(01)
① ∃x∀y(愛xy)
② ∀y∃x(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
① ある人は、すべての人を愛してゐる(能動形)。
② すべての人はある人によって、愛されてゐる(受動形)。
といふ風に、読むことが出来る。
然るに、
(02)
① ある人Aが、すべての人を愛してゐる。
とするならば、
② すべての人は、ある人Aによって、愛されてゐる。
然るに、
(03)
② すべての人が、ある人Aと、ある人Bの内の、どちらかによって愛されてゐる。
とするならば、
② すべての人がある人によって、愛されてゐる。
としても、
① ある人Aが、すべての人を愛してゐる。
とは、限らない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① ∃x∀y(愛xy)
② ∀y∃x(愛xy)
といふ「述語論理式」が、さうであるやうに、
① ∃x∀y(Fxy)
② ∀y∃x(Fxy)
といふ「述語論理式」に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
従って、
然るに、
(05)
なるほどつぎのことは証明できる。
122 ∃x∀y(Fxy)├ ∀y∃x(Fxy)
1 (1)∃x∀y(Fxy) A
2(2) ∀y(Fay) A
2(3) Fab 2UE
2(4) ∃x(Fxb) 3EI
2(5)∀y∃x(Fxy) 4UI
1 (6)∀y∃x(Fxy) 125EE
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、165・166頁)
然るに、
(06)
たとえば、
1 (1)∀y∃x(Fxy) A
1 (2) ∃x(Fxb) 1UE
3(3) Fab A
3(4) ∀y(Fay) 3UI
3(5)∃x∀y(Fxy) 3EI
1 (6)∃x∀y(Fxy) 235EE
ただ一つび誤った段階は(4)のそれである。(3)は「b」を含み、その結果 UI の制限が破られている点に誤りがある。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、166頁改)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
いづれにせよ、
① ∃x∀y(愛xy)
② ∀y∃x(愛xy)
が、さうであるやうに、
① ∃x∀y(Fxy)
② ∀y∃x(Fxy)
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
然るに、
(08)
①{a,b,c}のみを含む、3つの対象から成る世界を取り扱っていると仮定すると、
① ∃x∀y(Fxy) といふ『連言の、選言』は、
(ⅰ) F(xa)&F(xb)&F(xc)
(ⅱ){F(xa)&F(xb)&F(xc)}∨{F(xa)&F(xb)&F(xc)}∨{F(xa)&F(xb)&F(xc)}
(ⅲ){F(aa)&F(ab)&F(ac)}∨{F(ba)&F(bb)&F(bc)}∨{F(ca)&F(cb)&F(cc)}
といふ「手順」で、「展開」出来る。
(09)
②{a,b,c}のみを含む、3つの対象から成る世界を取り扱っていると仮定すると、
② ∀y∃x(Fxy) といふ『選言の、連言』は、
(ⅰ) F(ax)∨F(bx)∨F(cx)
(ⅱ){F(ax)∨F(bx)∨F(cx)}&{F(ax)∨F(bx)∨F(cx)}&{F(ax)∨F(bx)∨F(cx)}
(ⅲ){F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
といふ「手順」で、「展開」出来る。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
① ∃x∀y(Fxy)≡{F(aa)&F(ab)&F(ac)}∨{F(ba)&F(bb)&F(bc)}∨{F(ca)&F(cb)&F(cc)}
② ∀y∃x(Fxy)≡{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
然るに、
(01)(10)により、
(11)
1 (1)∃x∀y(Fxy) A
2(2) ∀y(Fay) A
2(3) Fab 2UE
2(4) ∃x(Fxb) 3EI
2(5)∀y∃x(Fxy) 4UI
1 (6)∀y∃x(Fxy) 125EE
といふ「計算」は、「(12)~(16)」のやうな、「プロセス」であると、見做すことが、出来る。
(12)
① ∃x∀y(Fxy)≡{F(aa)&F(ab)&F(ac)}∨{F(ba)&F(bb)&F(bc)}∨{F(ca)&F(cb)&F(cc)}
に於いて、例へば、
①{F(aa)&F(ab)&F(ac)} が「真」であるならば、
① F(aa) は「真」であり、
① F(ab) も「真」であり、
① F(ac) も「真」である。
然るに、
(13)
① F(aa) は「真」であり、
① F(ab) も「真」であり、
① F(ac) も「真」である。ならば、
①{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)} は「真」であり、
①{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)} も「真」であり、
①{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)} も「真」である。
然るに、
(14)
①{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)} は「真」であり、
①{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)} も「真」であり、
①{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)} も「真」である。ならば、
②{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)} は「真」である。
然るに、
(15)
①{F(ba)&F(bb)&F(bc)} が「真」であるとしても、
①{F(ca)&F(cb)&F(cc)} が「真」であるとしても、「結論(14)」は、「変はらない」。
従って、
(10)~(15)により、
(16)
① ∃x∀y(Fxy)≡{F(aa)&F(ab)&F(ac)}∨{F(ba)&F(bb)&F(bc)}∨{F(ca)&F(cb)&F(cc)}
② ∀y∃x(Fxy)≡{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(06)により、
(17)
1 (1)∀y∃x(Fxy) A
1 (2) ∃x(Fxb) 1UE
3(3) Fab A
3(4) ∀y(Fay) 3UI
3(5)∃x∀y(Fxy) 3EI
1 (6)∃x∀y(Fxy) 235EE
といふ「間違った計算」の、
1 (1)∀y∃x(Fxy) A
1 (2) ∃x(Fxb) 1UE
3(3) Fab A
3(4) ∀y(Fay) 3UI
といふ「4行」は、
(1) F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
(2){F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}
(3) F(ab)
(4){F(aa)&F(ab)&F(ac)}
といふ「4行」に、「相当」する。
従って、
(17)により、
(18)
(2){F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}
(3) F(ab)
(4){F(aa)&F(ab)&F(ac)}
の場合は、「結果」として、
(2){F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}
といふ「前提(premise)」を、
(4){F(aa)&F(ab)&F(ac)}
といふ風に、「書き換へ」てゐるが、固より、
(2)と(4)は、「同じ」ではない。
従って、
(06)(17)(18)により、
(19)
(2){F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}
(3) F(ab)
(4){F(aa)&F(ab)&F(ac)}
に「相当」する所の、
1 (2) ∃x(Fxb) 1UE
3(3) Fab A
3(4) ∀y(Fay) 3UI
といふ「計算」が、「マチガイ」である。といふことは、『明白』である。
従って、
(06)(17)~(19)により、
(20)
1 (1)∀y∃x(Fxy) A
1 (2) ∃x(Fxb) 1UE
3(3) Fab A
3(4) ∀y(Fay) 3UI
3(5)∃x∀y(Fxy) 3EI
1 (6)∃x∀y(Fxy) 235EE
といふ「間違った計算」は、
① ∃x∀y(Fxy)≡{F(aa)&F(ab)&F(ac)}∨{F(ba)&F(bb)&F(bc)}∨{F(ca)&F(cb)&F(cc)}
② ∀y∃x(Fxy)≡{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
といふ「等式」の、
①{F(aa)&F(ab)&F(ac)}∨{F(ba)&F(bb)&F(bc)}∨{F(ca)&F(cb)&F(cc)}
②{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}&{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}&{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
といふ「右辺」を見ることによって、「それがマチガイである。」といふことが、『明白』になる。
(21)
③{a,b,c}のみを含む、3つの対象から成る世界を取り扱っていると仮定すると、
③ ∃x∃y(Fxy) といふ『選言の、選言』は、
(ⅰ) F(xa)∨F(xb)∨F(xc)
(ⅱ){F(xa)∨F(xb)∨F(xc)}∨{F(xa)∨F(xb)∨F(xc)}∨{F(xa)∨F(xb)∨F(xc)}(
(ⅲ){F(aa)∨F(ab)∨F(ac)}∨{F(ba)∨F(bb)∨F(bc)}∨{F(ca)∨F(cb)∨F(cc)}(
といふ「手順」で、「展開」出来る。
(22)
④{a,b,c}のみを含む、3つの対象から成る世界を取り扱っていると仮定すると、
④ ∃y∃x(Fxy) といふ『選言の、選言』は、
(ⅰ) F(ax)∨F(bx)∨F(cx)
(ⅱ){F(ax)∨F(bx)∨F(cx)}∨{F(ax)∨F(bx)∨F(cx)}∨{F(ax)∨F(bx)∨F(cx)}
(ⅲ){F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}∨{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}∨{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
といふ「手順」で、「展開」出来る。
然るに、
(21)(22)により、
(23)
「結合法則」と「交換法則」により、
③{F(aa)∨F(ab)∨F(ac)}∨{F(ba)∨F(bb)∨F(bc)}∨{F(ca)∨F(cb)∨F(cc)}
④{F(aa)∨F(ba)∨F(ca)}∨{F(ab)∨F(bb)∨F(cb)}∨{F(ac)∨F(bc)∨F(cc)}
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(24)
③ ∃x∃y(Fxy)
④ ∃y∃x(Fxy)
③ F=愛す。
④ F=愛す。
であるならば、
③ ∃x∃y(Fxy)≡ある人は、ある人を愛す。
④ ∃y∃x(Fxy)≡ある人は、ある人によって、愛される。
に於いて、
③ と ④ は、「同じこと」である。
従って、
(23)(24)により、
(25)
③ ∃x∃y(愛xy)
④ ∃y∃x(愛xy)
といふ「述語論理式」がさうであるやうに、
③ ∃x∃y(Fxy)
④ ∃y∃x(Fxy)
といふ「述語論理式」に於いて、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。
従って、
(04)(25)により、
(26)
① ∃x∀y(Fxy)
② ∀y∃x(Fxy)
③ ∃x∃y(Fxy)
④ ∃y∃x(Fxy)
に於いて、
①=② ではないが、
③=④ である。
令和02年09月25日、毛利太。
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