(01)
「昨日(平成30年02月01)の記事」にも書いたやうに、
① AはBである。
② AがBである。
③ BはAである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
①=② であるとは、限らないものの、
②=③=④ である。
従って、
(01)により、
(02)
② これがいいです。
と言ふのであれば、
③ 良いのはこれです。
④ これ以外は良くない。
といふ「意味」になるものの、
① これはいいです。
と言ったとしても、
③ 良いのはこれです。
④ これ以外は良くない。
といふ「意味」にはならない。
従って、
(02)により、
(03)
② これがいいです。
と言はずに、
① これはいいです。
と言ふのであれば、
③ 良いのはこれです。とは言へない。
といふことを、「間接的に、述べてゐる」。
従って、
(04)
いろいろな商品をみせてもらってゐる際に、店員に対して、
① これはいいです。
と言ふならば、
① 良いのこれです(とは言へない)。
といふ「意味」になり。
② これがいいです。
と言ふならば、
③ 良いのはこれです(これを下さい)。
といふ「意味」になる。
然るに、
(05)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型意義になっている。
(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
といふ「日本語」の「意味」に関する、三上先生の「理解」と、私自身の「理解」は、「同じ」である。
然るに、
(07)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型意義になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)。
然るに、
(08)
不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう。
とするだけでは、一体何故、
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
となるのか。といふことに対する、「説明」になってゐない。
然るに、
(09)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念館は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(10)
① 私が、理事長です。
② 理事長は、私です。
に於いて、
①=② である以上、
① これが良いです。
② 良いのはこれです。
に於いても、
①=② である。
従って、
(01)(07)(10)により、
(11)
三上先生は、おそらくは、
① AがBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことに、気付いてはゐないが故に、さのやうな「言及」が、無いのだと思ふ。
(12)
① AがBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない。
に於いて、
①=②=③ である「理由」を説明すると、「これまでの記事」の「繰り返し」にはなるものの、次のやうになる。
(13)
① 東京以外に日本の首都はない。が、
② 東京以外も日本である。
然るに、
(14)
① 東京が日本の首都である。
② 東京が日本である。
に於いて、
① は、「本当」であって、
② は、「ウソ」である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① AがBである。
と言ひ得るためには、
② A以外はBでない。
といふことが、「本当」でなければ、ならない。
然るに、
(16)
② A以外はBでない。
といふことは、
③ AでないならばBでない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(17)
(a)
1 (1)~P→~Q A
2 (2) Q A
3(3)~P A
1 3(4) ~Q 13MPP
123(5) Q&~Q 24&I
12 (6)~~P 35RAA
12 (7) P 5DN
1 (8) Q→ P 27CP
(b)
1 (1) Q→ P A
2 (2) ~P A
3(3) Q A
12 (4) P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~Q 35RAA
1 (7)~P→~Q 26CP
従って、
(17)により、
(18)
③ PでないならばQでない。
④ QならばPである。
に於いて、
③=④ である。
cf.
「対偶(contraposition)」は「等しい」。
従って、
(18)により、
(19)
③ AでないならばBでない。
④ BならばAである。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(20)
④ BならばAである。
といふことは、
④ BはAである。
といふことに、他ならない。
従って、
(15)(16)(19)(20)により、
(21)
① AがBである。
② A以外はBでない。
③ AでないならばBでない。
④ BはAである。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(21)により、
(22)
「順番」を変へると、
① AがBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない。
④ AでないならばBでない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(19)(22)により、
(23)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
に於いて、
①=②
であることが、「良く知られている」とし、
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長でない。
に於いて、
②=③ であることを、三上章先生が、知ってゐたならば、
① これが良いです。
② 良いのはこれです。
③ これ以外は良くない。
に於いても、
①=②=③ であることを、三上章先生は、知ってゐたことになる。
然るに、
(07)により、
(24)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。
といふ「説明」からすると、三上章先生が、
① AがBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない。
④ AでないならばBでない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
といふ「事実」を知ってゐたとは、思へない。
然るに、
(25)
三上 章(みかみ あきら、1903年1月26日 - 1971年9月16日)は、日本の言語学者。
広島県高田郡上甲立村(現安芸高田市)出身。博士(東洋大学、1960年)。『象は鼻が長い』(ISBN 978-4874241172)などの日本語研究で知られている。三上自身が創立期に参加していた奥田靖雄・鈴木重幸らの言語学研究会での評価の他、世界的な評価もあり1970年にはハーバード大学に招かれて講義を行ったことがある(ウィキペディア)。
従って、
(24)(25)により、
(26)
『日本語の論理(くろしお出版、1963年)』に先立つところの、『象は鼻が長い(くろしお出版、1960年)』といふ「有名な本」を、書いた時点の、三上章先生も、
① AがBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない。
④ AでないならばBでない。
に於いて、
①=②=③=④ である。
といふ「事実」に気付いてゐなかった(?)。といふ風に、推定される。
平成30年02月02日、毛利太。
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