1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3スCP
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
(ⅱ)∃z(小倉z&~私z)
(ⅲ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、yとzは「同一人物」である)]。}
(ⅱ)あるzは(小倉氏であって、zは私ではない。)
(ⅲ)すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは(小倉氏であって、zはxの理事長ではない)。}
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)「タゴール記念会の理事長は、私であって、私以外は理事長ではない。」然るに、
(ⅱ)「小倉氏は、私ではない。」従って、
(ⅲ)「タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない。」
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
よく知られているように、
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(05)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(07)
① 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
① 私は理事長です。
といふ「日本語」を、「含意」する。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 私が理事長です。
② 私は理事長であって、理事長は私です。
③ 私は理事長であって、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(08)により、
(09)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私は理事長であって、理事長は私です。
③ タゴール記念会は、私は理事長であって、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻は長く、鼻以は長くない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
従って、
(11)により、
(12)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。}
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyは長くて、xの耳であり、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない。}
(ⅲ)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない。)
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
(ⅰ)「象は鼻が長い。」然るに
(ⅱ)「兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。」従って、
(ⅲ)「兎は象ではない。」
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(11)(12)(13)により、
(14)
① 象は鼻_長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻_長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① といふ「仮定」からは、「兎は象ではない。」といふ「結論」を得ることは、出来ないし、
③ といふ「仮定」からも、「兎は象ではない。」といふ「結論」を得ることは、出来ない。
といふことは、「当然」である。
何となれば、
(15)
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
ではなく、
① 象は鼻_長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
③ 象は鼻_長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ風に、「仮定」すれば、固より、
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
といふ「計算」を、行ふことが、出来ない。
然るに、
(16) (ⅰ)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (3) 象a A
12 (4) ∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 23MPP
12 (5) ∃y(鼻ya&長y) 4&E
12 (6) ~∀z(~鼻za→~長z) 4&E
12 (7) ∃z~(~鼻za→~長z) 6量化子の関係
8(8) ~(~鼻ba→~長b) A
8(9) ~(鼻ba∨~長b) 8含意の定義
8(ア) ~鼻ba& 長b 9ド・モルガンの法則
8(イ) ∃z(~鼻za& 長z) アEI
12 (ウ) ∃z(~鼻za& 長z) 78イEE
12 (エ) ∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 5ウ&I
1 (オ) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 2CP
1 (カ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)} オUI
(ⅱ)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 23MPP
13 (5) ∃y(鼻ya&長y) 4&E
13 (6) ∃z(~鼻za& 長z) 4&E
7(7) ~鼻ba& 長b A
7(8) ~(鼻ba∨~長b) 7ド・モルガンの法則
7(9) ~(~鼻ba→~長b) 8含意の定義
7(ア) ∃z~(~鼻za→~長z) 9EI
13 (イ) ∃z~(~鼻za→~長z) 67アEE
13 (ウ) ~∀z(~鼻za→~長z) イ量化子の関係
13 (エ) ∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 5ウ&I
1 (オ) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 3エCP
1 (カ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)} 1UI
従って、
(16)により、
(17)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(18)
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx&長z)}
といふこと、すなはち、
④ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、あるzはxの鼻ではないが、長い。}
といふことは、
④ 象は鼻も長い。
といふ、ことである。
従って、
(14)(18)により、
(19)
① 象は鼻_長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ、ことになる。
然るに、
(20)
① 象は鼻_長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、「右辺」は、「3つも、異なること」から、
① 象は鼻_長い。
の場合は、
② 象は鼻が長い。
ではないし、
③ 象は鼻も長い。
でもない。
従って、
(20)により、
(21)
① 象は鼻は長い。
といふことに、ならざるを得ず、それ故、
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ、ことになる。
然るに、
(22)
(ⅰ)
1 (1) P⇔Q A
1 (2)(P→Q)&(Q→P) 1Df.⇔
1 (3) P→Q 2&E
1 (4) Q→P 2&E
5 (5) ~P A
6(6) Q A
1 6(7) P 46MPP
156(8) ~P&P 57&I
15 (9) ~Q 68RAA
1 (ア) ~P→~Q 59CP
1 (イ)(P→Q)&(~P→~Q) 3ア&I
(ⅱ)
1 (1)(P→Q)&(~P→~Q) A
1 (2) P→Q 1&E
1 (3) ~P→~Q 1&E
4 (4) Q A
5(5) ~P A
1 5(6) ~Q 35MPP
145(7) Q&~Q 46&I
14 (8) ~~P 57RAA
14 (9) P 8DN
1 (ア) Q→P 49CP
1 (イ)(P→Q)&(Q→P) 2ア&I
1 (ウ) P⇔Q イDf.
従って、
(22)により、
(23)
① P⇔Q
②(P→Q)&(Q→P)
③(P→Q)&(~P→~Q)
に於いて、すなはち、
① Pならば、そのときに限って、Qである。
② PはQであり、QはPである。
③ PはQであり、P以外はQでない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)により、
(24)
もう一度、確認するものの、
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(23)(24)により、
(25)
① P⇔Q
②(P→Q)&(Q→P)
③(P→Q)&(~P→~Q)
といふことは、
① PがQである。
といふことに、他ならない。
従って、
(21)~(25)により
(26)
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
に対して、
④ 象_鼻は長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象_鼻が長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象_鼻も長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
であるならば、
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
でなければ、ならない。
従って、
(26)により、
(27)
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象が鼻は長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふことになるし、更に言へば、
⑦ 象も鼻は長い。
の場合は、
⑦ 象以外の動物の鼻も長い。
といふことなので、
⑦ 象も鼻は長い≡∀x{象x∨~象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑦ 象も鼻は長い≡すべてのxについて{xが象であるか、xが象以外であるならば、あるyは(xの鼻であって、長い)}。
といふ、ことになる。
然るに、
(28)
三上に敬意を表して「象鼻文」つまり「象は鼻が長い」を例に取ろう。ただし、例文としては、コンマで「象は」を文から切り離しておく。
(72j)象は,鼻が長い。
二重主語どころか、この文には主語が一つもない。日本語にはそもそも主語など不要なのだから当然であるが、「象は」は主題(題目)であり、「こんにちは」のように文がここで切れている。
「象について話しますよ」と聞き手の注意を引いておき、それに続く話してのコメントが「鼻が長い」だ。これは単に、主格補語「鼻が」が伴った基本形容詞文「長い」にすぎない。
(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、130頁)
従って、
(27)(28)により、
(29)
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① は、「二重主題文」であって、
⑤ は、「二重主格文」である。
然るに、
(30)
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① は、「二重主題文」であって、
⑤ は、「二重主格文」である。といふのであれば、
① 象は鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
といふ「左辺」だけからではなく、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「右辺」からも、そのことを、「説明」すべきである。
(31)
①{象、兎、馬}
②{象、机、本}
に於いて、
① であれば、{象が動物である。}とは言へないが、
② であれば、{象が動物である。}と、言へる。
然るに、
(32)
①{象、兎、馬}
②{象、机、本}
に於いて、
① であれば、{象以外(兎と馬)は動物ではない。}とは言へないが、
② であれば、{象以外(机と本)は動物ではない。}と、言へる。
従って、
(31)(32)により、
(33)
②{AがBである。}⇔
「象について話しますよ」と聞き手の注意を引いておき、それに続く話してのコメントが「鼻が長い」だ。これは単に、主格補語「鼻が」が伴った基本形容詞文「長い」にすぎない。
(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、130頁)
従って、
(27)(28)により、
(29)
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① は、「二重主題文」であって、
⑤ は、「二重主格文」である。
然るに、
(30)
① 象は鼻は長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い≡∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① は、「二重主題文」であって、
⑤ は、「二重主格文」である。といふのであれば、
① 象は鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
といふ「左辺」だけからではなく、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「右辺」からも、そのことを、「説明」すべきである。
(31)
①{象、兎、馬}
②{象、机、本}
に於いて、
① であれば、{象が動物である。}とは言へないが、
② であれば、{象が動物である。}と、言へる。
然るに、
(32)
①{象、兎、馬}
②{象、机、本}
に於いて、
① であれば、{象以外(兎と馬)は動物ではない。}とは言へないが、
② であれば、{象以外(机と本)は動物ではない。}と、言へる。
従って、
(31)(32)により、
(33)
②{AがBである。}⇔
②{AはBであり、A以外はBでない。}
といふことに、ならざるを得ない。
然るに、
(34)
三上 先生も、
金谷 先生も、
②{AがBである。}⇔
といふことに、ならざるを得ない。
然るに、
(34)
三上 先生も、
金谷 先生も、
②{AがBである。}⇔
②{AはBであり、A以外はBでない。}
といふことに、気付いてゐないのか、いづれにせよ、
②{AがBである。}⇔
といふことに、気付いてゐないのか、いづれにせよ、
②{AがBである。}⇔
②{AはBであり、A以外はBでない。}
といふ「等式」への「言及」が無い。
(35)
例へば、
HIC PUER FILIUS MEUS EST.
この 少年は 息子 私の です。
といふ「ラテン語」であれば、
「主格」+「主格」+「主格」+「主格」+動詞。
である。
然るに、
(36)
THIS BOY IS MY SON.
であれば、
MY は、「所有格」であって、「主格」ではない。
私の
(37)
「英語」のやうな「主語」は、「ラテン語」にはないとしても、だからと言って、
「ラテン語の文法書」に、「ラテン語には、主語が無い」。といふ風には、書かれてはゐない。
従って、
(38)
「英語」のやうな「変な、主語」は、「日本語」には、無くとも、
「日本語」には、「日本語なりの主語」があっても良いはずである。
(39)
漢文を読むコツ
[1]主語や目的語は省略されることが多いので、まず述語(動詞・形容詞・形容動詞)に着眼する。
(片桐功雄、究める漢文、2010年、16頁)
然るに、
(40)
例へば、
先生不知何許人 先生は何許の人なるかを知らず。
不詳姓字 姓字も詳かにせず。
宅邊有五柳樹 宅邊に五柳樹有り。
因以爲號焉 因て以て號と爲す。
然るに、
(41)
先生不知。
先生 doesn't 知る。
といふ「語順」からすれば、
不知(nesciat)。
の「主語」は、「漢文」であっても、「英語」であっても、「普通に考へる限り」は、
先生 である。
然るに、
(42)
先生は何許の人なるかを知らず。
といふことからすれば、
先生不知何許人 先生は何許の人なるかを知らず。
といふのは、結局は、
我不知先生何許人 我は先生の何許の人なるかを知らず(nescio)。
I don't know where 先生 comes from.
といふ風に、「理解せざる」を得ない。
従って、
(39)~(42)により、
(43)
[1]主語や目的語は省略されることが多いので、まず述語(動詞・形容詞・形容動詞)に着眼する。
(片桐功雄、究める漢文、2010年、16頁)
といふアドバイスは、「適切」である。
従って、
(28)(43)により、
(44)
「日本語にはそもそも主語など無い。」と言はれても、そのやうに「信じる」ことによって、例へば、「漢文・訓読」が、「上達」するわけではない。
令和02年11月17日、毛利太。
といふ「等式」への「言及」が無い。
(35)
例へば、
HIC PUER FILIUS MEUS EST.
この 少年は 息子 私の です。
といふ「ラテン語」であれば、
「主格」+「主格」+「主格」+「主格」+動詞。
である。
然るに、
(36)
THIS BOY IS MY SON.
であれば、
MY は、「所有格」であって、「主格」ではない。
私の
(37)
「英語」のやうな「主語」は、「ラテン語」にはないとしても、だからと言って、
「ラテン語の文法書」に、「ラテン語には、主語が無い」。といふ風には、書かれてはゐない。
従って、
(38)
「英語」のやうな「変な、主語」は、「日本語」には、無くとも、
「日本語」には、「日本語なりの主語」があっても良いはずである。
(39)
漢文を読むコツ
[1]主語や目的語は省略されることが多いので、まず述語(動詞・形容詞・形容動詞)に着眼する。
(片桐功雄、究める漢文、2010年、16頁)
然るに、
(40)
例へば、
先生不知何許人 先生は何許の人なるかを知らず。
不詳姓字 姓字も詳かにせず。
宅邊有五柳樹 宅邊に五柳樹有り。
因以爲號焉 因て以て號と爲す。
然るに、
(41)
先生不知。
先生 doesn't 知る。
といふ「語順」からすれば、
不知(nesciat)。
の「主語」は、「漢文」であっても、「英語」であっても、「普通に考へる限り」は、
先生 である。
然るに、
(42)
先生は何許の人なるかを知らず。
といふことからすれば、
先生不知何許人 先生は何許の人なるかを知らず。
といふのは、結局は、
我不知先生何許人 我は先生の何許の人なるかを知らず(nescio)。
I don't know where 先生 comes from.
といふ風に、「理解せざる」を得ない。
従って、
(39)~(42)により、
(43)
[1]主語や目的語は省略されることが多いので、まず述語(動詞・形容詞・形容動詞)に着眼する。
(片桐功雄、究める漢文、2010年、16頁)
といふアドバイスは、「適切」である。
従って、
(28)(43)により、
(44)
「日本語にはそもそも主語など無い。」と言はれても、そのやうに「信じる」ことによって、例へば、「漢文・訓読」が、「上達」するわけではない。
令和02年11月17日、毛利太。
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