(01)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx) ├ ∃x(Fx&Gx)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式(Sequents)」を、見ていくことにする。
(02)
x=人
F=フランス人である。
G=寛大である。
とするならば、
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式」は、
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「意味」になる。
然るに、
(03)
① ∃x(Fx)≡ある人はフランス人であって、
① ∃x(Gx)≡ある人は寛大である。としても、
①「ある人xと、ある人x」が、「同一人物」である「必然性」は無い。
然るに、
(04)
この連式を証明しようとする自然な試みが、EEの制限に照らして、どのように失敗するかを見ておくことは有益である。わらわれはつぎのように証明をはじめるであろう。
1 (1)∃x(Fx)&∃x(Gx) A
1 (2)∃x(Fx) 1&E
1 (3) ∃x(Gx) 1&E
4 (4) Fa A
5 (5) Ga A
45 (6) Fa&Ga 45&I
45 (7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(2)および(3)に対して、われわれは代表的選言項(4)および(5)を仮定して、それらから、
∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない。
45 (7)∃x(Fx&Gx) 6EI
の行の結論は(4)と(5)に依存し、そのいずれにも「a」が現れているからである。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、154頁)
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(06)
1 (1)∃x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
3 (3) Fa→Ga A
4(4) Fa A
34(5) Ga 34MPP
34(6) Fa&Ga 45&I
34(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(1)および(2)に対して、われわれは代表的選言項(3)および(4)を仮定して、それらから、
∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない。
34(6) Fa&Ga 45&I
の行の結論は(3)と(4)に依存し、そのいずれにも「a」が現れているからである。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」と「同じ理由」により、
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない。
然るに、
(08)
「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。しかし、
② ∃x(Fx→Gx)は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在することを主張するのであって、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。しかるに、
「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、124頁改)
然るに、
(09)
(ⅱ)
1 (1) ∃x(Fx→Gx) A
2 (2) Fa→Ga A
2 (3) ~Fa∨Ga 2含意の定義
4 (4) ~Fa A
4 (5)∃x(~Fx) 4EI
4 (6)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 5∨I
7(7) Ga A
7(8) ∃x(Gx) 7EI
7(9)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 8∨I
2 (ア)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 34679∨E
1 (イ)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 12アEE
(ⅲ)
1 (1)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) A
2 (2)∃x(~Fx) A
3 (3) ~Fa A
3 (4) ~Fa∨Ga 3∨I
3 (5) Fa→Ga 4含意の定義
3 (6) ∃x(Fx→Gx) 5EI
2 (7) ∃x(Fx→Gx) 236EE
8 (8) ∃x(Gx) A
9(9) Ga A
9(ア) ~Fa∨Ga 9∨I
9(イ) Fa→Ga ア含意の定義
9(ウ) ∃x(Fx→Gx) イEI
8 (エ) ∃x(Fx→Gx) 89ウEE
1 (オ) ∃x(Fx→Gx) 1278エ∨E
従って、
(09)により、
(10)
② ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
③ ∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(11)
② ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
③ ∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。
に於いて、
②=③ である。
といふのであれば、
>「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
といふことは、「当然」である。
然るに、
(12)
1 (1)∀x(Fx→Gx) A
2 (2)∃x(Fx) A
1 (3) Fa→Ga A
4(4) Fa A
1 4(5) Ga 34MPP
1 4(6) Fa&Ga 45&I
1 4(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
12 (8)∃x(Fx&Gx) 247EE
従って、
(12)により、
(13)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるxはフランス人は寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(07)(11)(13)により、
(14)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではなく、その一方で、
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人xは寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(14)により、
(15)
② あるフランス人は寛大である。
③ すべてのフランス人は寛大である。
といふ「日本語」は、
② ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx)
といふ「述語論理式」に、相当する。
然るに、
(16)
③ ∀x(Fx→Gx)≡すべてのフランス人は寛大である。
といふのであれば、
② ∃x(Fx→Gx)≡ あるフランス人は寛大である。
であるはずであると、思はれがちであって、それ故、
>「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。
といふ、ことになる。
令和03年03月21日、毛利太。
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