2021年3月21日日曜日

「幾らかのフランス人は寛大である」の「述語論理」(Ⅵ)。

(01)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)   ├ ∃x(Fx&Gx)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式(Sequents)」を、見ていくことにする。
(02)
x=人
F=フランス人である。
G=寛大である。
とするならば、
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
といふ「連式」は、
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「意味」になる。
然るに、
(03)
① ∃x(Fx)≡ある人はフランス人であって、
① ∃x(Gx)≡ある人は寛大である。としても、
①「ある人xと、ある人x」が、「同一人物」である「必然性」は無い
然るに、
(04)
この連式を証明しようとする自然な試みが、EEの制限に照らして、どのように失敗するかを見ておくことは有益である。わらわれはつぎのように証明をはじめるであろう。
1   (1)∃x(Fx)&∃x(Gx) A
1   (2)∃x(Fx)        1&E
1   (3)       ∃x(Gx) 1&E
   (4)   F         A
   (5)          G  A
 45 (6)   Fa&Ga      45&I
 45 (7)∃x(Fx&Gx)     6EI
存在命題(2)および(3)に対して、われわれは代表的選言項()および()を仮定して、それらから、
 ∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない
 45 (7)∃x(Fx&Gx)     6EI
の行の結論は()と()に依存し、そのいずれにも「」が現れているからである。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、154頁)
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない
然るに、
(06)
1   (1)∃x(Fx→Gx) A
 2  (2)∃x(Fx)    A
   (3)   F→G  A
   (4)   F     A
  34(5)      Ga  34MPP
  34(6)   Fa&Ga  45&I
  34(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
存在命題(1)および(2)に対して、われわれは代表的選言項()および()を仮定して、それらから、
 ∃x(Fx&Gx)
を導出した。しかしEEを適用するどのようなくわだても今度はうまく行かない
  34(6)   Fa&Ga  45&I
の行の結論は()と()に依存し、そのいずれにも「」が現れているからである。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
① ∃x(Fx)&∃x(Gx)├ ∃x(Fx&Gx)
① ある人はフランス人である。ある人は寛大である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」と「同じ理由」により、
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではない
然るに、
(08)
「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
② ∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
② ∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。しかし、
② ∃x(Fx→Gx)は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在することを主張するのであって、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。しかるに、
幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、124頁改)
然るに、
(09)
(ⅱ)
1   (1) ∃x(Fx→Gx)     A
 2  (2)    Fa→Ga      A
 2  (3)   ~Fa∨Ga      2含意の定義
  4 (4)   ~Fa         A
  4 (5)∃x(~Fx)        4EI
  4 (6)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 5∨I
   7(7)       Ga      A
   7(8)        ∃x(Gx) 7EI
   7(9)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 8∨I
 2  (ア)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 34679∨E
1   (イ)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) 12アEE
(ⅲ)
1    (1)∃x(~Fx)∨∃x(Gx) A
 2   (2)∃x(~Fx)        A
  3  (3)   ~Fa         A
  3  (4)   ~Fa∨Ga      3∨I
  3  (5)    Fa→Ga      4含意の定義
  3  (6) ∃x(Fx→Gx)     5EI
 2   (7) ∃x(Fx→Gx)     236EE
   8 (8)        ∃x(Gx) A
    9(9)           Ga  A
    9(ア)       ~Fa∨Ga  9∨I
    9(イ)        Fa→Ga  ア含意の定義
    9(ウ)     ∃x(Fx→Gx) イEI
   8 (エ)     ∃x(Fx→Gx) 89ウEE
1    (オ) ∃x(Fx→Gx)     1278エ∨E
従って、
(09)により、
(10)
② ∃x(Fx→Gx)          ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(11)
② ∃x(Fx→Gx)      ≡あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。
∃x(~Fx)∨∃x(Gx)≡あるxはフラン人ではないか、または、あるxは寛大である。
に於いて、
②=③ である。
といふのであれば、
>「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない
といふことは、「当然」である。
然るに、
(12)
1  (1)∀x(Fx→Gx) A
 2 (2)∃x(Fx)    A
1  (3)   Fa→Ga  A
  4(4)   Fa     A
1 4(5)      Ga  34MPP
1 4(6)   Fa&Ga  45&I
1 4(7)∃x(Fx&Gx) 6EI
12 (8)∃x(Fx&Gx) 247EE
従って、
(12)により、
(13)
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるxはフランス人は寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(07)(11)(13)により、
(14)
② ∃x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
② あるxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人は寛大である。
といふ「連式(推論)」は、「妥当」ではなく、その一方で、
③ ∀x(Fx→Gx),∃x(Fx)├ ∃x(Fx&Gx)
③ すべてxについて、xがフランス人であるならば、xは寛大である。あるxはフランス人である。故に、あるフランス人xは寛大である。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(14)により、
(15)
②   あるフランス人は寛大である。
すべてのフランス人は寛大である。
といふ「日本語」は、
x(FxGx)
x(FxGx)
といふ「述語論理式」に、相当する。
然るに、
(16)
x(Fx→Gx)≡すべてのフランス人は寛大である。
といふのであれば、
x(Fx→Gx)≡    あるフランス人は寛大である。
であるはずであると、思はれがちであって、それ故、
>「幾らかのフランス人は寛大である(Some Frenchmen are generous.」を、正しく、
x(FxGx)と記号化するかわりに、むしろ、
x(FxGx)とするのは、よくある間違い(common mistake)である。
といふ、ことになる。
令和03年03月21日、毛利太。

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