(01)
「幾らかのフランス人は寛大である」を、正しく、
∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違いである。しかし、
∃x(Fx→Gx)は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在することを主張するのであって、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。しかるに、
「幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、124頁)
然るに、
(02)
(ⅰ)
1 (1) ∃x(Fx→Gx) A
2 (2) Fa→Ga A
3 (3) ~(~Fa∨Ga) A
4(4) ~Fa A
4(5) ~Fa∨Ga 4∨I
34(6) ~(~Fa∨Ga)&
(~Fa∨Ga) 35&I
3 (7) ~~Fa 46RAA
3 (8) Fa 7DN
23 (9) Ga 28MPP
23 (ア) ~Fa∨Ga 9∨I
23 (イ) ~(~Fa∨Ga)&
(~Fa∨Ga) 3ア&I
2 (ウ)~~(~Fa∨Ga) 3イRAA
2 (エ) ~Fa∨Ga ウDN
2 (オ)∃x(~Fx∨Gx) エEI
1 (カ)∃x(~Fx∨Gx) 12オEE
(ⅱ)
1 (1)∃x(~Fx∨Gx) A
2 (2) ~Fa∨Ga A
3 (3) Fa&~Ga A
4 (4) ~Fa A
3 (5) Fa 3&E
34 (6) ~Fa&Fa 45&I
4 (7) ~(Fa&~Ga) 36RAA
6 (8) Ga A
3 (9) ~Ga 3&E
3 6 (ア) Ga&~Ga 89&I
6 (イ) ~(Fa&~Ga) 3アRAA
2 (ウ) ~(Fa&~Ga) 2476イ∨E
エ (エ) Fa A
オ(オ) ~Ga A
エオ(カ) Fa&~Ga エオ&I
2 エオ(キ) ~(Fa&~Ga)&
(Fa&~Ga) ウカ&I
2 エ (ク) ~~Ga オキRAA
2 エ (ケ) Ga クDN
2 (コ) Fa→Ga エケCP
2 (サ) ∃x(Fx→Gx) コEI
1 (シ) ∃x(Fx→Gx) 12サEE
従って、
(02)により、
(03)
① ∃x( Fx→Gx)≡あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
② ∃x(~Fx∨Gx)≡(フランス人でないxか、または、寛大なx)が存在する。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
② (フランス人でないxか、または、寛大なx)が存在する≡∃x(~Fx∨Gx)。
といふのであれば、確かに、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。
といふことは、「真」である。
然るに、
(05)
(ⅲ)
1 (1) ∃x(Fx)→∃x(Gx) A
2 (2) ~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) A
3(3) ~∃x(Fx) A
3(4) ~∃x(Fx)∨∃x(Gx) 3∨I
23(5) ~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx))&
(~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) 24&I
2 (6) ~~∃x(Fx) 35RAA
2 (7) ∃x(Fx) 6DN
12 (8) ∃x(Gx) 17MPP
12 (9) ~∃x(Fx)∨∃x(Gx) 8∨I
12 (ア) ~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx))&
(~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) 29&I
1 (イ)~~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) 2アRAA
1 (ウ) ~∃x(Fx)∨∃x(Gx) イDN
(ⅳ)
1 (1) ~∃x(Fx)∨ ∃x(Gx) A
2 (2) ∃x(Fx)&~∃x(Gx) A
3 (3) ~∃x(Fx) A
2 (4) ∃x(Fx) 2&E
23 (5) ~∃x(Fx)& ∃x(Fx) 34&I
3 (6)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx)) 25RAA
7 (7) ∃x(Gx) A
2 (8) ~∃x(Gx) 2&E
2 7 (9) ∃x(Gx)&~∃x(Gx) 78&I
7 (ア)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx)) 29RAA
1 (イ)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx)) 1367ア∨E
ウ (ウ) ∃x(Fx) A
エ(エ) ~∃x(Gx) A
ウエ(オ) ∃x(Fx)&~∃x(Gx) ウエ&I
1 ウエ(カ)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx))&
(∃x(Fx)&~∃x(Gx)) イオ&I
1 ウ (キ) ~~∃x(Gx) エカRAA
1 ウ (ク) ∃x(Gx) キDN
1 (ケ) ∃x(Fx)→ ∃x(Gx) ウクCP
従って、
(05)により、
(06)
③ ∃x(Fx)→∃x(Gx)≡フランス人であるxが存在するならば、 寛大なxが存在する。
④ ~∃x(Fx)∨∃x(Gx)≡フランス人であるxは存在しないか、または、寛大なxが存在する。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(07)
④ フランス人であるxは存在しないか、または、寛大なxが存在する≡~∃x(Fx)∨∃x(Gx)。
といふのであれば、尚のこと、確実に、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。
といふことは、「真」である。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1 (1) ∃x(Fx→Gx) A
2 (2) Fa→Ga A
3 (3) ∃x(Fx) A
4(4) Fa A
2 4(5) Ga 24MPP
2 4(6) ∃x(Gx) 5EI
23 (7) ∃x(Gx) 346EE
2 (8) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 37CP
1 (9) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 128EE
(ⅲ)
1 (1) ∃x(Fx)→∃x(Gx) A
1 (2)~∃x(Fx)∨∃x(Gx) 1含意の定義
3 (3)~∃x(Fx) A
3 (4)∀x(~Fx) 3量化子の関係
3 (5) ~Fa 4UE
3 (6) ~Fa∨Ga 5∨I
3 (7) Fa→Ga 6含意の定義
3 (8) ∃x(Fx→Gx) 7EI
9 (9) ∃x(Gx) A
ア(ア) Ga A
ア(イ) ~Fa∨Ga ア∨I
ア(ウ) Fa→Ga イ含意の定義
ア(エ) ∃x(Fx→Gx) ウEI
9 (オ) ∃x(Fx→Gx) 9アエEE
1 (カ) ∃x(Fx→Gx) 2389オ∨E
従って、
(08)により、
(09)
① ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ ∃x(Fx)→∃x(Gx)≡フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
①=③ である。
と、思ったのであるが、「よく見る」と、
(ⅰ)
1 (1) ∃x(Fx→Gx) A
2 (2) Fa→Ga A
3 (3) ∃x(Fx) A
4(4) Fa A
2 4(5) Ga 24MPP
2 4(6) ∃x(Gx) 5EI
23 (7) ∃x(Gx) 346EE
2 (8) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 37CP
1 (9) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 128EE
といふ「計算」の、
2 4(6) ∃x(Gx) 5EI
23 (7) ∃x(Gx) 346EE
の「部分」は、「マチガイ」である。
何となれば、
(10)
「説明」をするのは、「難しい」ものの、
(6)の行の「結論」は、
2 (2) Fa→Ga A
4(4) Fa A
に依存してゐて、この「2行」があるため、
(7)の行の「結論」は、E.J.レモンも、「他の計算」の際に述べてゐるやうに、「マチガイ」になる。
cf.
「E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、154頁」
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① ∃x(Fx→Gx) ≡あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ ∃x(Fx)→∃x(Gx)≡フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
③ ならば、① ではあるが、
① ならば、③ ではない。
cf.
16.[∃x(Fx)→∃x(Gx)]⊃∃x(Fx→Gx)
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、139頁、13行目)
従って、
(12)
少なくとも、「述語論理」的には、
① あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
①=③ ではない。
といふことに、なるものの、このことは、「直観的」には、「不思議な感じ(somewhat surprising)」である。
然るに、
(13)
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる。すなわち、数学の命題は一階述語論理の論理式によって記述することができ、そのように論理式で記述された数学の定理には ZFC の公理からの形式的証明 (formal proof) が存在する(ウィキペディア)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
①=③ ではない。
といふことは、「日本語」としては、「不思議」ではあるものの、「数学的(?)」には、「真」である。
といふことに、なる。
令和03年03月04日、毛利太。
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