2018年2月14日水曜日

かの古典的名著「三上章、象は鼻が長い。」について。

(a)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』をお読み下さい。
(b)『返り点と括弧』については、『「一二点・上下点」について(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)』他をお読み下さい。
(c)『は・が・も(係助詞)』については、『02月12日の記事(https://kannbunn.blogspot.com/2018/02/blog-post_20.html)』をお読み下さい。

(00)
ドイツ第一の日本語学者 Dr. Wenck は、わが Mikami を日本第一の文法研究家として推奨。
(『日本読書新聞』'64.2.3. 金田一春彦氏の書評から)
(01)
(ⅰ)PであるときにのみQである。
(ⅱ)PでないならばQでない
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(02)
これ迄に、何度も確認してゐる通り、
(ⅱ)
1  (1)~P→~Q 仮定
 2 (2)    Q 仮定
  3(3)~P    仮定
1 3(4)   ~Q 13前件肯定
123(5) Q&~Q 24&導入
12 (6) P    35背理法
1  (7) Q→ P 26条件法
(ⅲ)
1  (1) Q→ P 仮定
 2 (2)   ~P 仮定
  3(3) Q    仮定
1 3(4)    P 13前件肯定
123(5) P&~P 42&導入
12 (6)~Q    35背理法
1  (7)~P→~Q 26条件法
といふ「命題計算」が、成立する。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅱ)PでないならばQでない。
(ⅲ)QならばBである。
に於いて、
(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(01)(03)により、
(04)
(ⅰ)PであるときにのみQである。
(ⅱ)PでないならばQでない。
(ⅲ)QならばBである。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)     であって、
    (ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(04)により、
(05)
「PであるときにのみQである」〔only if P then Q〕は「QならばPである」〔if Q then P〕と同値である。
(E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、129頁)
然るに、
(06)
(ⅱ)PでないならばQでない。
(ⅲ)QならばBである。
といふことは、
(ⅱ)P以外はQでない。
(ⅲ)QはPである。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)(06)により、
(07)
(ⅱ)P以外はQでない
(ⅲ)QはPである。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(07)により、
(08)
① PはQである。
② Pである。
はPである。
④ P以外はQでない
に於いて、
③ ならば、そのときに限って、④ である。
④ ならば、そのときに限って、③ である。
といふことは、「論理学」が「確認」するところの「事実」であって、このことを称して、「対偶の真理値は等しい。」と言ふ。
cf.
命題「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である。 論理記号を用いて説明すると、命題「A ⇒ B」の対偶は「¬B⇒ ¬A」(¬A は命題 A の否定)である。 通常の数学では、命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。
対偶 (論理学) - Wikipedia
然るに、
(09)
これまでに、何度も書いたものの、
① 東京は日本である。
① 東京は日本の首都である。
といふ「日本語」は、両方とも、「本当」である。
(10)
② 東京日本である。
③ 日本は東京である。
④ 東京以外は日本ではない。
といふ「日本語」は、三つとも、「ウソ」である。
(11)
② 東京日本の首都である。
③ 日本の首都は東京である。
④ 東京以外は日本の首都ではない。
といふ「日本語」は、三つとも、「本当」である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
① AはBである。
② Aである。
はAである。
④ A以外はBでない
に於いて、
② ならば、そのときに限って、③ であって、
③ ならば、そのときに限って、④ である。
従って、
(12)により、
(13)
① AはBである。
② AがBである。
③ BはAである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(14)
① 東京は日本である。 といふ「命題」は、「本当()」であって、
日本は東京である。 といふ「命題」は、「ウソ()」である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① AはBである。
② Aである。
はAである。
④ A以外はBでない
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
然るに、
(16)
日本語で典型的な文(センテンス)は、「Xは」で始まる題述関係の文です。公式で一括して、
 Xハウンヌン
 題目  述 部
と書くことができます。題目の提示「Xは」は、だいたい「Xについて言へば」の心持ちです。上の「Xニツイテ」は中味の予告です。
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、8頁)
然るに、
(17)
三上先生は、「三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版」の中で、
日本語で典型的な文(センテンス)は、「Xは・Aは」で始まる題述関係の文です。
といふ風に、述べてゐる一方で、
① AはBである。
② AがBである。
③ BはAである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
といふ「事実」には、一切、触れていない。
然るに、
(18)
① AはBである。
② AがBである。
③ BはAである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
といふ「基本的な事実」に、一切、触れずに書かれた、「三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版」といふ「日本語文法論」が、「正しい」はずがない。
(19)
これまでに、何度か書いたものの、
① 象動物である。
といふのであれば、
①{象}以外については、何も述べてゐない。
(20)
② 象長い。
といふのであれば、
②{象}と{象の鼻}以外については、何も述べてゐない。
(21)
③ 象長い。
といふのであれば、
③{象の鼻}と{鼻以外の、象のパーツ}を「比較」して、そのやうに、述べてゐる。
然るに、
(22)
③ 象は牙長い。
といふ風に、思ふのであれば、
③ 象は鼻長い。
とは、言はない。
従って、
(22)により、
(23)
③ 象長い。
といふ「日本語」は、
③ その動物が象であるならば、その動物には長い鼻がある。
③ その動物が象であるならば、その動物の鼻以外のパーツは長くない。
といふ風に、述べてゐる。
従って、
(23)により、
(24)
③ 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
③ ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理(の連言)」で、表すことが、出来る。
然るに、
(25)
(a)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
     ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            A
1 (2)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}              1&E
1 (3)   象a→∃y(鼻yx&長y) 2UE
1 (4)∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            1&E
1 (5)   象a→∀z(~鼻zx→~長z) 4UE
 2(6)   象a                          A
12(7)      ∃y(鼻yx&長y)               63CP
12(8)      ∀z(~鼻zx→~長z)             65CP
12(9)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  78&I
1 (ア)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  69CP
1 (イ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} アUI
(b)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2)   象a→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  1UE
 3(3)   象a                          A
13(4)      ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)  23MPP
13(5)      ∃y(鼻yx&長y)               4&E
1 (6)   象a→∃y(鼻yx&長y)               35CP
1 (7)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}              6UI
13(8)      ∀z(~鼻zx→~長z)             4&E
1 (9)   象a→∀z(~鼻zx→~長z)             38CP
1 (ア)∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            9UI
1 (イ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
     ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}            7ア&I
従って、
(24)(25)により、
(26)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}& ∀x{象x→∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、「二つの式」は、「等しい」。
従って、
(23)(24)(26)により、
(27)
③ 象長い。
といふ「日本語」に関して、
③ 象は鼻が長い=
③ 象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
③ その動物が象であるならば、その動物には長い鼻があって、その動物の鼻以外は長くない=
③ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻以外ならば、zは長くない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(28)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(28)により、
(29)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、
③ ∀x の、
③  x の「意味」は、
③   {象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} に、及んでゐる。
然るに、
(30)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、
③ ∀x の、
③  x は、象 である。
従って、
(27)~(30)により、
(31)
③ 象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
③ 象は の「意味」は、
③    鼻が長く、鼻以外は長くない。 に、及んでゐる。
然るに、
(32)
③    鼻が長く、鼻以外は長くない。 には、
③       すなはち、
③       がある。
従って、
(31)(32)により、
(33)
③ 象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於ける、
③ 象は の「意味」は、
③    鼻が長く鼻以外は長くない。 に於ける、
③        ,超えてゐる。
然るに、
(34)
3 コンマ超え
「Xハ」は、ピリオドにさえさえぎられないのですから、コンマ(テン、とう点)にさえぎられないことは言うまでもありません。
従って、
(27)(33)(34)により、
(35)
三上先生が、言ふところの「コンマ超え(ピリオド超え)」は、
③ 象長い=
③ 象は鼻長く、鼻以外は長くない
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「事実」に対する、「査証」であると、すべきである。
然るに、
(36)
そこでたとえば「象長い」というような表現は、象が主語なのか鼻が主語なのかはっきりしないから、このままではその論理構造が明示されていなから、いわば非論理的な文である、という人もある。しかしこの文の論理構造をはっきり文章にあらわして、
「すべてのxについて、もしxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、yは長い」
といえばいいかもしれない。
(田允茂、現代論理学入門、1962年、29頁)
然るに、
(37)
④ すべてのxについて、もしxが象であるならば、yなるものが存在し、そのyは鼻であり、xはyを所有しており、yは長い。
といふ「それ」は、
④ ∀x{象x→∃y(鼻y&所有xy&長y)}
といふ「述語論理」に、対応する。
従って、
(35)~(37)により、
(38)
③ 象は鼻が長い=
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とすべきところを、沢田先生は、
④ 象は鼻が長い=
④ ∀x{象x→∃y(鼻y&所有xy&長y)}。
といふ風に、されてゐる。
然るに、
(39)
そこで私たちは主語を示す変項を文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
 (xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
 SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
 F G
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx述語に対応していることがわかる。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
然るに、
(40)
③ 象は鼻が長い。
であるとして、
③ 鼻が長い動物は何か。
といふ風に、問はれれば、「答へ」は、
である。
(41)
③ 象は鼻が長い。
であるとして、
③ 長いのはどの部分か。
といふ風に、問はれれば、「答へ」は、
③   である。
従って、
(39)(40)(41)により、
(42)
いづれにせよ、「述語論理」といふ「観点」からずれば、
③ 象は鼻が長い≒
④ ∀x{象x→∃y(鼻y&所有xy&長y)}≒
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
であるところの、
③ 象は鼻が長い。
といふ「日本語」には、
=象 といふ「主語」と、
=鼻 といふ「主語」が、無ければ、ならない。
然るに、
(43)
日本語などの東アジアの言語には必要のない「主語」は、明治維新以降は「脱亜入欧」の掛け声のもと、英文法を真似て導入されたものだった。大野晋も『日本語の世界』付録の丸谷才一との対談、その事情をあっさり認めてゐる。 明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作る時に必ず主語を立てる。そこで『文には主語が必要』と決めた。そこで日本語では主語を示すのに『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた。 ここまで言い切る大野なら、なぜ「日本語に主語はない」と文部科学省に断固抗議し、学校文法改正の音頭を取らないのだろう。言語学的に何ら根拠のない「ハとガの違い」の説明に拘泥し、三上章の「主語廃止論」を一蹴した国語学会の大御所である大野晋も、学問的に正しく批判さる日がやがて来るだろう。
(金谷武洋、英語にも主語はなかった、2004年、11頁)
従って、
(36)(42)(43)により、
(44)
英語のやうな言語」を「基準」にすれば、「このままではその論理構造が明示されていなから、いわば非論理的な文である、という人もある。」としても、
「述語論理」を「基準」にすれば、
③ 象長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「日本語・述語論理」は、「象」と「(象の)鼻」といふ、「二つの主語」を持つ「論理的な文」である。
然るに、
(45)
「象は」は主語であり、「鼻が長い」全体が述語をなしていると、みなすわけにはいかないだろうか。そうだとすれば、「鼻が長い」が連語をなしていて、それを主語と述語にわける必要はない。「述語節」というみ方にも根拠があるわけである。形態論的にみたら、主語はふたつあっても、文論的にみたら、主語はひとつしかないのである。
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、227頁、増補 ― 批判と反批判)
従って、
(42)(45)により、
(46)
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
である以上、「形態論的にみたら、主語はふたつあって、文論的にみても、主語はふたつある。」とするのが、「正しく」、「形態論的にみたら、主語はふたつあっても、文論的にみたら、主語はひとつしかないのである。」とするのは、「正しくない」。
(47)
日本文法界でかつて流行した見解、げんに流行しているらしい見解は次のものです。どちらもわれわれにはもはや用のないものです。
 象ハ  鼻ガ 長イ。
 総主語 主語
 私ハ 腹ガ  痛イ。 
 主語 対象語
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、66頁)
(48)
普通は、
⑤ 腹痛い。
と言ふのであって、
⑤ 私腹が痛い。
とは、言はない。
然るに、
(15)により、
(49)
① 私は腹は痛い。
② 私は腹痛い
痛いのは私の腹である。
④ 私の腹以外は痛くない
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
従って、
(49)により、
(50)
① 私は腹痛い。
と言へば、
④ 頭痛い。
のかも知れないし、
② 私は腹痛い。
と言へば、
④ 頭痛くない。
といふ、ことになる。
従って、
(50)により、
(51)
④ 腹以外は痛くない
のであれば、
④ 腹以外も痛いのか
といふ「疑念」を、相手に与へないように、
② 腹痛い。
といふ風に、言ふべきである。
(52)
「分りやすい例」なので、何度も、書くものの、
① これは良いです。
② これ良いです。
良いのはこれです。
④ これ以外は良くない
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
従って、
(52)により、
(53)
② これ良いです。
と言へば、
良いのはこれです。
④ これ以外は良くない
といふ、「意味」になる。
従って、
(54)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
② これいいです。
と言ふのであれば、
良いのはこれです(これを下さい)。
④ これ以外は良くないこれを下さい)。
といふ、「意味」になる。
従って、
(55)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
② これいいです。
とは言はずに、
① これ良いです。
と言ふのであれば、
良いのはこれです(とは言へない)。
④ これ以外は良くない(とは言へない)。
といふ「意味」になる。
従って、
(54)(55)により、
(56)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
① これいいです(他のを見せて下さい)。
② これいいです(これを下さい)。
といふのであれば、
① と ② では、「反対の意味」になる。
然るに、
(57)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとで意味が反対になることがある。
 これはいいです。(不用)
 これいいです。(入用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型意義になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)。
然るに、
(58)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型意義になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう。
といふ「説明」を読んでも、
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
① これいいです(のを見せて下さい)。
② これいいです(これを下さい)。
といふ風に、
① と ② では、「反対の意味」になるのか、その「理由」が、分からない。
従って、
(18)(52)~(58)により、
(59)
① AはBである。
② Aである。
はAである。
④ A以外はBでない
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
といふ「事実」に気付いた上で、「三上章、象長い、1982年、第13版」を書くべきであったにも、拘らず、実際には、さうではなかった。といふ、ことになる。
従って、
(01)~(59)により、
(60)
「三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版」に目を通した後に於いても、
③ 象は鼻長い=
③ 象は鼻は長く、鼻以外は長くない
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
③ その動物が象であるならば、その動物には長い鼻があって、その動物の鼻以外は長くない=
③ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻以外ならば、zは長くない。
といふ「等式」は、私にとっては、「」である。
(61)
述部に名詞一個を含む文を三つ並べます。
 象ハ、鼻ガ長イ。
 父ハ、コノ本ヲ買ッテクレマシタ。
 日本ハ、温泉ガ多イ。
これから題目部を底(base)とする名詞句を作ることは、機械的で無造作です。
 鼻ガ長イ象
 コノ本ヲ買ッテクレタ父
 温泉ガ多イ日本
次に名詞を底とする名詞句を作ると、
 象ノ長イ鼻
 父ガ買ッテクレタコノホン
 日本ニ多イ温泉
新しくあらわれた助詞は、順に「ノ ガ ニ」です。
これらの助詞はどこからあらわれたかと言うと、提題「Xハ」の「ハ」のかげからあらわれたと解釈するするほかはありません。
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、8・10・11頁改)
然るに、
(62)
述部に名詞一個を含む文を六つ並べます。
 象ガ、鼻ガ長イ。
 象モ、鼻ガ長イ。
 父ガ、コノ本ヲ買ッテクレマシタ。
 父モ、コノ本ヲ買ッテクレマシタ。
 日本ガ、温泉ガ多イ。
 日本モ、温泉ガ多イ。
これから題目部を底(base)とする名詞句を作ることは、機械的で無造作です。
従って、
(61)(62)により、
(63)
新しくあらわれた助詞は、順に「ノ ガ ニ」です。
これらの助詞はどこからあらわれたかと言うと、提題「Xガ・モ」の「ガ・モ」のかげからあらわれたと解釈するするほかはありません。
といふことに、なる。
従って、
(61)(62)(63)により、
(64)
文末と呼応して一文を完成をする仕事が「ハ」の本務です。中身への関与の仕方は「ハ」の兼務です。
(三上章、象は鼻が長い、1982年、第13版、8頁)
といふ「分りにくい一文」は、ますます「分りにくい」。
然るに、
(65)
日の丸、盆栽というような小道具を使って説明するとクラスが大いに盛り上がるし、最初から「主語」といふ概念から解放されてゐるので、「ハとガの違い」といふ無意味な説明も不用である。
(金谷武洋、主語を抹殺した男 評伝 三上章、2006年、51頁)
従って、
(66)
「日本語から、主語を抹殺した、三上理論」に従う限り、『「象は鼻が長い。」の「主語」は何ですか?』といふ「質問」に対しては、「象は鼻が長い。」には、「主語」は無い。
といふ風に、答へれば良いことになり、それ故、
③ 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふやうな「分析」は、「初めから無用」である。といふ、ことになる。
従って、
(67)
『「象は鼻が長い。」の「主語」は何ですか?』といふ生徒からの「質問」に対して、「答へ」を用意できない「日本語教師」にとって、「日本語から、主語を抹殺した、三上理論」ほど、「好都合な文法理論」は、無いことになる。
然るに、
(68)
2 主語を補うテクニック
古文が読みにくい原因の一つは、主体(主語)、客体(目的語・補語)が省かれている文が多いことです。主語がわかれば文はずいぶんと読みやすくなります。次のテクニックをつかいましょう。
①「人物」の直後に読点(、)があるとき、98%が主語になる。
 「人物」は、機械的に「は・が」を補って主語にするのだと覚えてください。
② 接続詞の「て」「で」の前後は、98%同一人物が主語になる。
(荻野文子、古文マドンナ解法、1993年、11頁)
従って、
(67)(68)により、
(69)
「日本語から、主語を抹殺した、三上理論」は、「外国人に、日本語を教へる際には、役に立つ。」としても、「古文を読解する上では、役には、立たない。」
平成30年02月14日、毛利太。

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