが長くなる、傾向がある」。
従って、
(09)(10)により、
(11)
③ During{the‐past‐seventy‐five‐years[since〔Japan's closed doors were(opened)〕},the Japanese have【been『described「in《the‐most‐fantastic‐series‐of‐‘but also's〈ever used{for[any nation〔of(the world)〕]}〉》」』】⇒
③{[〔Japan's closed doors(opened)were〕since]the‐past‐seventy‐five‐years}During,the Japanese【『「《〈ever{[〔(the world)of〕any‐nation]for}used〉the‐most‐fantastic‐series‐of‐‘but also's》in」described』been】have=
③{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去‐七十‐五‐年}の間、日本人は【『「《〈嘗て{[〔(世界)の〕どの国民]に対して}使はれたよりも〉最も‐途方もない‐一連‐の‐「しかし一方では」の句》によって」描写』されて】来た。
等がさうであるように、「括弧を用ひて、英文を和文の語順に変換する」際には、「極めて、多くの括弧を、必要とする」。
令和元年08月26日、毛利太。
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