2019年8月4日日曜日

「矛盾・韓非子」の「述語論理」(Ⅲ)。

(01)
― 矛盾・韓非子 ―
楚人有鬻盾与矛者。誉之曰、吾盾之堅、莫能陥也。又誉其矛曰、矛之利、於物無不陥也。或曰、以子之矛、陥子之盾、何如。其人弗能応也=
楚人有[鬻〔盾与(矛)〕者]。誉(之)曰、吾盾之堅、莫(能陥)也。又誉(其矛)曰、矛之利、於(物)無〔不(陥)〕也。或曰、以(子之矛)、陥(子之盾)、何如。其人弗〔能(応)〕也⇒
楚人に[〔盾と(矛)とを〕鬻ぐ者]有り。(之を)誉めて曰く、吾が盾の堅きこと、(能く陥す)莫きなり。又た(其の矛を誉めて)曰く、吾が矛の利なること、(物に)於いて〔(陥さ)不る〕無きなり。或ひと曰く、(子の矛を)以て、(子の盾を)陥さば、何如ん。其の人〔(応ふる)能は〕ざるなり=
楚の国の人で盾と矛とを売る者がゐた。自分の盾を誉めて言った。 私の盾を突き通すことができるものはない。 又其の矛を誉めて言った。 私の矛の鋭いことには、どんな物でも突き通すことができないものはない。或るひとが言った。 あなたの矛で、あなたの盾を突いたらどうなるのか。 其の(盾と矛を売る)人は、答へることが、出来なかった。
然るに、
(02)
1       (1)∃x(盾x)&∃y(矛y)      A
1       (2)∃x(盾x)             1&E
 3      (3)   盾a              A
1       (4)       ∃y(矛y)      1&E
  5     (5)          矛b       A
   6    (6)∀y{矛y→∃x(盾x&~陥yx)} A
   6    (7)   矛b→∃x(盾x&~陥bx)  6UE
  56    (8)      ∃x(盾x&~陥bx)  57MPP
    9   (9)         盾a&~陥ba   A
    9   (ア)            ~陥ba   9&E
     イ  (イ)∀x{盾x→∃y(矛y& 陥yx)} A
     イ  (ウ)   盾a→∃y(矛y& 陥ya)  イUE
 3   イ  (エ)      ∃y(矛y& 陥ya)  3ウMPP
      オ (オ)         矛b& 陥ba   A
      オ (カ)             陥ba   オ&E
    9 オ (キ)        ~陥ba&陥ba   アカ&I
  56  オ (ク)        ~陥ba&陥ba   89キEE
 356 イ  (ケ)        ~陥ba&陥ba   エオクEE
1 56 イ  (コ)        ~陥ba&陥ba   23ケEE
1  6 イ  (サ)        ~陥ba&陥ba   45コEE
   6 イ  (シ)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)}  1サRAA
   6 イ  (ス) ~∃x(盾x)∨~∃y(矛y)   シ、ド・モルガンの法則
   6 イ  (セ)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)   ス含意の定義
      ソ (ソ)          ∃y(矛y)   A
      ソ (タ)        ~~∃y(矛y)   ソDN
   6 イソ (チ) ~∃x(盾x)           セタMTT
   6 イ  (ツ)  ∃y(矛y)→~∃x(盾x)   ソチCP
   6 イ  (テ)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)&
             ∃y(矛y)→~∃x(盾x)   セツ&I
(03)
(ⅰ)
1       (1)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)  A
 2      (2)  ∃x(盾x)& ∃y(矛y)  A
 2      (3)  ∃x(盾x)          2&E
 2      (4)          ∃y(矛y)  2&E
12      (5)         ~∃y(矛y)  13MPP
12      (6)  ∃y(矛y)&~∃y(矛y)  45&I
1       (7)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)} 26RAA
(ⅱ)
1       (1)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)} 26RAA
 2      (2)  ∃x(盾x)          A
  3     (3)          ∃y(矛y)  A
 23     (4)  ∃x(盾x)& ∃y(矛y)  23&I 
123     (5)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)} 
           &(∃x(盾x)& ∃y(矛y)} 14&I
12      (6)         ~∃y(矛y)  35RAA
1       (7)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)  26CP
従って、
(03)により、
(04)
①     ∃x(盾x)→~∃y(矛y)
② ~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(04)により、
(05)
③     ∃x(矛x)→~∃y(盾y)
④ ~{∃x(矛x)& ∃y(盾y)}
に於いて、
③=④ である。
従って、
(02)~(05)により、
(06)
1       (1)∃x(盾x)&∃y(矛y)      A
1       (2)∃x(盾x)             1&E
 3      (3)   盾a              A
1       (4)       ∃y(矛y)      1&E
  5     (5)          矛b       A
   6    (6)∀y{矛y→∃x(盾x&~陥yx)} A
   6    (7)   矛b→∃x(盾x&~陥bx)  6UE
  56    (8)      ∃x(盾x&~陥bx)  57MPP
    9   (9)         盾a&~陥ba   A
    9   (ア)            ~陥ba   9&E
     イ  (イ)∀x{盾x→∃y(矛y& 陥yx)} A
     イ  (ウ)   盾a→∃y(矛y& 陥ya)  イUE
 3   イ  (エ)      ∃y(矛y& 陥ya)  3ウMPP
      オ (オ)         矛b& 陥ba   A
      オ (カ)             陥ba   オ&E
    9 オ (キ)        ~陥ba&陥ba   アカ&I
  56  オ (ク)        ~陥ba&陥ba   89キEE
 356 イ  (ケ)        ~陥ba&陥ba   エオクEE
1 56 イ  (コ)        ~陥ba&陥ba   23ケEE
1  6 イ  (サ)        ~陥ba&陥ba   45コEE
   6 イ  (シ)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)}  1サRAA
   6 イ  (ス) ~∃x(盾x)∨~∃y(矛y)   シ、ド・モルガンの法則
   6 イ  (セ)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)   ス含意の定義
      ソ (ソ)          ∃y(矛y)   A
      ソ (タ)        ~~∃y(矛y)   ソDN
   6 イソ (チ) ~∃x(盾x)           セタMTT
   6 イ  (ツ)  ∃y(矛y)→~∃x(盾x)   ソチCP
   6 イ  (テ)  ∃x(盾x)→~∃y(矛y)&
             ∃y(矛y)→~∃x(盾x)   セツ&I
   6 イ  (ト)~{∃x(盾x)& ∃y(矛y)}&
           ~{∃x(矛x)& ∃y(盾y)}  テ含意の定義
従って、
(06)により、
(07)
(1)ある盾xが存在し、ある矛yが存在する。 と「仮定」して、
(6)すべてのyについて、yが矛ならば、あるxは盾であって、yはxを陥さない。と「仮定」して、
(イ)すべてのxについて、xが盾ならば、あるyは矛であって、yはxを陥す。  と「仮定」すると、
(テ)ある盾xが存在するならば、ある矛yは存在せず、
   ある矛yが存在するならば、ある盾xは存在しない。が故に、
(ト)盾xと矛yが、「同時に、存在する」といふことはない。
然るに、
(08)
夫不可陷之盾与無不陷之矛、不可同世而立。今堯舜之不可両譽、矛盾之説也=
夫不〔可(陷)〕之楯與[無〔不(陷)〕之矛]、不[可〔同(世)而立〕]。今堯舜之不〔可(両譽)〕、矛楯之説也⇒
夫れ〔(陷す)可がら〕不るの楯と[〔(陷さ)不る〕無きの矛]とは、[〔(世を)同じくして立つ〕可から]不。今堯舜の〔(両つながら譽む)可から〕不るは、矛楯の説なり=
いかなる矛であっても、突き通すことが出来ない「盾」と、いかなる盾であってあっても、突き通さないことが無い「矛」とは、同時に存在することはできない。堯と舜とを同時に誉めたたへることが出来ないのは、この「盾と矛の例へ」と同じである。
cf.
儒教思想を批判した韓非は、儒者が堯・舜を、万人を感化した聖人であるとして賞賛するのを反対して、堯が万人を感化したなら、もはや舜はその後をうけて人民を感化する必要はないし、舜が堯にかわって万人を感化する必要があったとするならば、堯は聖人として不十分であったという証拠になる。という。したがって堯・舜ふたりとも聖人であるというのは矛盾であるとして、この話を引用したのである。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、34頁)
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
この場合の「韓非子の説」は、「漢文」としても、「日本語」としても、「述語論理」としても、「正しい」。
令和元年08月04日、毛利太。

2019年8月2日金曜日

「他ならぬ君に踊って欲しい。」の「述語論理」と「強調形」と「ラテン語」。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―
(01)
(ⅰ)
1   (1)∃x∃y{我x&汝y&∀z(欲踊xz→z=y}   A
 2  (2)  ∃y{我a&汝y&∀z(欲踊az→z=y}   A
  3 (3)     我a&汝b&∀z(欲踊az→z=b)   A
  3 (4)     我a&汝b                3&E
  3 (5)           ∀z(欲踊ac→c=b)   3&E
  3 (6)              欲踊ac→c=b    5UE
   7(7)                   c≠b    A
  37(8)             ~欲踊ac        67MTT
  3 (9)              c≠b→~欲踊ac   78CP
  3 (ア)           ∀z(z≠b→~欲踊az)  9UI
  3 (イ)     我a&汝b&∀z(z≠b→~欲踊az)  4ア&I
  3 (ウ)  ∃y{我a&汝y&∀z(z≠y→~欲踊az)} イEI
 2  (エ)  ∃y{我a&汝y&∀z(z≠y→~欲踊az)} 23ウEE
 2  (オ)∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)} エEI
1   (カ)∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)} 12オEE
(ⅱ)
1   (1)∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)} 1
 2  (2)  ∃y{我a&汝y&∀z(z≠y→~欲踊az)} A
  3 (3)     我a&汝b&∀z(z≠y→~欲踊az)  A
  3 (4)     我a&汝b                3&E
  3 (5)           ∀z(z≠y→~欲踊az)  3&E
  3 (6)              c≠y→~欲踊ac   5UE
   7(7)                   欲踊ac   A
   7(8)                 ~~欲踊ac   7DN
  37(9)            ~(c≠y)        68MTT
  37(ア)              c=y         6DN
  3 (イ)              欲踊ac→c=y    7アCP
  3 (ウ)           ∀z(欲踊az→z=b)   イUI
  3 (エ)     我a&汝b&∀z(欲踊az→z=b)   4ウ&I
  3 (オ)  ∃y{我a&汝y&∀z(欲踊az→z=y}   エEI
 2  (カ)  ∃y{我a&汝y&∀z(欲踊az→z=y}   23オEE
 2  (キ)∃x∃y{我x&汝y&∀z(欲踊xz→z=y}   カEI
1   (ケ)∃x∃y{我x&汝y&∀z(欲踊xz→z=y}   12キEE
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x∃y{我x&汝y&∀z(  欲踊xz→z=y)}
② ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
(ⅱ)
1   (1) ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz}  A
 2  (2)   ∃y{我a&汝y&∀z(z≠y→~欲踊az}  A
  3 (3)      我a&汝b&∀z(z≠b→~欲踊az)  A
  3 (4)      我a&汝b                3&E
  3 (5)            ∀z(z≠b→~欲踊az)  3&E
  3 (6)               c≠b→~欲踊ac   5UE
  3 (7)              ~c≠b∨~欲踊ac   6含意の
  3 (8)             ~(c≠b& 欲踊ac)  7ド・モルガンの法則
  3 (9)           ∀z~(z≠b& 欲踊az)  8UI 
  3 (ア)           ~∃z(z≠b& 欲踊az)  9量化子の関係
  3 (イ) ~~(我a&汝b)                 4DN
  3 (ウ) ~~(我a&汝b)&~∃z(z≠b& 欲踊az)  9イ&I
  3 (エ)~{~(我a&汝b)∨ ∃z(z≠b& 欲踊az)} ウ、ド・モルガンの法則
  3 (オ)~{  我a&汝b → ∃z(z≠b& 欲踊az)} エ含意の定義
  3 (カ)  ∃y~{我a&汝y→∃z(z≠y& 欲踊az)} オEI
 2  (キ)  ∃y~{我a&汝y→∃z(z≠y& 欲踊az)} 23カEE
 2  (ク)∃x∃y~{我x&汝y→∃z(z≠y& 欲踊xz)} キEI
1   (ケ)∃x∃y~{我x&汝y→∃z(z≠y& 欲踊xz)} 12クEE
1   (コ)∃x~∀y{我x&汝y→∃z(z≠y& 欲踊xz)} ケ量化子の関係
1   (サ)~∀x∀y{我x&汝y→∃z(z≠y& 欲踊xz)} コ量化子の関係
(ⅲ)
1   (1)~∀x∀y{我x&汝y →∃z(z≠y&欲踊xz)} A
1   (2)∃x~∀y{我x&汝y →∃z(z≠y&欲踊xz)} 1量化子の関係
1   (3)∃x∃y~{我x&汝y →∃z(z≠y&欲踊xz)} 2量化子の関係
 4  (4)  ∃y~{我a&汝y →∃z(z≠y&欲踊az)} A
  5 (5)    ~{我a&汝b →∃z(z≠b&欲踊az)} A
  5 (6)  ~{~(我a&汝b)∨∃z(z≠b&欲踊az)} 5含意の定義
  5 (7)  ~~(我a&汝b)&~∃z(z≠b&欲踊az)  6ド・モルガンの法則
  5 (8)    (我a&汝b)&~∃z(z≠b&欲踊az)  7DN
  5 (9)    (我a&汝b)                8&E
  5 (ア)            ~∃z(z≠b&欲踊az)  8&E
  5 (イ)            ∀z~(z≠b&欲踊az)  ア量化子の関係
  5 (ウ)              ~(c≠b&欲踊ac)  5UE
  5 (エ)              ~c≠b∨~欲踊ac   ウ、ド・モルガンの法則
  5 (オ)               c≠b→~欲踊ac   エ含意の定義
  5 (カ)            ∀z{z≠b→~欲踊az)  オUI
  5 (キ)      我a&汝b&∀z{z≠b→~欲踊az)  9カ&I
  5 (ク)   ∃y{我a&汝y&∀z{z≠y→~欲踊az)} キEI
 4  (ケ)   ∃y{我a&汝y&∀z{z≠y→~欲踊az)} 45クEE
 4  (コ) ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)} ケEI
1   (サ) ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)} 34コEE
従って、
(03)により、
(04)
② ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)}
③ ~∀x∀y{我x&汝y→∃z(z≠y&欲踊xz)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(02)(04)により、
(05)
① ∃x∃y{我x&汝y&∀z(  欲踊xz→z=y)}
② ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)}
③ ~∀x∀y{我x&汝y→∃z(z≠y&欲踊xz)}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(05)により、
(06)
① あるxは私であり、あるyは汝であり、すべてのzについて、x(私)がzに踊って欲しいのであれば、そのzはy(汝)である。
② あるxは私であり、あるyは汝であり、すべてのzについて、zが、y(汝)でないならば、x(私)はzに踊って欲しくはない。
③ すべてのxとyについて、xが私であり、yが汝であるならば、あるzがy(汝)でなくて、x(私)がそのzに対して、踊って欲しい、といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(07)
② あるxは私であり、あるyは汝であり、すべてのzについて、zが、y(汝)でないならば、x(私)はzに踊って欲しくはない。
といふことは、
② 私は、あなた以外に、踊って欲しいとは思はない。
といふ、ことである。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
① ∃x∃y{我x&汝y&∀z(  欲踊xz→z=y)}
② ∃x∃y{我x&汝y&∀z(z≠y→~欲踊xz)}
③ ~∀x∀y{我x&汝y→∃z(z≠y&欲踊xz)}
といふ「論理式」は、三つとも、
② 私は、あなた以外に、踊って欲しくない
といふ、「意味」である。
然るに、
(09)
② 私は、あなた以外に、踊って欲しくない
といふだけでは、
② 私は、あなたに、踊って欲しい。
といふことには、ならない。
然るに、
(10)
② 私は、あなたに、踊って欲しく、あなた以外に踊って欲しくない。⇔
② ∃x∃y{我x&汝y&欲踊xy&∀z(z≠y→~欲踊xz)}⇔
② あるxは私であり、あるyは汝であり、x(私)はy(汝)に踊って欲しく、すべてのzについて、zが、y(汝)でないならば、x(私)はzに踊って欲しくはない。
従って、
(10)により、
(11)
② 私は、あなたに、踊って欲しく、あなた以外に踊って欲しくない
といふ「日本語」は、
② ∃x∃y{我x&汝y&欲踊xy&∀z(z≠y→~欲踊xz)}
といふ「論理式」に、相当する。
然るに、
(12)
① 私は、あなたに、踊って欲しい。
といふ「日本語」に於いて、
①   「あなたに」
を、殊更、「強く発音」するならば、
② 私は、あなたに、踊って欲しく、あなた以外に踊って欲しくない
② ∃x∃y{我x&汝y&欲踊xy&∀z(z≠y→~欲踊xz)}
といふ「意味」になる。
然るに、
(13)
② 私は、あなたに、踊って欲しく、あなた以外に踊って欲しくない
といふことは、すなはち、
② 私は、あなたに、踊って欲しいのであって、あなた以外に踊って欲しくはない
といふことは、
② 私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
といふ、ことである。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 私は、あなたに、踊って欲しい。
といふ「日本語」に於いて、
①   「あなたに
を、殊更、「強く発音」するならば、
② 私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
といふ「意味」になる。
従って、
(14)により、
(15)
① 私は、あなたに、踊って欲しい。
といふ「日本語」に於いて、
①   「あなたに
を、「強調」するならば、
② 私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
といふ「意味」になる。
然るに、
(16)
B:Te bene saltare audivi.Salta, obsecro.
A:Alium roga.
B:Te ipsum saltare videre volo.
(白水社、CDエクスプレスラテン語、2004年、66頁)
然るに、
(17)
B:君は踊りがうまいと聞いたことがあるぞ、お願いだ、踊ってくれ。
A:ほかの人に頼めよ。
B:君自身が踊るのを見たいんだよ。
(白水社、CDエクスプレスラテン語、2004年、67頁)
然るに、
(18)
A:ほかの人に頼めよ。
B:君自身が踊るのを見たいんだよ。
といふことは、
A:他の人に頼めよ。
B:私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
といふ、ことである。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
B:Te ipsum saltare videre volo.
といふ「ラテン語」は、
B:私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい(意訳)。
といふ「日本語」に、訳すことが出来る。
然るに、
(20)
B:Te ipsum の、
     ipsum は、ipse の「対格」であって、
             ipse は「強意代名詞」である。
然るに、
(21)
上述の指示代名詞のほかに、「~自身、自体」「他ならぬ~」を意味する強意代名詞の ipse も、三人称代名詞になります(大西英文、はじめてのラテン語、1997年、174頁改)。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① Te             saltare videre volo.
② Te ipsum saltare videre volo.
といふ「ラテン語」は、
① 私は、     あなたに、踊って欲しい。
② 私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
といふ「日本語」に、相当する。
従って、
(15)(20)(21)(22)により、
(23)
① 私は、あなたに、踊って欲しい。
① Te saltare videre volo.
に於いて、
① あなたに、   を「強調」し、
① Te(you) を「強調」すると、
② 私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
② 私は、他ならぬ、あなたに、踊って欲しい。
といふ「意味」になる。
令和元年08月02日、毛利太。

2019年7月30日火曜日

「他ならぬ・~ガ」の「が(既知)」について(Ⅱ)。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
B:君は踊りがうまいと聞いたことがあるぞ、お願いだ、踊ってくれ。
A:ほかの人に頼めよ。
B:君自身が踊るのを見たいんだよ。
(白水社、CDエクスプレスラテン語、2004年、67頁)
然るに、
(02)
B:Te bene saltare audivi.Salta, obsecro.
A:Alium roga.
B:Te ipsum saltare videre volo.
(白水社、CDエクスプレスラテン語、2004年、66頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
A:Alium roga.
B:Te ipsum saltare videre volo.
といふ「ラテン語」は、
A:他の人に頼めよ。
B:他ならぬ君に踊って欲しいんだ。
といふ「日本語」に、相当する。
然るに、
(04)
B:Te ipsum の、
     ipsum は、ipse の「対格」であって、
             ipse は「強意代名詞」である。
然るに、
(05)
上述の指示代名詞のほかに、「~自身、自体」「他ならぬ~」を意味する強意代名詞の ipse も、三人称代名詞になります(大西英文、はじめてのラテン語、1997年、174頁改)。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
B:Te ipsum saltare videre volo.
といふ「ラテン語」は、
B:他ならぬ君に踊って欲しいんだ。
といふ「日本語」に相当し、尚且つ、
B:ipsum(強意代名詞)が、
B:他ならぬ
といふ「意味」を、担ってゐる
然るに、
(07)
B:君に踊って欲しいんだ。
に於いて、
B:君に を、「強く発音(強調)」すれば、
B:他ならぬ、君に踊って欲しいんだ。
といふ、「意味」になる。
従って、
(06)(07)により、
(08)
強調形」は、「ラテン語」も、「日本語」も、「他ならぬ~」といふ意味を、表すことが、出来る。
然るに、
(09)
 マリリンモンローディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
 あのチャップリン大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(09)により、
(10)
これらの場合は、二つとも、
③(他ならぬ)マリリンモンローディマジオと結婚!
④(他ならぬ)あのチャップリン大往生。
といふ「意味」であある。
然るに、
(11)
③(他ならぬ)マリリンモンローディマジオと結婚!
④(他ならぬ)あのチャップリン大往生。
に対して、
①(他ならぬ)マリリンモンローはディマジオと結婚!
②(他ならぬ)あのチャップリンは大往生。
といふ「日本語」は、存在しない
従って、
(12)
①      マリリンモンローはディマジオと結婚!
②      あのチャップリンは大往生。
③(他ならぬ)マリリンモンローディマジオと結婚!
④(他ならぬ)あのチャップリン大往生。
である。
従って、
(08)(12)により、
(13)
① マリリンモンローは
② あのチャップリンは
に対する、
③ マリリンモンロー
④ あのチャップリン
は、「強調形」であると、「推定」できる。
従って、
(13)により、
(14)
① マリリンモンローは(音)
② あのチャップリンは(音)
に対する、
③ マリリンモンロー音)
④ あのチャップリン音)
は、「強調形」であると、「推定」できる。
然るに、
(15)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① マリリンモンローは(清音)
② あのチャップリンは(清音)
に対する、
③ マリリンモンローが(音)
④ あのチャップリンが(音)
は、実際に、「強調形」である。
従って、
(08)(19)により、
(17)
③(他ならぬ
④(他ならぬ
といふ「意味」を、「言外に表したい」のであれば、その場合は、
① マリリンモンローは
② あのチャップリンは
とは書かずに、
③ マリリンモンロー
④ あのチャップリン
といふ風に、書くことになる。
従って、
(09)(17)により、
(18)
 マリリンモンローディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、によってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
といふ「必然性」は、無い
従って、
(19)
 あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
といふ「言ひ方」は、「詭弁」に過ぎない。
(20)
 あのチャップリン大往生。
は、「驚異」ではなく、「強意」を表してゐる。
令和元年07月30日、毛利太。

2019年7月27日土曜日

「他ならぬ・~ガ」の「が(既知)」について:大野文法批判。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
これまでに、何度も述べた通り、
① 私大野です。
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(02)
③ 私以外は大野ではない
のやうな、
③ A以外はBでない
といふ「命題」を、「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
従って、
(02)により、
(03)
④「~以外ではない所の
といふ「日本語」は、言はば、
④「排他的命題の、連体形」である。
然るに、
(04)
④「以外ではない所の
といふ「日本語」は、
④「なら
といふ「日本語」に、他ならない。
cf.
他ならぬ=他(体言)なら(断定・未然形)ぬ(打消し・連体形)。
然るに、
(05)
他ならぬ④【《他ならぬ】ほかならない。「――・・・である〔=今から言及するのは、あなたもご承知の・・・である 〕」
(三省堂、新明解国語辞典、代四版、1991年、1190頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
④(なら)ABである。
である。
といふのであれば、
④ A=あなたもご承知のなら、あのA
でなければ、ならない。
然るに、
(07)
④(なら)ABである。
⑤(なら)AはBである。
に於いて、
④ といふ「日本語」に対して、
⑤ といふ「日本語」は、存在しない
従って、
(01)~(07)により、
(08)
① AがBである(排他的命題)。
④ ABである(排他的命題の、連体形)。
に於いて、
① Aが(未知) であるとしても、
④ A未知) である。といふことは、絶対に、有り得ない
従って、
(07)(08)により、
(09)
① AがBである(A以外はBでない)。
④ ABである(ならBである)。
に於いて、
④ A は、「必ず既知である。」
従って、
(09)により、
(10)
④ チャップリン大往生(ならチャップリン大往生)。
であるならば、
④ チャップリン は、「必ず既知である。」
然るに、
(11)
 マリリンモンローディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
 あのチャップリン大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のもの未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
従って、
(10)(11)により、
(12)
 あのチャップリン大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のもの未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである
といふ「説明」は、「典型的な、詭弁」に過ぎない。
然るに、
(13)
④ あのチャップリン大往生。
を「声に出して言ふ」場合は、
④     チャップリン
に「強勢(Stress)」が置かれることになる。
然るに、
(14)
次(15)に示す通り、
④ Aが(音)
⑤ Aは(清音)
に於いて、
④ Aが(音) の方が、
⑤ Aは(清音) よりも、「心理的な音量」が大きい
(15)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
④ あのチャップリン大往生。
を「声に出して言ふ」場合は、
④     チャップリン
に「強勢(Stress)」が置かれることになり、尚且つ、
④   チャップリンが(音) の方が、
⑤   チャップリンは(清音) よりも、「心理的な音量」が大きい
従って、
(10)(11)(16)により、
(17)
あのチャップリン大往生(ならチャップリン大往生)。
であって、
⑤ あのチャップリンは大往生(他ならぬチャップリンは大往生)。
でないことは、「当然」である。
令和元年07月27日、毛利太。

2019年7月26日金曜日

「私は大野です。」の「~は」は「既知・未知」とは関係ない。

(01)
― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 私大野です。
大野は私です。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
② 大野私です。
といふことは、
② 大野ならば私である。
といふことである。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1  (1) P→ Q A
 2 (2) P    A
  3(3)   ~Q A
12 (4)    Q 12MPP
123(5) ~Q&Q 34&I
1 3(6)~P    25RAA
1  (7)~Q→~P 36CP
(ⅱ)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)~Q    A
  3(3)    P A
12 (4)   ~P 12MPP
123(5) P&~P 34&I
1 3(6)  ~~Q 25RAA
1 3(7)    Q 6DN
1  (8) P→ Q 37CP
従って、
(04)により、
(05)
(ⅱ)
1  (1)PならばQである    A
 2 (2)Pである        A
  3(3)    Qでない    A
12 (4)    Qである    12MPP
123(5)QでなくてQである   34&I
1 3(6)Pでない        25RAA
1  (7)QでないならばPでない 36CP
(ⅲ)
1  (1)QでないならばPでない A
 2 (2)Qでない        A
  3(3)       Pである A
12 (4)       Pでない 12MPP
123(5)PであってPでない   34&I
1 3(6)Qでないでない     25RAA
1 3(7)Qである        6DN
1  (8)PであるならばQである 37CP
従って、
(05)により、
(06)
(ⅱ)
1  (1)大野ならば私である    A
 2 (2)大野である        A
  3(3)     私でない    A
12 (4)     私である    12MPP
123(5)私でなくて私である    34&I
1 3(6)大野でない        25RAA
1  (7)私でないならば大野でない 36CP
(ⅲ)
1  (1)私でないならば大野でない A
 2 (2)私でない         A
  3(3)       大野である A
12 (4)       大野でない 12MPP
123(5) 大野であって大野でない 34&I
1 3(6)私でないでない      25RAA
1 3(7)私である         6DN
1  (8)大野であるならば私である 37CP
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
② 大野ならば私である。
③ 私でないならば大野でない
に於いて、「両者」は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(08)
③ 私でないならば大野でない
といふことは、
③ 私以外は大野ではない
といふことである。
従って、
(02)(03)(07)(08)により、
(09)
① 私大野です。
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(10)
③ 私以外大野ではない
④ 私以外大野である
に於いて、
③と④ は「矛盾」する。
然るに、
(11)
(ⅲ)
1  (1)∃x{私x&大野x&~∀y(x≠y→~大野y)} A
 2 (2)   私a&大野a&~∀y(a≠y→~大野y)  A
 2 (3)   私a&大野a                2&E
 2 (4)          ~∀y(a≠y→~大野y)  2&E
 2 (5)          ∃y~(a≠y→~大野y)  4量化子の関係
  6(6)            ~(a≠b→~大野b)  A
  6(7)            ~(a=b∨~大野b)  6含意の定義
  6(8)              a≠b& 大野b   7ド・モルガンの法則
  6(9)           ∃y(a≠y& 大野y)  8EI
 2 (ア)           ∃y(a≠y& 大野y)  569EE
 2 (イ)    私a&大野a&∃y(a≠y& 大野y)  29&I
 2 (ウ) ∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)} イEI
1  (エ) ∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)} 12ウEE
(ⅳ)
1  (1)∃x{私x&大野x&~∃y(x≠y& 大野y)} A
 2 (2)   私a&大野a&~∃y(a≠y& 大野y)  A
 2 (3)   私a&大野a                2&E
 2 (4)          ~∃y(a≠y& 大野y)  2&E
 2 (5)          ∀y~(a≠y& 大野y)  4量化子の関係
 2 (6)            ~(a≠b& 大野y)  5UE
 2 (7)             ~a≠b∨~大野b   6ド・モルガンの法則
 2 (8)              a≠b→~大野b   7含意の定義
 2 (9)           ∀y(a≠b→~大野b)  8UI
 2 (ア)    私a&大野a&∀y(a≠b→~大野b)  29&I
 2 (イ) ∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)} アEI
1  (ウ) ∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)} 12イEE
従って、
(10)(11)により、
(12)
③ 私以外大野ではない
④ 私以外大野である
③ ∃x{私x&大野x&∀y(x≠y→~大野y)}
④ ∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)}
③ あるxは私であって、大野であって、すべてyについて、yがxでないならば、yは大野ではない。
④ あるxは私であって、大野であって、あるyは、xではないが、大野である。
に於いて、
③と④ は「矛盾」する。
然るに、
(13)
④ あるxは私であって、大野であって、あるyは、xではないが、大野である。
といふことは、
④ 私大野です。
といふことである。
従って、
(14)
① 私大野です=∃x{私x&大野x&∀y(x≠y→~大野y)}
④ 私大野です=∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)}
であって、両者は、「矛盾」する。
然るに、
(15)
だから文はその二つの要素の組み合せによって、成り立ち、そこには四つの型がつくられる。
 (1)既知(扱い)と未知(扱い)
 (2)既知(扱い)と既知(扱い)
 (3)未知(扱い)と既知(扱い)
 (4)未知(扱い)と未知(扱い)
はじめに既知がくる(1)と(2)では、既知(あるいは既知扱い)の下にという助詞を使う。また(3)と(4)では未知(あるいは未知扱い)の下にという助詞を使う。これが現代日本語の文の基本構造である。まず(1)の文例を示そう。
(1) 既知と未知
 私は大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれをみて知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。たとえば、初めての家を訪問した場合に、「私大野というものですが、御主人は御在宅でしょうか。」という。その場合、「私大野ですが・・・・・」といえば、対応に出た人は怪訝な顔をする(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)。
然るに、
(16)
① 初めて、「渡辺さん」の家を訪問した場合に、「私渡辺という者ですが、御主人は御在宅でしょうか。」
② 初めて、「渡辺さん」の家を訪問した場合に、「私大野という者ですが、御主人は御在宅でしょうか。」
といふ場合、
① であれば、対応に出た人は怪訝な顔はせずに、
② であれば、対応に出た人は怪訝な顔をする
然るに、
(17)
② 初めて、「渡辺さん」の家を訪問した場合に、「私大野という者ですが、御主人(渡辺さん)は御在宅でしょうか。」
③ 初めて、「渡辺さん」の家を訪問した場合に、「私大野という者ですが、御主人(渡辺さん)は御在宅でしょうか。」
といふ場合、
② であっても、対応に出た人は怪訝な顔するし、
③ であっても、対応に出た人は怪訝な顔する
然るに、
(18)
「~」に関しては、「私(未知・未知扱い)」であったとしても。
「~」に関しては、「私(未知・未知扱い)」ではないはずである。
従って、
(17)(18)により、
(19)
③ 初めて、「渡辺さん」の家を訪問した場合に、「私大野という者ですが、御主人(渡辺さん)は御在宅でしょうか。」
といふ場合に、
③「対応に出た人は怪訝な顔をする」際の「理由」が、「既知(扱い)と未知(扱い)」に関連してゐる。といふ「証拠」は無い
然るに、
(20)
初めての家を訪問した場合に、いきなり、
③ 私大野です(私以外は大野でない)=∃x{私x&大野x&∀y(x≠y→~大野y)}
② 私大野です(私以外も大野である)=∃x{私x&大野x&∃y(x≠y& 大野y)}
といふのであれば、「対応に出た人が怪訝な顔をするの」は、「当然」である。
令和元年07月26日、毛利太。

2019年7月24日水曜日

「私が大野です(大野は私です)。」の「述語論理」。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではありません。
に於いて、「日本語話者」の「直観」として、明らかに、
②=③ である。
然るに、
(02)
②(であって、Qでない。)
③(Qでなくて、である。)
に於いて、
②=③ である。
従って、
(02)により、
(03)
②(Pであって、でない。)といふことはない。
③(でなくて、Pである。)といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(04)
②(Pであって、Qでない。)といふことはない
③(Qでなくて、Pである。)といふことはない
といふことは、
② Pであるならば、Qである。
③ Qでないならば、Pでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)(04)により、
(05)
② Pであるならば、Qである
③ Qでないならば、Pでない
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1  (1) P→ Q A
 2 (2) P    A
  3(3)   ~Q A
12 (4)    Q 12MPP
123(5) ~Q&Q 34&I
1 3(6)~P    25RAA
1  (7)~Q→~P 36CP
(ⅱ)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)~Q    A
  3(3)    P A
12 (4)   ~P 12MPP
123(5) P&~P 34&I
1 3(6)  ~~Q 25RAA
1 3(7)    Q 6DN
1  (8) P→ Q 37CP
従って、
(06)により、
(07)
②  P→ Q=Pであるならば、Qである。
③ ~Q→~P=Qでないならば、Pでない
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(08)
命題「PならばQ」の真偽とその対偶「QでないならPでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。
(ウィキペディア改)
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
② Pであるならば、Qである。
③ Qでないならば、Pでない
に於いて、
②と③ は、「対偶(Contraposition)」であって、それ故、必然的に
②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
② 大野ならば、私です。
③ 私でないならば、大野ではありません
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(11)
② 大野ならば、私です。
③ 私でないならば、大野ではありません
といふことは、
大野は私です。
③ 私以外は大野ではありません
といふ、ことである。
従って、
(01)~(11)により、
(12)
大野は私です(大野ならば私である)。
③ 私以外は大野ではない(私でないならば大野ではない)。
といふ「対偶(Contraposition)」に於いて、
②=③ である。
といふ「直観」は、「論理的」にも、「正しい」。
従って、
(13)
大野は私です(大野ならば私である)。
③ 私以外は大野ではない(私でないならば大野ではない)。
に於いて、
②=③ であることは、「対偶(Contraposition)」として、
②=③ であるため、この「等式」を、「否定」することは、出来ない
然るに、
(14)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(14)により、
(15)
① 私大野です。
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
といふ「日本語」は、
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
といふ「述語論理式」に、相当する。
(17)
② 私は大野であって、大野は私です。
③ 私は大野であって、私以外は大野ではない
といふ「日本語」は、
② ∃x{私x&大野x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&大野x&~∃y(大野y&x≠y)}
といふ「述語論理式」に、相当する。
cf.
記述の理論(theory of descriptions)。
然るに、
(18)
「正確に(exactly)」に、「大野といふ唯一の人間がゐる。」といふ場合には、
大野は私です。
私以外は大野ではない
ではなく、
大野であって、大野は私です。
大野であって、私以外は大野ではない。
とするのが、「正しい」。
然るに、
(19)
今、知りたいのは、
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
といふ「日本語」は、「
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
といふ「述語論理式」に、相当するか否か、であるため、取り上げるべきは
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
であって、
大野であって、大野は私です。
大野であって、私以外は大野ではない。
ではない。
然るに、
(20)
(ⅱ)
1    (1)∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)} A
 2   (2)   私a& ∀y(大野y→a=y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)       ∀y(大野y→a=y)  2&E
 2   (5)           大野b→a=b   4UE
 2   (6)         ~大野b∨a=b   5含意の定義
  7  (7)          大野b&a≠b   A
   8 (8)         ~大野b       A
  7  (9)          大野b       7&E
  78 (ア)         ~大野b&大野b   89&I
    8 (イ)        ~(大野b&a≠b)  7アRAA
    ウ(ウ)              a=b   A
  7  (エ)              a≠b   7&I
  7 ウ(オ)          a=b&a≠b   ウエ&I
    ウ(カ)        ~(大野b&a≠b)  7オRAA
 2   (キ)        ~(大野b&a≠b)  28イウカ∨E
 2   (ク)      ∀y~(大野y&a≠y)  キUI
 2   (ケ)      ~∃y(大野y&a≠y)  ク含意の定義
 2   (コ)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  3ケ&I
 2   (サ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} コEI
1    (シ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} 12サEE
(ⅲ)
1    (1)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} A
 2   (2)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)      ~∃y(大野y&a≠y)  2&E
 2   (5)      ∀y~(大野y&a≠y)  4含意の定義
 2   (6)        ~(大野b&a≠b)  5UE
 2   (7)       ~大野b∨~(a≠b)  6ド・モルガンの法則
 2   (8)         ~大野b∨a=b   7DN
 2   (9)          大野b→a=b   8含意の定義
 2   (ア)       ∀y(大野y→a=y)  9UI
 2   (イ)   私a& ∀y(大野y→a=y)  3ア&I
 2   (ウ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  イEI
1    (エ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  12ウEE&
従って、
(20)により、
(21)
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(21)により、
(22)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx(私)に等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのy(大野)がx(私)と等しくない。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(22)により、
(23)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx(私)に等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのy(大野)がx(私)以外である。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(24)
② すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx()に等しい
③ あるyが大野であって、そのy(大野)がx(以外である。といふことはない
といふことは、要するに、
大野は私である。
③ 私以外は大野ではない
といふ、ことである。
従って、
(22)~(24)により、
(25)
大野は私である   =∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}。
③ 私以外は大野ではない=∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(26)
②「私」は「1人しかゐない」。
従って、
(27)
②「大野はです。」といふ風に、「私(1人)」が、「本当のこと」を言ふのであれば、
③「以外は大野ではない。」といふことに、ならざるを得ない。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
わざわざ、
大野は私である   =∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}。
③ 私以外は大野ではない=∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}。
といふ「等式」を、「計算(Predicate calculation)」によって、「証明」しなくとも、
② 大野はです。
私以外は大野ではない
に於いて、
②=③ である。
といふことは、固より、「当然」である。
令和元年07月24日、毛利太。

2019年7月22日月曜日

大野晋先生の言う「が・は」は、「既知・未知」とは「関係」が無い。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
「含意の定義」により、
① ∀x{ 大野x→∃y(私y&x=y)}
② ∀x{~大野x∨∃y(私y&x=y)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
② ∀x{~大野x∨∃y(私y&x=y)}
であれば、仮に、
②「大野なる人物」が、「存在」しないとしても、「本当(真)」である。
然るに、
(03)
① ∀x{大野x→∃y(私y&x=y)}
ではなく、
② ∃x{私x&∀y(大野y→x=y)}
であるならば、
②「大野なる人物」が、「存在」しなければ、「ウソ(偽)」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① すべてのxについて、xが大野であるならば、あるyは私であって、xはyに等しい。
② あるxは私であり、 すべてのyについて、yが大野であるならば、xはyに等しい。
に於いて、
① の場合は、「大野なる人物」が「存在」しないとしても、「本当(真)」であり、
② の場合は、「大野なる人物」が「存在」しなければ、  「ウソ(偽)」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ∀x{大野x→∃y(私y&x=y)}
② ∃x{私x&∀y(大野y→x=y)}
に於いて、「どちらでも良い」やうに、思へるものの、厳密に言へば、
② が、「正しい」。
然るに、
(06)
(ⅱ)
1    (1)∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)} A
 2   (2)   私a& ∀y(大野y→a=y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)       ∀y(大野y→a=y)  2&E
 2   (5)           大野b→a=b   4UE
 2   (6)         ~大野b∨a=b   5含意の定義
  7  (7)          大野b&a≠b   A
   8 (8)         ~大野b       A
  7  (9)          大野b       7&E
  78 (ア)         ~大野b&大野b   89&I
    8 (イ)        ~(大野b&a≠b)  7アRAA
    ウ(ウ)              a=b   A
  7  (エ)              a≠b   7&I
  7 ウ(オ)          a=b&a≠b   ウエ&I
    ウ(カ)        ~(大野b&a≠b)  7オRAA
 2   (キ)        ~(大野b&a≠b)  28イウカ∨E
 2   (ク)      ∀y~(大野y&a≠y)  キUI
 2   (ケ)      ~∃y(大野y&a≠y)  ク含意の定義
 2   (コ)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  3ケ&I
 2   (サ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} コEI
1    (シ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} 12サEE
(ⅲ)
1    (1)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} A
 2   (2)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)      ~∃y(大野y&a≠y)  2&E
 2   (5)      ∀y~(大野y&a≠y)  4含意の定義
 2   (6)        ~(大野b&a≠b)  5UE
 2   (7)       ~大野b∨~(a≠b)  6ド・モルガンの法則
 2   (8)         ~大野b∨a=b   7DN
 2   (9)          大野b→a=b   8含意の定義
 2   (ア)       ∀y(大野y→a=y)  9UI
 2   (イ)   私a& ∀y(大野y→a=y)  3ア&I
 2   (ウ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  イEI
1    (エ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  12ウEE&
従って、
(06)により、
(07)
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(07)により、
(08)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、xはyに等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのyがxと等しくない。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(09)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx(私)に等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのy(大野)がx(私)と等しくない。といふことはない
といふことは、要するに、
大野は私である。
③ 私以外は大野ではない
といふ、ことである。
然るに、
(10)
大野は私である。
③ 私以外は大野ではない
といふことは、
② 大野ならば私である。
③ 私でないならば大野ではない
といふことに、他ならない。
然るに、
(11)
命題「AならばB」の真偽とその対偶BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。
(ウィキペディア)
従って、
(06)~(11)により、
(12)
② 大野私である(大野ならば私である)。
③ 私以外は大野ではない(私でないならば大野ではない)。
は、「対偶(Contraposition)」であるため、「必然的」に、「等しい」。
る。
然るに、
(13)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 私大野です。
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(14)により、
(15)
③ 私以外は大野ではない
といふことを、言ひたければ、その場合は、
① 私大野です(大野は私です)。
と、言へば良い。
従って、
(16)
③ 私以外は大野ではない
といふことを、言ひたくなければ、その場合は、
④ 私大野です。
と、言へば良い。
然るに、
(17)
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふのであれば、
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」をする人物は、自分の目の前に、
⑤ 「大野といふ人物」と、「大野以外の人物」がゐる。
といふ風に、「想定」してゐる。
といふ、ことになる。
従って、
(15)~(17)により、
(18)
③ 私以外は大野ではない
といふことが、「本当」である際に、
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」に対して、
① 私大野です(私以外は大野ではない)。
といふ風に、答へることは、「自然」である。
従って、
(18)により、
(19)
逆に言へば、
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」がされてゐる、わけでは無いにも、拘らず、いきなり、
① 私大野です(私以外は大野ではない)。
と、言ふのであれば、「自然」はなく、そのため、相手の側が、怪訝な顔するのは、「当然」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
たとえば、初めての家を訪問した場合に、「私は大野というものですが、御主人は御在宅でしょうか。」という。その場合、「私大野ですが・・・・・」といえば、対応に出た人は怪訝な顔をする(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、25頁)。
といふことは、「当然」である。
(21)
だから文はその二つの要素の組み合せによって、成り立ち、そこには四つの型がつくられる。
 (1)既知(扱い)と未知(扱い)
 (2)既知(扱い)と既知(扱い)
 (3)未知(扱い)と既知(扱い)
 (4)未知(扱い)と未知(扱い)
はじめに既知がくる(1)と(2)では、既知(あるいは既知扱い)の下にという助詞を使う。また(3)と(4)では未知(あるいは未知扱い)の下にという助詞を使う。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、25頁)。
然るに、
(22)
「既知と未知」ではない、「既知(扱い)と未知(扱い)」といふ「言ひ方」が、「良く分からない(曖昧である)」。
(23)
(1) 既知と未知
 私大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれをみて知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)
従って、
(23)により、
(24)
① 私(既知)は大野(未知)です。
である。
然るに、
(24)により、
(25)
① 私(既知)は大野(未知)です。
といふのであれば、
② 大野(未知)=私の名前(未知
でなければ、ならない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
①    私(知)大野(未知)です。
② 私の名前(知)大野(未知)です。
に於いて、
①=② である。
cf.
① I am 大野。
② My name is 大野。
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
② 大野(未知・未知扱い)=私の名前(未知・未知扱い)
ではない
といふことが、「証明」されなければ、ならない。
従って、
(23)~(27)
(28)
② 私の名前(未知・未知扱い)=大野(未知・未知扱い)
ではない。
といふことを、「証明」できないのであれば、
 (1)既知(扱い)と未知(扱い)
 (2)既知(扱い)と既知(扱い)
 (3)未知(扱い)と既知(扱い)
 (4)未知(扱い)と未知(扱い)
はじめに既知がくる(1)と(2)では、既知(あるいは既知扱い)の下にハという助詞を使う。
といふ、大野晋先生の「説明」は、「最初説明」に於いて、「破綻」してゐる。
令和元年07月22日、毛利太。

2019年7月21日日曜日

「私が大野です(大野は私です)。」は「既知・未知」とは関係がない。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―


(01)
1   (1)∀x{大野x→ ∃y(私y&x=y)} A
1   (2)   大野a→ ∃y(私b&a=y)  1UI
 3  (3)        ∀y(私y→a≠y)  A
 3  (4)           私b→a≠b   3UE
 3  (5)          ~私b∨a≠b   4含意の定義
 3  (6)         ~(私b&a=b)  5ド・モルガンの法則
 3  (7)       ∀y~(私y&a=y)  6UI
 3  (8)       ~∃y(私y&a=y)  7量化子の関係
13  (9)  ~大野a              28MTT
1   (ア)  ∀y(私y→a≠y)→~大野a   39CP
  イ (イ)     私b→a≠b         A
  イ (ウ)  ∀y(私y→a≠y)        イUI
1 イ (エ)             ~大野a   アウMPP
1   (オ)     私b→a≠b →~大野a   イエCP  
   カ(カ)     私b&a≠b         A
   カ(キ)     私b             カ&E
1  カ(ク)        a≠b →~大野a   オキMPP
   カ(カ)        a≠b         カ&E
1  カ(ケ)             ~大野a   クカMPP
1   (コ)     私b&a≠b →~大野a   カケCP
1   (サ)  ∀y(私y&a≠y →~大野a)  コUI
1   (シ)∀x∀y(私y&x≠y →~大野x)  サUI
(02)
1  (1)~∀x∀y(私y&x≠y →~大野x) A
1  (2)∃x~∃y(私y&x≠y →~大野x) 量化子の関係
1  (3)∃x∃y~(私y&x≠y →~大野x) 量化子の関係
 4 (4)  ∃y~(私y&a≠y →~大野a) A
  5(5)    ~(私b&a≠b →~大野a) A
  5(6)  ~[~(私b&a≠b)∨~大野a] 5含意の定義
  5(7)   ~~(私b&a≠b&~~大野a) 6ド・モルガンの法則
  5(8)     (私b&a≠b&  大野a) 7DN
  5(9)   ∃y(私y&a≠y&  大野a) 8EI
 4 (ア)   ∃y(私y&a≠y&  大野a) 459EE
 4 (イ) ∃x∃y(私y&x≠y&  大野x) アEI
1  (ウ) ∃x∃y(私y&x≠y&  大野x) 14イEE
従って、
(01)(02)により、
(03)
② ∀x{大野x→∃y(私y&x=y)}
③ ∀x∀y(私y&x≠y→~大野x)
④ ∃x∃y(私y&x≠y&  大野x)
に於いて、
②と③は「対偶(Contraposition)」であり、
④は③の「否定」、すなはち、②の「否定」である。
従って、
(03)により、
(04)
② すべてのxについて、xが大野であるならば、あるyは私であって、xはyに等しい。
③ すべてのxと、すべてのyについて、yが私であり、xとyが等しくなければ、xは大野ではない。
④ あるxとあるyについて、yは私であり、xとyは等しくはなく、yは大野である。
に於いて、
②と③は「対偶(Contraposition)」であり、
④は③の「否定」、すなはち、②の「否定」である。
従って、
(04)により、
(05)
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
④ 私大野です。
に於いて、
②と③は「対偶(Contraposition)」であり、
④は③の「否定」、すなはち、②の「否定」である。
然るに、
(06)
命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。
(ウィキペディア)
従って、
(05)(06)により、
(07)
② 大野は私です(大野ならば私です)=∀x{大野x→∃y(私y&x=y)}。
③ 私以外は大野ではない(私でなければ大野ではない)=∀x∀y(私y&x≠y→~大野x)。
といふ「対偶(Contraposition)」は、「必然的に、等しい」。
然るに、
(08)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 私大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
(ⅰ)私以外は大野ではない
(ⅱ)私以外も大野である
と言ふ「必要」がある場合には、それぞれ、
(ⅰ)私大野です(大野は私です)。
(ⅱ)私大野です。
と言ひ、さうではない場合には、
(ⅲ)私大野です。
と言ふ、ことになる。
然るに、
(11)
(1) 既知と未知
 私は大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれをみて知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)
従って、
(11)により、
(12)
① 私(既知)は大野(未知)です。
である。
然るに、
(13)
① 私(既知)は大野(未知)です。
であるならば、
① 大野(未知)=私の名前(未知
である。
従って、
(12)(13)により、
(14)
② 私の名前(未知)は大野(未知)です。
③ あなたの名前(は未知だから)は何(未知)ですか(と質問する)。
である。
cf.
③ What(未知) is your name(未知でなければ質問しない)?
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
①      私(既知)は大野(未知)です。
②   私の名前(未知大野(未知)です。
③ あなたの名前(未知 何(未知)ですか。
である。
従って、
(15)により、
(16)
(1)A(既知B(未知)である。
といふことには、ならない。
令和元年07月21日、毛利太。