(01)
① 如揮快刀断乱麻=
① 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕
に於いて、
如〔 〕⇒〔 〕如
揮( )⇒( )揮
断( )⇒( )断
といふ「移動」を行ふと、
① 〔(快刀)揮(乱麻)断〕如=
① 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つが〕如し。
(02)
② 如揮快刀断乱麻者=
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
に於いて、
如〔 〕⇒〔 〕如
揮( )⇒( )揮
断( )⇒( )断
といふ「移動」を行ふと、
② 〔(快刀)揮(乱麻)断者〕如=
② 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つ者が〕如し。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 如揮快刀断乱麻。
② 如揮快刀断乱麻者。
に対する「括弧」は、両方とも、
①〔( )( )〕
②〔( )( )〕
であって、「同じ」になる。
然るに、
(04)
①
如下
揮二
快刀一
断中
乱麻上⇒
①
快刀一
揮二
乱麻上
断中
如下=
①
快刀一を
揮二って
乱麻上を
断中つが
如下し。
然るに、
(05)
②
如下
揮二
快刀一
断二
乱麻一
者上⇒
②
快刀一
揮二
乱麻一
断二
者上
如下=
②
快刀一を
揮二って
乱麻一を
断二つ
者上が
如下し。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 如揮快刀断乱麻。
② 如揮快刀断乱麻者。
に対する「返り点」は、それぞれ、
① 下 二 一 中 上
② 下 二 一 二 一 上
であって、「同じ」ではない。
然るに、
(07)
① 如下揮二快刀一断中乱麻上。
② 如下揮二快刀一断二乱麻一者上。
ではなく、
① 如下揮二快刀一断二乱麻一#上。
② 如下揮二快刀一断二乱麻一者上。
であるならば、
① 如揮快刀断乱麻#。
② 如揮快刀断乱麻者。
に対する「返り点」は、それぞれ、
① 下 二 一 二 一 上
② 下 二 一 二 一 上
であって、「同じ」になる。
然るに、
(08)
① 如揮快刀断乱麻#。
に於いて、
① #
は「ダミー」であって、「意味も、音も無い」ものと、する。
加へて、
(09)
① 如揮快刀断乱麻#。
に於いて、
① #
は、「省く」ことが出来る、とする。
従って、
(07)(08)(09)
(10)
① 如下揮二快刀一断二乱麻一上。
② 如下揮二快刀一断二乱麻一者上。
であるため、この場合は、
① 如揮快刀断乱麻。
② 如揮快刀断乱麻者。
に対する「返り点」は、両方とも、
① 下 二 一 二 一 上
② 下 二 一 二 一 上
といふ風に、「同じ」になる。
然るに、
(11)
① 如下揮二快刀一断二乱麻一上。
② 如下揮二快刀一断二乱麻一者上。
といふ「返り点」は、
① 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
と書いても、「同じ」ことであり、
① 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
といふ「それ」は、
① 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
といふ「括弧」と、「同じ」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
①〔( )( )〕
といふ「括弧」は、
① 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」に「相当」する。
然るに、
(13)
「返り点」は、「その発想」として、
(ⅰ)「漢文訓読」の「語順」を表し、尚且つ、
(ⅱ)飽くまでも、「漢字」に付く。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
「返り点」の「発想」からすれば、
① 如下揮二快刀一断二乱麻一上。
② 如下揮二快刀一断二乱麻一者上。
に於いて、
② に関しては、「有り得る」が、
① に関しては、「有り得ない」。
然るに、
(15)
① 如揮快刀断乱麻。
② 如揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文」に於ける、「補足構造」は「共通」であって、「括弧」を用ひて、それ「表す」とすると、
① 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
といふ「形」になる。
然るに、
(16)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
② 如揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文」の、
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
といふ「補足構造」が、「分かった時点」で、
② 〔(快刀)揮(乱麻)断者〕如=
② 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つ者が〕如し。
といふ「訓読の語順」が、「一意的に、定まる」ことになる。
従って、
(17)により、
(18)
例へば、
③ 欲雖人之所不能無然多而不節未有不失其本心者(孟子集注)。
といふ「漢文」の、
③ 欲雖{人之所[不〔能(無)〕]}然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}。
といふ「補足構造」が、「分かった時点」で、
③ 欲{人之[〔(無)能〕不]所}雖然多而(節)不未{[〔(其本心)失〕不者]有}不=
③ 欲は{人の[〔(無き)能は〕不る]所なりと}雖へども、然れども、多くして(節せ)ざれば未だ{[〔(其の本心を)失は〕不る者]有ら}不。
といふ「訓読の語順」が、「一意的に、定まる」ことになる。
然るに、
(19)
③ 欲雖人之所不能無然多而不節未有不失其本心者。
といふ「漢文」を、
③ 欲は人の無き能は不る所なりと雖へども、然れども、多くして、節せざれば、未だ其の本心を失は不る者有ら不。
と「訓読」出来さえすれば、
③ 欲は人の無き能は不る所なりと雖へども、然れども、多くして、節せざれば、未だ其の本心を失は不る者有ら不。
といふ「語順」を下に、
③
欲
雖二
人
之
所一レ
不レ
能レ
無
然
多
而
不レ
節
未レ
有上
不レ
失二
其
本
心一
者上
。
といふ「返り点」を、付けることが、出来る。
然るに、
(20)
徂徠は、書を千遍読めば意味はおのずとわかる(「読書千遍、其義自見」)とはどういうことか、幼時にはわからなかったと云う。意味がわからないのに読めるはずがなく、読めればわかっているはずだと思ったからである。しかし後になって、中華では文字列をそのままの順で読むために、意味がわからなくとも読めること、それに対して。日本では中華の文字をこちらの言語の語順に直して読むために意味がとれなければ読めないことに気づく(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、17頁)。
(21)
徂徠は「題言十則」のなかで以下のように述べている。
中華の人多く言へり、「読書、読書」と。予は便ち謂へり、書を読むは書を看るに如かず、と。此れ中華と此の方との語言同じからざるに縁りて、故に此の方は耳口の二者、皆な力を得ず、唯だ一双の眼のみ、三千世界の人を合はせて、総て殊なること有ること莫し。
ここでの「読書」は、文脈からして音読であろう(勉誠出版、「訓読」論、2008年、27・244頁)
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
③ 欲雖人之所不能無然多而不節未有不失其本心者。
といふ「漢文」に対して、
③
欲
雖二
人
之
所一レ
不レ
能レ
無
然
多
而
不レ
節
未レ
有上
不レ
失二
其
本
心一
者上
。
といふ「返り点」を付けるためには、
③ 欲雖人之所不能無然多而不節未有不失其本心者。
といふ「漢文」が、
③ 欲雖{人之所[不〔能(無)〕]}然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}。
といふ風に、見えるまで、「ひたすら、見る」しかない。
然るに、
(23)
③ 欲雖人之所不能無然多而不節未有不失其本心者。
といふ「漢文」が、
③ 欲雖{人之所[不〔能(無)〕]}然多而不(節)未{有[不〔失(其本心)〕者]}。
といふ風に、見える人であれば、
④ 我非欲揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文」くらひは、それを「見た瞬間に」、
④ 我は快刀を揮って乱麻を断たんと欲する者に非ず。
といふ風に、「訓読」出来ることになる。
然るに、
(24)
④ 我非欲揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文」を「見ると同時」に、
④ 我は快刀を揮って乱麻を断たんと欲する者に非ず。
といふ風に、「訓読」出来るのであれば、その人は、
④ 我非欲揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文」を「目によって、直読」してゐることなる。
然るに、
(25)
p.9に「また、訓読ということには、大きな限界があるものなのであって、先人は、目による直読によって、その限界を乗り越えて来ていたのであることを忘れてはならない。」
p.385に「わが国における漢学の発達は、右のように、目による直読式の読法が、大きな基礎になっていたのであって、訓点による読誦は、この直読による暗記を助けるためのものであったともいうことができる」と書かれている。(p.7から9に同じ趣旨の事が書いてある)
私は、著者のいう『目による直読式の読法』の基本的な読み方・考え方を知りたくて、様々な本を物色していますが残念な事に出会えません。
(「鈴木直治、中国語と漢文、1975年」のカスタマーレビュウー)
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
『目による直読式の読法』の基本的な読み方を、マスターするには、
取り敢へず、例へば、
④ 我非欲揮快刀断乱麻者。
等の「漢文(白文)」に対して、
④ 我非[欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕者]。
といふ「括弧」を、付ける「練習」をすれば良い。
(27)
「ある程度」、それが出来るようになったならば、
④ 我非欲揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文(白文)」を見たら、そのまま、
④ 我は快刀を揮って乱麻を断たんと欲する者に非ず。
といふ風に、読むように、すれば良い。
令和02年09月10日、毛利太。
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