2021年3月4日木曜日

「幾らかのフランス人は寛大である。」の「述語論理」(Ⅲ)。

(01)
「幾らかのフランス人は寛大である」を、正しく、
∃x(Fx&Gx)と記号化するかわりに、むしろ、
∃x(Fx→Gx)とするのは、よくある間違いである。しかし、
∃x(Fx→Gx)は、
それがフランス人であるならば、寛大であるようなものが存在することを主張するのであって、
これは、かりにフランス人が存在しないとしても真であろう。しかるに、
幾らかのフランス人は寛大である」は決してそうではない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、124頁)
然るに、
(02)
(ⅰ)
1   (1) ∃x(Fx→Gx)  A
 2  (2)    Fa→Ga   A
  3 (3) ~(~Fa∨Ga)  A
   4(4)   ~Fa      A
   4(5)   ~Fa∨Ga   4∨I
  34(6) ~(~Fa∨Ga)&
         (~Fa∨Ga)  35&I
  3 (7)  ~~Fa      46RAA
  3 (8)    Fa      7DN
 23 (9)       Ga   28MPP
 23 (ア)   ~Fa∨Ga   9∨I
 23 (イ) ~(~Fa∨Ga)&
         (~Fa∨Ga)  3ア&I
 2  (ウ)~~(~Fa∨Ga)  3イRAA
 2  (エ)   ~Fa∨Ga   ウDN
 2  (オ)∃x(~Fx∨Gx)  エEI
1   (カ)∃x(~Fx∨Gx)  12オEE
(ⅱ)
1      (1)∃x(~Fx∨Gx)  A
 2     (2)   ~Fa∨Ga   A
  3    (3)   Fa&~Ga   A
   4   (4)   ~Fa      A
  3    (5)   Fa       3&E
  34   (6)   ~Fa&Fa   45&I
   4   (7) ~(Fa&~Ga)  36RAA
    6  (8)       Ga   A
  3    (9)      ~Ga   3&E
  3 6  (ア)   Ga&~Ga   89&I
    6  (イ) ~(Fa&~Ga)  3アRAA
2     (ウ) ~(Fa&~Ga)  2476イ∨E
     エ (エ)   Fa       A
      オ(オ)      ~Ga   A
     エオ(カ)   Fa&~Ga   エオ&I
 2   エオ(キ) ~(Fa&~Ga)&
            (Fa&~Ga)  ウカ&I
 2   エ (ク)     ~~Ga   オキRAA
 2   エ (ケ)       Ga   クDN
 2     (コ)    Fa→Ga   エケCP
 2     (サ) ∃x(Fx→Gx)  コEI
1      (シ) ∃x(Fx→Gx)  12サEE
従って、
(02)により、
(03)
① ∃x( Fx→Gx)≡あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
② ∃x(~Fx∨Gx)≡(フランス人でないxか、または、寛大なx)が存在する。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
② (フランス人でないxか、または、寛大なx)が存在する≡∃x(~Fx∨Gx)。
といふのであれば、確かに
これは、かりにフランス人が存在しないとしてもであろう。
といふことは、「」である。
然るに、
(05)
(ⅲ)
1  (1)    ∃x(Fx)→∃x(Gx)  A
 2 (2) ~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) A
  3(3)   ~∃x(Fx)         A
  3(4)   ~∃x(Fx)∨∃x(Gx)  3∨I
 23(5) ~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx))&
        (~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) 24&I
 2 (6)  ~~∃x(Fx)         35RAA
 2 (7)    ∃x(Fx)         6DN
12 (8)           ∃x(Gx)  17MPP
12 (9)   ~∃x(Fx)∨∃x(Gx)  8∨I
12 (ア) ~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx))&
        (~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) 29&I
1  (イ)~~(~∃x(Fx)∨∃x(Gx)) 2アRAA
1  (ウ)   ~∃x(Fx)∨∃x(Gx)  イDN
(ⅳ)
1     (1) ~∃x(Fx)∨ ∃x(Gx)   A
 2    (2)  ∃x(Fx)&~∃x(Gx)   A
  3   (3) ~∃x(Fx)           A
 2    (4)  ∃x(Fx)           2&E
 23   (5) ~∃x(Fx)& ∃x(Fx)   34&I
  3   (6)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx))  25RAA
   7  (7)          ∃x(Gx)   A
 2    (8)         ~∃x(Gx)   2&E
 2 7  (9)  ∃x(Gx)&~∃x(Gx)   78&I
   7  (ア)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx))  29RAA
1     (イ)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx))  1367ア∨E
    ウ (ウ)  ∃x(Fx)           A
     エ(エ)         ~∃x(Gx)   A
    ウエ(オ)  ∃x(Fx)&~∃x(Gx)   ウエ&I
1   ウエ(カ)~(∃x(Fx)&~∃x(Gx))&
          (∃x(Fx)&~∃x(Gx))  イオ&I
1   ウ (キ)        ~~∃x(Gx)   エカRAA
1   ウ (ク)          ∃x(Gx)   キDN
1     (ケ)  ∃x(Fx)→ ∃x(Gx)   ウクCP
従って、
(05)により、
(06)
③  ∃x(Fx)→∃x(Gx)≡フランス人であるxが存在するならば、   寛大なxが存在する。
④ ~∃x(Fx)∨∃x(Gx)≡フランス人であるxは存在しないか、または、寛大なxが存在する。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(07)
④ フランス人であるxは存在しないか、または、寛大なxが存在する≡~∃x(Fx)∨∃x(Gx)。
といふのであれば、尚のこと、確実に
これは、かりにフランス人が存在しないとしてもであろう。
といふことは、「」である。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1   (1) ∃x(Fx→Gx)     A
 2  (2)    Fa→Ga      A
  3 (3) ∃x(Fx)        A
   4(4)    Fa         A
 2 4(5)       Ga      24MPP
 2 4(6)    ∃x(Gx)     5EI
 23 (7)    ∃x(Gx)     346EE
 2  (8) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 37CP
1   (9) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 128EE
(ⅲ)
1   (1) ∃x(Fx)→∃x(Gx) A
1   (2)~∃x(Fx)∨∃x(Gx) 1含意の定義
 3  (3)~∃x(Fx)        A
 3  (4)∀x(~Fx)        3量化子の関係
 3  (5)   ~Fa         4UE
 3  (6)   ~Fa∨Ga      5∨I
 3  (7)    Fa→Ga      6含意の定義
 3  (8) ∃x(Fx→Gx)     7EI
  9 (9)        ∃x(Gx) A
   ア(ア)           Ga  A
   ア(イ)       ~Fa∨Ga  ア∨I
   ア(ウ)        Fa→Ga  イ含意の定義
   ア(エ)     ∃x(Fx→Gx) ウEI
  9 (オ)     ∃x(Fx→Gx) 9アエEE
1   (カ) ∃x(Fx→Gx)     2389オ∨E
従って、
(08)により、
(09)
① ∃x(Fx→Gx)    ≡あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ ∃x(Fx)→∃x(Gx)≡フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
①=③ である。
と、思ったのであるが、「よく見る」と、
(ⅰ)
1   (1) ∃x(Fx→Gx)     A
   (2)    F→G      A
  3 (3) ∃x(Fx)        A
   (4)    F         A
 2 4(5)       Ga      24MPP
 2 4(6)    ∃x(Gx)     5EI
 3 (7)    ∃x(Gx)     346EE
 2  (8) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 37CP
1   (9) ∃x(Fx)→∃x(Gx) 128EE
といふ「計算」の、
 2 4(6)    ∃x(Gx)     5EI
 23 (7)    ∃x(Gx)     346EE
の「部分」は、「マチガイ」である。
何となれば、
(10)
「説明」をするのは、「難しい」ものの、
(6)の行の「結論」は、
   (2)    F→G      A
   (4)    F         A
に依存してゐて、この「2行」があるため、
(7)の行の「結論」は、E.J.レモンも、「他の計算」の際に述べてゐるやうに、「マチガイ」になる。
cf.
「E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、154頁」
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① ∃x(Fx→Gx)    ≡あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ ∃x(Fx)→∃x(Gx)≡フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
③ ならば、① ではあるが、
① ならば、③ ではない
cf.
16.[∃x(Fx)→∃x(Gx)]∃x(Fx→Gx)
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、139頁、13行目)
従って、
(12)
少なくとも、「述語論理には、
① あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
①=③ ではない
といふことに、なるものの、このことは、「直観的」には、「不思議な感じ(somewhat surprising)」である。
然るに、
(13)
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる。すなわち、数学の命題一階述語論理の論理式によって記述することができ、そのように論理式で記述された数学の定理には ZFC の公理からの形式的証明 (formal proof) が存在する(ウィキペディア)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① あるxについて(xがフランス人であるならば、xは寛大である)。
③ フランス人であるxが存在するならば、寛大なxが存在する。
に於いて、
①=③ ではない
といふことは、「日本語」としては、「不思議」ではあるものの、「数学的(?)」には、「」である。
といふことに、なる。
令和03年03月04日、毛利太。

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