2019年7月22日月曜日

大野晋先生の言う「が・は」は、「既知・未知」とは「関係」が無い。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
「含意の定義」により、
① ∀x{ 大野x→∃y(私y&x=y)}
② ∀x{~大野x∨∃y(私y&x=y)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(02)
② ∀x{~大野x∨∃y(私y&x=y)}
であれば、仮に、
②「大野なる人物」が、「存在」しないとしても、「本当(真)」である。
然るに、
(03)
① ∀x{大野x→∃y(私y&x=y)}
ではなく、
② ∃x{私x&∀y(大野y→x=y)}
であるならば、
②「大野なる人物」が、「存在」しなければ、「ウソ(偽)」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① すべてのxについて、xが大野であるならば、あるyは私であって、xはyに等しい。
② あるxは私であり、 すべてのyについて、yが大野であるならば、xはyに等しい。
に於いて、
① の場合は、「大野なる人物」が「存在」しないとしても、「本当(真)」であり、
② の場合は、「大野なる人物」が「存在」しなければ、  「ウソ(偽)」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ∀x{大野x→∃y(私y&x=y)}
② ∃x{私x&∀y(大野y→x=y)}
に於いて、「どちらでも良い」やうに、思へるものの、厳密に言へば、
② が、「正しい」。
然るに、
(06)
(ⅱ)
1    (1)∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)} A
 2   (2)   私a& ∀y(大野y→a=y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)       ∀y(大野y→a=y)  2&E
 2   (5)           大野b→a=b   4UE
 2   (6)         ~大野b∨a=b   5含意の定義
  7  (7)          大野b&a≠b   A
   8 (8)         ~大野b       A
  7  (9)          大野b       7&E
  78 (ア)         ~大野b&大野b   89&I
    8 (イ)        ~(大野b&a≠b)  7アRAA
    ウ(ウ)              a=b   A
  7  (エ)              a≠b   7&I
  7 ウ(オ)          a=b&a≠b   ウエ&I
    ウ(カ)        ~(大野b&a≠b)  7オRAA
 2   (キ)        ~(大野b&a≠b)  28イウカ∨E
 2   (ク)      ∀y~(大野y&a≠y)  キUI
 2   (ケ)      ~∃y(大野y&a≠y)  ク含意の定義
 2   (コ)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  3ケ&I
 2   (サ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} コEI
1    (シ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} 12サEE
(ⅲ)
1    (1)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} A
 2   (2)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)      ~∃y(大野y&a≠y)  2&E
 2   (5)      ∀y~(大野y&a≠y)  4含意の定義
 2   (6)        ~(大野b&a≠b)  5UE
 2   (7)       ~大野b∨~(a≠b)  6ド・モルガンの法則
 2   (8)         ~大野b∨a=b   7DN
 2   (9)          大野b→a=b   8含意の定義
 2   (ア)       ∀y(大野y→a=y)  9UI
 2   (イ)   私a& ∀y(大野y→a=y)  3ア&I
 2   (ウ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  イEI
1    (エ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  12ウEE&
従って、
(06)により、
(07)
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(07)により、
(08)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、xはyに等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのyがxと等しくない。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(09)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx(私)に等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのy(大野)がx(私)と等しくない。といふことはない
といふことは、要するに、
大野は私である。
③ 私以外は大野ではない
といふ、ことである。
然るに、
(10)
大野は私である。
③ 私以外は大野ではない
といふことは、
② 大野ならば私である。
③ 私でないならば大野ではない
といふことに、他ならない。
然るに、
(11)
命題「AならばB」の真偽とその対偶BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。
(ウィキペディア)
従って、
(06)~(11)により、
(12)
② 大野私である(大野ならば私である)。
③ 私以外は大野ではない(私でないならば大野ではない)。
は、「対偶(Contraposition)」であるため、「必然的」に、「等しい」。
る。
然るに、
(13)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 私大野です。
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(14)により、
(15)
③ 私以外は大野ではない
といふことを、言ひたければ、その場合は、
① 私大野です(大野は私です)。
と、言へば良い。
従って、
(16)
③ 私以外は大野ではない
といふことを、言ひたくなければ、その場合は、
④ 私大野です。
と、言へば良い。
然るに、
(17)
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふのであれば、
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」をする人物は、自分の目の前に、
⑤ 「大野といふ人物」と、「大野以外の人物」がゐる。
といふ風に、「想定」してゐる。
といふ、ことになる。
従って、
(15)~(17)により、
(18)
③ 私以外は大野ではない
といふことが、「本当」である際に、
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」に対して、
① 私大野です(私以外は大野ではない)。
といふ風に、答へることは、「自然」である。
従って、
(18)により、
(19)
逆に言へば、
⑤ 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」がされてゐる、わけでは無いにも、拘らず、いきなり、
① 私大野です(私以外は大野ではない)。
と、言ふのであれば、「自然」はなく、そのため、相手の側が、怪訝な顔するのは、「当然」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
たとえば、初めての家を訪問した場合に、「私は大野というものですが、御主人は御在宅でしょうか。」という。その場合、「私大野ですが・・・・・」といえば、対応に出た人は怪訝な顔をする(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、25頁)。
といふことは、「当然」である。
(21)
だから文はその二つの要素の組み合せによって、成り立ち、そこには四つの型がつくられる。
 (1)既知(扱い)と未知(扱い)
 (2)既知(扱い)と既知(扱い)
 (3)未知(扱い)と既知(扱い)
 (4)未知(扱い)と未知(扱い)
はじめに既知がくる(1)と(2)では、既知(あるいは既知扱い)の下にという助詞を使う。また(3)と(4)では未知(あるいは未知扱い)の下にという助詞を使う。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、25頁)。
然るに、
(22)
「既知と未知」ではない、「既知(扱い)と未知(扱い)」といふ「言ひ方」が、「良く分からない(曖昧である)」。
(23)
(1) 既知と未知
 私大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれをみて知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)
従って、
(23)により、
(24)
① 私(既知)は大野(未知)です。
である。
然るに、
(24)により、
(25)
① 私(既知)は大野(未知)です。
といふのであれば、
② 大野(未知)=私の名前(未知
でなければ、ならない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
①    私(知)大野(未知)です。
② 私の名前(知)大野(未知)です。
に於いて、
①=② である。
cf.
① I am 大野。
② My name is 大野。
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
② 大野(未知・未知扱い)=私の名前(未知・未知扱い)
ではない
といふことが、「証明」されなければ、ならない。
従って、
(23)~(27)
(28)
② 私の名前(未知・未知扱い)=大野(未知・未知扱い)
ではない。
といふことを、「証明」できないのであれば、
 (1)既知(扱い)と未知(扱い)
 (2)既知(扱い)と既知(扱い)
 (3)未知(扱い)と既知(扱い)
 (4)未知(扱い)と未知(扱い)
はじめに既知がくる(1)と(2)では、既知(あるいは既知扱い)の下にハという助詞を使う。
といふ、大野晋先生の「説明」は、「最初説明」に於いて、「破綻」してゐる。
令和元年07月22日、毛利太。

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