(a)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』をお読み下さい。
(b)『返り点と括弧』については、『「一二点・上下点」について(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)』他をお読み下さい。
(c)『鼻は象が長く、耳はウサギも長い。』については、『2月11の記事(https://kannbunn.blogspot.com/2018/02/blog-post_11.html)』をお読み下さい。
(01)
最初に、「最近の記事」を読まれてゐない方を想定して、次の「命題計算」を確認します。
(γ)
1 (1) B→ A 仮定
2 (2) ~A 仮定
3(3) B 仮定
12 (4) A 13前件肯定
123(5) A&~A 42&導入
12 (6)~B 35背理法
1 (7)~A→~B 26条件法
(δ)
1 (1)~A→~B 仮定
2 (2) B 仮定
3(3)~A 仮定
12 (4) ~B 13前件肯定
123(5) B&~B 24&導入
12 (6) A 35背理法
1 (7) B→ A 26条件法
従って、
(01)により
(02)
(γ) B→ A=BならばAである =BはAである。
(δ)~A→~B=AでないならばBでない=A以外はBでない。
に於いて、必ず、
(γ)=(δ) である。
cf.
対偶(Contraposition)は、等しい。
従って、
(02)により、
(03)
(α) A→ B=AならばBである =AはBである。
(β)~B→~A=BでないならばAでない=B以外はAでない。
に於いて、必ず、
(α)=(β) である。
然るに、
(04)
「逆」は必ずしも、「真(本当)」ではない。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
(α)AはBである = A→ B
であるからと言って、
(γ)BはAである = B→ A
(δ)A以外はBでない=~A→~B
であるとは、限らない。
然るに、
(06)
① 東京は日本である。
① 東京は日本の首都である。
といふ「命題」は、両方とも、「本当」である。
然るに、
(07)
② 東京が日本である。
③ 日本は東京である。
④ 東京以外は日本ではない。
といふ「日本語」は、三つとも、「ウソ」である。
(08)
② 東京が日本の首都である。
③ 日本の首都は東京である。
④ 東京以外は日本の首都ではない。
といふ「日本語」は、三つとも、「本当」である。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
① AはBである。
② AがBである。
③ BはAである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
②=③=④ である。
従って、
(09)により、
(10)
① 私は大野です。
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
④ 私以外は大野ではない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
②=③=④ である。
然るに、
(11)
② 私x(xは私である)=
② 目前x(xはあなたの目の前にゐる)。
とする。
従って、
(11)により、
(12)
① 私は大野です。
といふ「日本語」は、
① ∃x(目前x&大野x)=
① あるxはあなたの目前にゐるて、そのxは大野である。
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
従って、
(10)(12)により、
(13)
② 私が大野です。
といふ「日本語」は、
② ∃x{目前x&大野x&∀y[~(y=x)→~(大野y)]}=
② あるxはあなたの目前にゐて、そのxは大野であって、全てのyについて、yとxが「同じ」でなければ、yは大野ではない。
といふ「述語論理」に、「翻訳」される。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 私は大野です。
② 私が大野です。
といふ「日本語」は、「述語論理」の「観点」からすると、それぞれ、
① ∃x(目前x&大野x)=あるxはあなたの目前にゐるて、そのxは大野である。
② ∃x{目前x&大野x&∀y[~(y=x)→~(大野y)]}=あるxはあなたの目前にゐて、そのxは大野であって、全てのyについて、yとxが「同じ」でなければ、yは大野ではない。
といふ「意味」になる。
従って、
(14)により、
(15)
① 私は大野です。
② 私が大野です。
に於いて、
① には、∀y[~(y=x)→~(大野y)]が無くて、
② には、∀y[~(y=x)→~(大野y)]が有る。
然るに、
(16)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
② 大野さんはどちらですか。
といふ「問ひかけ」に対して、
② 私が大野です。
といふ風に、「答へ」るならば、
② ∀y[~(y=x)→~(大野y)]=全てのyについて、yとxが「同じ」でなければ、yは大野ではない。
といふ、ことになる。
然るに、
(18)
② ∀y[~(y=x)→~(大野y)]=全てのyについて、yとxが「同じ」でなければ、yは大野ではない。
といふことは、
② xと「同一人物」でない者は、いかなるyであっても大野ではない。
といふことである。
(19)
② xと「同一人物」でない者は、いかなるyであっても大野ではない。
といふことは、
② 他の、どこを探しても、x以外に、あなたが探してゐる所の、大野はゐない。
といふことである。
(20)
② 他の、どこを探しても、x以外に、あなたが探してゐる所の、大野はゐない。
といふことは、
② 他ならぬxが大野である(x以外は大野ではない)。
といふことである。
従って、
(14)~(20)により、
(21)
② 大野さんはどちらですか。
といふ「問ひかけ」に対しては、
② 他ならぬ私が大野です(私以外は大野ではない)。
といふ風に、答へることになる。
然るに、
(22)
【名字】大野
【読み】おおの,おの,おおや,おうの
【全国順位】 71位
【全国人数】 およそ222,000人
(名字由来net)
従って、
(21)(22)により、
(23)
②(今、ここには)私以外は大野ではない。
といふことは、「事実」であるとしても、
② 大野さんはどちらですか。
といふ「質問」が、全く無いにも拘はらず、
② 他ならぬ私が大野です(私以外は大野ではない)。
といふ風に言ふのは、「唐突」であって、ヲカシイ。
然るに、
(24)
【名字】藤井
【読み】ふじい,ふしい,ふぢい
【全国順位】 45位
【全国人数】 およそ310,000人
(名字由来net)
然るに、
(25)
日本中を沸かせた将棋の最年少プロが再び、偉業に挑む。藤井聡太五段(15)は朝日杯オープン戦でベスト4に進出、17日の準決勝と決勝に勝てば、中学生初の公式棋戦優勝を達成する。準決勝は羽生善治二冠(47)が相手。史上初の永世七冠を成し遂げた第一人者との対戦に注目が集まる(産経ニュース)。
従って、
(24)(25)により、
(26)
全国の大半の「藤井さん」は、「普通の藤井さん」であるが、
藤井総太五段は、「普通の藤井くん」ではない。
従って、
(26)により、
(27)
③「藤井聡太五段が、指原莉乃と婚約!」といふのであれば、
③(他ならぬ、あの中学生棋士の)藤井総太が指原莉乃と婚約!
といふことであって、「大騒ぎ、マチガイない」。
従って、
(27)により、
(28)
④「マリリンモンローがディマジオと結婚!」といふのであれば、
④(他ならぬ、あの)マリリンモンローがディマジオと結婚!
といふ、ことになる。
従って、
(29)
③(他ならぬ、あの中学生棋士の)藤井総太が指原莉乃と婚約!
④(他ならぬ、あの)マリリンモンローがディマジオと結婚!
⑤(他ならぬ、あの)チャップリンが大往生!
といふ、ことになる。
然るに、
(30)
③(他ならぬ、あの)藤井総太が
④(他ならぬ、あの)マリリンモンローが
⑤(他ならぬ、あの)チャップリンが
といふのであれば、
③(未知なる)藤井総太が
④(未知なる)マリリンモンローが
⑤(未知なる)チャップリンが
といふことでは、有り得ない。
然るに、
(31)
マリリンモンローがディマジオと結婚!
のような見出しが女性週刊誌を賑わすのは、ガによってその上の体言を未知扱いにし、まったく驚いた、新しい情報だぞ! と読者に迫る手法である。
あのチャップリンが大往生。
のような場合、「あの」がついている以上、未知とはいえないという議論も有りうるが、むしろ既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、41頁)
然るに、
(32)
「既知のものを未知扱いすることによって、驚異を表す表現なのである。」
といふ、大野晋先生の「説明」は、私には、「開き直り」であるとしか、思へない。
(33)
(1) 既知と未知
私は大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれをみて知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)
然るに、
(34)
私の名前は大野です。
といふのであれば、
私の名前=大野
である。
従って、
(33)(34)により、
(35)
私の名前(未知)=大野(未知)
である。
従って、
(33)(35)により、
(36)
私(既知)は大野(未知)です。
私の名前(未知)は大野(未知)です。
である。
従って、
(36)により、
(37)
A(既知)はB(未知)です。
A(未知)はB(未知)です。
といふ「矛盾」が、生じることになる。
従って、
(33)(37)による、
(38)
「背理法(RAA)」により、
私は大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれをみて知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。
といふ「主張」は、少なくとも、「論理的」には、「マチガイ」である。
従って、
(33)(38)により、
(39)
私(既知)は大野(未知)です。
といふ「主張」は、「非論理的」には、「マチガイ」ではないものの、「論理的に、正しい」といふことは、有り得ても、「非論理的に、正しい」といふことは、有り得ない。
従って、
(39)により、
(40)
私(既知)は大野(未知)です。
といふ「主張」は、「マチガイ」であると、せざるを得ない。
平成30年02月12日、毛利太。
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