2018年2月6日火曜日

Aのみ(が)Bなり(排他的命題)。

(ⅰ)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』をお読み下さい。
(ⅱ)『返り点と括弧』については、『「一二点・上下点」について(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)』他をお読み下さい。

(01)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition(Merriam Webster).
然るに、
(02)
[のみ]
の事柄を排除して、ある事柄だけに限る意味を表はす(時枝誠記、日本文法 文語編、2005年、236頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① AはBなり(A is B)。    は、さうではなく、
② AもBなり(A is B,too)。  も、さうではなく、
③ AのみBなり(Only A is B)。は、「排他的命題(Excusive proposition)」である。
然るに、
(04)
② ABなり(A is B,too)。
であって、
① AはBなり(A is B)。 
ではない。といふことは、有り得ないし、
③ AのみBなり(Only A is B)。
であって、
① AはBなり(A is B)。 
ではない。といふことも、有り得ない。
従って、
(03)(04)により、
(05)
③ A is B(Only A is B).
③ AはBであって(A以外はBでない)。
といふ「命題」を、「排他的命題」といふ。
然るに、
(06)
のみ
他の事柄排除して、ある事柄だけに限る意味を表はすと同時に、ある事柄を取出して、それを強調する意味に用ゐられる(時枝誠記、日本文法 文語編、2005年、236頁)。
従って、
(03)(05)(06)により、
(07)
③ Aのみ は、「強調」であって、
③ AのみBなり。 は、「排他的命題」である。
然るに、
(08)
(3) 惟婦言是用(これ婦人をこれ用ふ)。
のやうな「漢文」に於ける、
(3) 惟 に関して、
この強調する語気の「惟」は、次第に、専一・単独などの意味を表わす副詞として用いられるようになり、多く「」と書かれるようになっている。それで右の例(3)の「惟」は、「タダ」と読んでいる人もある(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、310頁)。
従って、
(08)により、
(09)
惟婦言 は、「強調形」であって、
惟婦言是用(タダ婦人をこれ用ふ)。 は、「排他的命題」である。
然るに、
(10)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
   b.Tom SENT Mary flowers.
   c.Tom sent MARY flowers.
   d.TOM sent Mary FLOWERS.
"Tom sent Mary flowers.”"(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom強調して発音すれば、「他の誰でもないトムメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、「トム」という人間が他の人間と対比されているということです。
(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)
従って、
(10)により、
(11)
TOM は、「強調形」であって、
TOM sent Mary flowers. は、「排他的命題」である。
従って、
(07)(09)(11)により、
(12)
「古文」であって、「漢文」であっても、「英語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
然るに、
(13)
③「A以外はBでなく」、尚且つ、Bを「否定」しないならば、
③「BはAではない。」といふことは、有り得ない。
従って、
(14)
③「A以外なく」、尚且つ、Bを「否定」しないならば、
③「はAである。」でなければ、ならない。
cf.
 (ⅰ)
 1  (1)~A→~B 仮定
  2 (2)    B 仮定
   3(3)~A    仮定
 1 3(4)   ~B 13前件肯定
 123(5) B&~B 24&導入
 1 3(6)   ~B 25背理法(Bを「否定」する。)
 1  (7)~A→~B 36条件法
 (ⅱ)
 1  (1)~A→~B 仮定
  2 (2)    B 仮定
   3(3)~A    仮定
 1 3(4)   ~B 13前件肯定
 123(5) B&~B 24&導入
 12 (6)~~A   35背理法(Bを「否定」しない。)
 12 (7)  A   5二重否定
 1  (8) B→ A 27条件法
 (ⅲ)
 1  (1) B→ A 仮定
  2 (2)   ~A 仮定
   3(3) B    仮定
 12 (4)    A 13前件肯定
 123(5) A&~A 24&導入
 12 (6)~B    35背理法
 1  (7)~A→~B 26条件法
従って、
(14)により、
(15)
③ A以外ない
といふことは、
はAである。
といふことに、他ならない。
従って、
(05)(15)により、
(16)
② AはBであり(はAである)。
③ AはBであり(A以外はBでない)。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(17)
次(18)に示す通り、
①「A」の「心理的な音量」は、
①「Aは」の「心理的な音量」よりも「大きく」、それ故、
①「A」は、
①「Aは」に対する、「強調形」である。
(18)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(12)(16)(17)により、
(19)
(a)「古文」であっても、「漢文」であっても、「英語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
(b)「Aは」に対する、「A」は、「強調形」である。
(c)「AはBであって(はAである)。」と「AはBであって(A以外はBでない)。」は、両方とも、「排他的命題」である。
従って、
(19)により、
(20)
① ABである。
はAである。
③ A以外はBでない
に於いて、
①=②=③ である。
といふ「予想」が、成立する。
然るに、
(21)
② 東京日本である。
日本は東京である。
④ 東京以外は日本ではない
といふ「日本語」は、三つとも、「ウソ」である。
然るに、
(22)
② 東京日本の首都である。
日本の首都は東京である。
④ 東京以外は日本の首都ではない
といふ「日本語」は、三つとも、「本当」である。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
① ABである。
はAである。
③ A以外はBでない
に於いて、
①=②=③ である。
といふ「予想」が、成立し、尚且つ、実際に、さうである
従って、
(19)(23)により、
(24)
(a)「Aは」に対する、「A」は、「強調形」であって、
(b)「古文」であっても、「漢文」であっても、「英語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。が故に、
① ABである。
はAである。
③ A以外はBでない
に於いて、
①=②=③ である。
といふ風に、「理解」すべきである。
(25)
α:誰行くのか。
β:私は行きます。
に対して、
γ:私行きます。
といふのであれば、
βとγが行く。ことなる。
然るに、
(26)
α:誰行くのか。
β:私は行きます。
に対して、
γ:私行きます。
といふのであれば、
行くのは、γだけである。
従って、
(25)(26)により、
(27)
それだけでも、
① AがBである。
② BはAである。
③ A以外はBでない。
に於いて、
①=②=③ である。
であることは、「疑ふ余地」がない。
従って、
(24)(27)により、
(28)
① ABである。
はAである。
③ A以外はBでない
に於いて、
①=②=③ である「理由」を、外国人に、聞かれたならば、
(a)「Aは」に対する、「A」は、「強調形」であって、
(b)「古文」であっても、「漢文」であっても、「英語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
からである。といふ風に、答へるべきである。
平成30年02月06日、毛利太。

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