2019年7月24日水曜日

「私が大野です(大野は私です)。」の「述語論理」。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではありません。
に於いて、「日本語話者」の「直観」として、明らかに、
②=③ である。
然るに、
(02)
②(であって、Qでない。)
③(Qでなくて、である。)
に於いて、
②=③ である。
従って、
(02)により、
(03)
②(Pであって、でない。)といふことはない。
③(でなくて、Pである。)といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(04)
②(Pであって、Qでない。)といふことはない
③(Qでなくて、Pである。)といふことはない
といふことは、
② Pであるならば、Qである。
③ Qでないならば、Pでない。
といふことに、他ならない。
従って、
(03)(04)により、
(05)
② Pであるならば、Qである
③ Qでないならば、Pでない
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1  (1) P→ Q A
 2 (2) P    A
  3(3)   ~Q A
12 (4)    Q 12MPP
123(5) ~Q&Q 34&I
1 3(6)~P    25RAA
1  (7)~Q→~P 36CP
(ⅱ)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)~Q    A
  3(3)    P A
12 (4)   ~P 12MPP
123(5) P&~P 34&I
1 3(6)  ~~Q 25RAA
1 3(7)    Q 6DN
1  (8) P→ Q 37CP
従って、
(06)により、
(07)
②  P→ Q=Pであるならば、Qである。
③ ~Q→~P=Qでないならば、Pでない
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(08)
命題「PならばQ」の真偽とその対偶「QでないならPでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。
(ウィキペディア改)
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
② Pであるならば、Qである。
③ Qでないならば、Pでない
に於いて、
②と③ は、「対偶(Contraposition)」であって、それ故、必然的に
②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
② 大野ならば、私です。
③ 私でないならば、大野ではありません
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(11)
② 大野ならば、私です。
③ 私でないならば、大野ではありません
といふことは、
大野は私です。
③ 私以外は大野ではありません
といふ、ことである。
従って、
(01)~(11)により、
(12)
大野は私です(大野ならば私である)。
③ 私以外は大野ではない(私でないならば大野ではない)。
といふ「対偶(Contraposition)」に於いて、
②=③ である。
といふ「直観」は、「論理的」にも、「正しい」。
従って、
(13)
大野は私です(大野ならば私である)。
③ 私以外は大野ではない(私でないならば大野ではない)。
に於いて、
②=③ であることは、「対偶(Contraposition)」として、
②=③ であるため、この「等式」を、「否定」することは、出来ない
然るに、
(14)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(14)により、
(15)
① 私大野です。
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
といふ「日本語」は、
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
といふ「述語論理式」に、相当する。
(17)
② 私は大野であって、大野は私です。
③ 私は大野であって、私以外は大野ではない
といふ「日本語」は、
② ∃x{私x&大野x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&大野x&~∃y(大野y&x≠y)}
といふ「述語論理式」に、相当する。
cf.
記述の理論(theory of descriptions)。
然るに、
(18)
「正確に(exactly)」に、「大野といふ唯一の人間がゐる。」といふ場合には、
大野は私です。
私以外は大野ではない
ではなく、
大野であって、大野は私です。
大野であって、私以外は大野ではない。
とするのが、「正しい」。
然るに、
(19)
今、知りたいのは、
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
といふ「日本語」は、「
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
といふ「述語論理式」に、相当するか否か、であるため、取り上げるべきは
大野は私です。
③ 私以外は大野ではない
であって、
大野であって、大野は私です。
大野であって、私以外は大野ではない。
ではない。
然るに、
(20)
(ⅱ)
1    (1)∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)} A
 2   (2)   私a& ∀y(大野y→a=y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)       ∀y(大野y→a=y)  2&E
 2   (5)           大野b→a=b   4UE
 2   (6)         ~大野b∨a=b   5含意の定義
  7  (7)          大野b&a≠b   A
   8 (8)         ~大野b       A
  7  (9)          大野b       7&E
  78 (ア)         ~大野b&大野b   89&I
    8 (イ)        ~(大野b&a≠b)  7アRAA
    ウ(ウ)              a=b   A
  7  (エ)              a≠b   7&I
  7 ウ(オ)          a=b&a≠b   ウエ&I
    ウ(カ)        ~(大野b&a≠b)  7オRAA
 2   (キ)        ~(大野b&a≠b)  28イウカ∨E
 2   (ク)      ∀y~(大野y&a≠y)  キUI
 2   (ケ)      ~∃y(大野y&a≠y)  ク含意の定義
 2   (コ)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  3ケ&I
 2   (サ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} コEI
1    (シ)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} 12サEE
(ⅲ)
1    (1)∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)} A
 2   (2)   私a&~∃y(大野y&a≠y)  A
 2   (3)   私a               2&E
 2   (4)      ~∃y(大野y&a≠y)  2&E
 2   (5)      ∀y~(大野y&a≠y)  4含意の定義
 2   (6)        ~(大野b&a≠b)  5UE
 2   (7)       ~大野b∨~(a≠b)  6ド・モルガンの法則
 2   (8)         ~大野b∨a=b   7DN
 2   (9)          大野b→a=b   8含意の定義
 2   (ア)       ∀y(大野y→a=y)  9UI
 2   (イ)   私a& ∀y(大野y→a=y)  3ア&I
 2   (ウ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  イEI
1    (エ)∃x{私x& ∀y(Fy→x=y)}  12ウEE&
従って、
(20)により、
(21)
② ∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}
③ ∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(21)により、
(22)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx(私)に等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのy(大野)がx(私)と等しくない。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(22)により、
(23)
② あるxは私であり、すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx(私)に等しい。
③ あるxは私であり、あるyが大野であって、そのy(大野)がx(私)以外である。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(24)
② すべてのyについて、yが大野であるならば、y(大野)はx()に等しい
③ あるyが大野であって、そのy(大野)がx(以外である。といふことはない
といふことは、要するに、
大野は私である。
③ 私以外は大野ではない
といふ、ことである。
従って、
(22)~(24)により、
(25)
大野は私である   =∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}。
③ 私以外は大野ではない=∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(26)
②「私」は「1人しかゐない」。
従って、
(27)
②「大野はです。」といふ風に、「私(1人)」が、「本当のこと」を言ふのであれば、
③「以外は大野ではない。」といふことに、ならざるを得ない。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
わざわざ、
大野は私である   =∃x{私x& ∀y(大野y→x=y)}。
③ 私以外は大野ではない=∃x{私x&~∃y(大野y&x≠y)}。
といふ「等式」を、「計算(Predicate calculation)」によって、「証明」しなくとも、
② 大野はです。
私以外は大野ではない
に於いて、
②=③ である。
といふことは、固より、「当然」である。
令和元年07月24日、毛利太。

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