(01)
(ⅰ)
1 (1) ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]} A
1 (2) 象a→ ∃y(鼻ya&長y)&~[∃y(鼻ya&長y)→象a] 1UE
1 (3) 象a→ ∃y(鼻ya&長y) 2&E
4 (4) 象a&~∃y(鼻ya&長y) A
4 (5) 象a 4&E
14 (6) ∃y(鼻ya&長y) 35MPP
4 (7) ~∃y(鼻ya&長y) 4&E
14 (8) ∃y(鼻ya&長y)&~∃y(鼻ya&長y) 67&I
1 (9) ~[象a&~∃y(鼻ya&長y)] 48RAA
1 (ア) ~[∃y(鼻ya&長y)→象a] 2&E
イ(イ) ~∃y(鼻ya&長y)∨象a A
イ(ウ) ∃y(鼻ya&長y)→象a イ含意の定義
1 イ(エ) ~[∃y(鼻ya&長y)→象a]&
[∃y(鼻ya&長y)→象a] アウ&I
1 (オ) ~[~∃y(鼻ya&長y)∨象a] イエRAA
1 (カ) ∃y(鼻ya&長y)&~象a オ、ド・モルガンの法則
1 (キ) ~象a&∃y(鼻ya&長y) カ交換法則
1 (ク) ~[象a&~∃y(鼻ya&長y)]&[~象a&∃y(鼻ya&長y)] 9キ&I
1 (ケ)∀x{~[象x&~∃y(鼻yx&長y)]&[~象x&∃y(鼻yx&長y)]} クUI
(ⅱ)
1 (1)∀x{~[象x&~∃y(鼻yx&長y)]&[~象a&∃y(鼻ya&長y)]} カUI
1 (2) ~[象a&~∃y(鼻ya&長y)]&[~象a&∃y(鼻ya&長y)] 1UE
1 (3) ~[象a&~∃y(鼻ya&長y)] 2&E
4 (4) 象a A
5 (5) ~∃y(鼻ya&長y) A
45 (6) 象a&~∃y(鼻ya&長y) 45&I
145 (7) ~[象a&~∃y(鼻ya&長y)]&[象a&~∃y(鼻ya&長y)] 36&I
14 (8) ~~∃y(鼻ya&長y) 57RAA
14 (9) ∃y(鼻ya&長y) 8DN
1 (ア) 象a→ ∃y(鼻ya&長y) 49CP
1 (イ) [~象a&∃y(鼻ya&長y)] 2&E
1 (ウ) ∃y(鼻ya&長y)&~象a イ交換法則
エ(エ) ∃y(鼻ya&長y)→ 象a A
1 (オ) ∃y(鼻ya&長y) ウ&E
1 エ(カ) 象a エオ&I
1 (キ) ~象a ウ&E
1 エ(ク) 象a&~象a カキ&I
1 (ケ) ~[∃y(鼻ya&長y)→象a] エクRAA
1 (コ) 象a→ ∃y(鼻ya&長y)&~[∃y(鼻ya&長y)→象a] アケ&I
1 (サ) ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]} コUI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y) &~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}
② ∀x{~[象x&~∃y(鼻yx&長y)]&[~象x&∃y(鼻yx&長y)]}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyは、xの鼻であって、長い、ものの、あるyがxの鼻であって、長いならば、xは象である、といふわけではない。
② すべてのxについて、xが象であって、あるyがxの鼻であって、yが長くない、といふことはないが、xが象でなくとも、yがxの鼻であって、長い、といふことはある。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyは、xの鼻であって、長い、ものの、あるyがxの鼻であって、長いならば、xは象である、といふわけではない。
② すべてのxについて、xが象であって、あるyがxの鼻であって、yが長くない、といふことはないが、xが象でなくとも、yがxの鼻であって、長い、といふことはある。
といふことは、要するに、
① 象の鼻は長いが、象以外の鼻も長い。
② 象の鼻は長いが、象以外の鼻も長い。
といふ、ことである。
然るに、
(04)
① 象の鼻は長いが、象以外の鼻も長い。
といふことは、
① 象も、鼻は長い。
といふ、ことである。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 象も鼻は長い。⇔
① 象の鼻は長いが、象以外の鼻も長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyは、xの鼻であって、長い、ものの、あるyがxの鼻であって、長いならば、xは象である、といふわけではない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(05)により、
(06)
① 象の鼻は長いが、象以外の鼻も長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}。
であるため、
① 象以外の鼻も長い。⇔
① ~[∃y(鼻yx&長y)→象x]。
である。
従って、
(06)により、
(07)
① 象以外の鼻も長い。⇔
① ~[∃y(鼻yx&長y)→象x]。
であるため、
① 象以外の鼻は長くない。⇔
① ~~[∃y(鼻yx&長y)→象x]。
である。
従って、
(07)により、
(08)
「二重否定(DN)」により、
① 象以外の鼻は長くない。⇔
① ~~[∃y(鼻yx&長y)→象x]⇔
① [∃y(鼻yx&長y)→象x]。
である。
従って、
(08)により、
(09)
「対偶(Contraposition)」により、
① 象以外の鼻は長くない。⇔
①[∃y(鼻yx&長y)→象x]⇔
①[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]。
である。
従って、
(06)(09)により、
(10)
① 象の鼻は長いが、象以外の鼻も長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}。
に対して、
② 象の鼻は長いが、象以外の鼻は長くない。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
である。
然るに、
(11)
② 象の鼻は長いが、象以外の鼻は長くない。
といふことは、
② 象が鼻は長い。
といふ、ことである。
従って、
(10)(11)により、
(12)
② 象が鼻は長い。⇔
② 象の鼻は長いが、象以外の鼻は長くない。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}⇔
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyは、xの鼻であって、長い、ものの、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、長い、といふことはない。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(05)(12)により、
(13)
① 象も鼻は長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}。
② 象が鼻は長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(14)
① 象も鼻は長い。
② 象が鼻は長い。
に対して、
③ 象は鼻は長い。
の場合は、
③「象の鼻以外」については、「何も述べてゐない」。
然るに、
(15)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
に対して、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
の場合は、
③「象の鼻以外」については、「何も述べてゐない」。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
「番号」を付け直すと、
① 象は鼻は長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象も鼻は長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[∃y(鼻yx&長y)→象x]}。
③ 象が鼻は長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(17)
① 象は鼻は長い。
② 象も鼻は長い。
③ 象が鼻は長い。
といふ「日本語」は、「述語論理(predicate logic)」に「翻訳」する限り、「3つ」とも、
① ∀x(象x→P)≡すべてのxについて、xが象であるならば、Pである。
② ∀x(象x→P)≡すべてのxについて、xが象であるならば、Pである。
③ ∀x(象x→P)≡すべてのxについて、xが象であるならば、Pである。
といふ「文型」をしてゐる。
従って、
(17)により、
(18)
① 象は
② 象も
③ 象が
は、「3つ」とも、
① ∀x(象x→ )≡すべてのxについて、xが象であるならば、
② ∀x(象x→ )≡すべてのxについて、xが象であるならば、
③ ∀x(象x→ )≡すべてのxについて、xが象であるならば、
といふ、「意味」である。
然るに、
(19)
日本語で典型な文(センテンス)は「Ⅹは」で始まる題述関係の文です。公式で一括して
Ⅹハ、本ウンヌン。
題目 述部
と書くことできます。題目の提示「Ⅹは」は、だいたい「Ⅹニツイテ言エバ」の心持ちです。上の「Ⅹニツイテ」は中味の予告です。下の「言エバ」は話し手の態度の宣言であり、これが述部の言いきり(文末)と呼応します。
後者、すなわち文末と呼応して一文を完成する仕事が「ハ」の本務です。前者、すなわち中味への関与の仕方は「ハ」の兼務です。「Ⅹハ」には。本務と兼務の両面があることを知り、始終それを念頭に置くことが大切です(三上章、象は鼻が長い、1992年第21版、8頁)。
従って、
(18)(19)により、
(20)
「述語論理的」には、
① 象(は)
② 象(も)
③ 象(が)
は、「3つ」とも、「題目」である。
然るに、
(21)
じつは、主述関係という色ネガネほど日本文法の研究を阻害しているものはありません。主述関係の片方を占める主語も同罪です。わたしはすでに二十年近く、主語という用語の使用を拒みつづけています(三上章、象は鼻が長い、1992年第21版、178頁)。
然るに、
(22)
私にとっての「主語」と言ふのは、例へば、荻野先生が、次(23)のやうに述べてゐる際の、「それ」に等しい。
(23)
主語や目的語や補語、これだけは自分で考えるクセを付けて下さい。学校の先生がこれまた、考えなくとも、どんどん入れて訳してくれるんです。古文はよく、省かれているんですね。誰が、誰を、誰に、みたいなものが、日本語はよく省略されているんですけど、先生がどんどん補って下さる。で、皆さんは何でその主語になるのかよくわかんないまま、またノートに、訳のところに、一生懸命、書いて覚えて、テストを受けてる。さっきも言いました。自力です。「自力で補足するです。」入試のときそばで誰も助けてくれないからですね。で実は、これが皆さんを古文嫌いにさせている、つまり、せっかく、訳ができた。単語を覚えて、Aさんがしてることを、Bさんがしたと勘違いして、変え~んな、文章にしちゃったことないですかあ。ワタシは模擬試験の時にですねえ、よく、ストーリーは、ある程度わかったのに、「やったひととやられた人を勘違い」して、もう途中で「大混乱」してですね。七行目ぐらいまで頑張って読んだのに、もう「まんなか辺」で、プチッと切れて、もうええいいや、ワケわかんなくなっちゃたといって、「放り出す」ことがよくありますけども、これ(主語・目的語・補語)を自分で意識すると、「こうやって考えながらやるんだな」って意識すると、かなり読みやすくなるんです(東進ハイスクール 荻野文子先生 - YouTube)。
従って、
(24)
「日本語には主語がない。」と言はれてしまふと、「古文や漢文が読めなくなってしまふ」ため、私としては、「それでは困る。」と、言はざるを得ない。
令和元年12月31日、毛利太。
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