2018年2月23日金曜日

カナダにゐらっしゃる、金谷先生へ。

(a)『返り点と括弧』については、『「括弧」の「順番」(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)』他をお読み下さい。
(b)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』をお読み下さい。
(c)『AがBならば』の『Aが』については、『01月29日の記事(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_29.html)』を読み下さい。

(01)
たきさま
毛利さまより、素敵な質問を頂戴したのですが、残念ながら、私には分かりませんでした。たきさまのファンなのに、ごめんなさい!
ですが、とても面白い質問だと思います。どうかご回答ください。
たきさまの回答、私もとても興味があります。よかったら、お二人のやりとりを、ブログに載せてもよろしいでしょうか?
このメールは 金谷武洋公式ブログ (http://shugohairanai.com) のお問い合わせフォームから送信されました。
(02)
「お二人のやりとりを、ブログに載せてもよろしいでしょうか?」か、などといふ「大それたこと」は、考へてはゐないのですが、金谷先生に、私の考へが伝はるのであれば、金谷先生へ、私が思ってゐる「~は・~が」について、
「基本的な考へかた(https://kannbunn.blogspot.com/2018/02/blog-post_23.html)」を書かせてもらふことにします。
(03)
主語は元々「三段論法」など伝統論理学の用語であった(ウィキペディア)。
然るに、
(04)
  中野は東京である。
  東京は日本である。
∴ 中野は日本である。
といふ「推論」は、「三段論法」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 中野は東京である。
に於いて、
①「中野は」は「論理学の常識」からすれば、所謂、「主語」であって、「文法学(?)の通説」からすれば、「主語」ではない。
然るに、
(06)
いづれにせよ、
① 中野は東京である。
② 東京は中野である。
に於いて、
① は、「本当」であるが、
② は、「ウソ」である。
(07)
① 東京は日本の首都である。
② 日本の首都は東京である。
に於いて、
① は、「本当」であって、
② は、「本当」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「逆は必ず真ならず。」といふことから、
① AはBである。
② BはAである。
に於いて、必ずしも、
①=② ではない。
然るに、
(09)
(ⅱ)
1  (1) B→ A 仮定
 2 (2)   ~A 仮定
  3(3) B    仮定
1 3(4)    A 13前件肯定
123(5) A&~A 42&導入
12 (6)~B    35背理法
1  (7)~A→~B 26条件法
(ⅳ)
1  (1) ~A→~B 仮定
 2 (2)     B 仮定
  3(3) ~A    仮定
1 3(4)    ~B 13前件肯定
123(5)  B&~B 24&導入
12 (6)~~A    35背理法
12 (7)  A    6二重否定
1  (8)  B→ A 26条件法
といふ「命題計算」は、「正しい」。
cf.
以前の「命題計算」には、ケアレスミスが有ったものの、「結論」に「変はり」はない。
従って、
(09)により、
(10)
「対偶の真理値は、常に等しい」。といふことから、
② BはAである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ず、
②=④ である。
然るに、
(11)
③ 中野が東京である。
④ 中野以外は東京ではない。
に於いて、
③ と ④ は、「両方」とも、「ウソ」である。
(12)
③ 東京が日本の首都である。
④ 東京以外は日本の首都ではない。
に於いて、
③ と ④ は、「両方」とも、「本当」である。
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③ と ④ の、「真理値」は、「等しい」。
従って、
(13)により、
(14)
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(08)(10)(14)により、
(15)
① AはBである。
② BはAである。
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
といふことになり、このことは、「日本語ネイティブ」が認めるところの、「公理(Axiom)」に違ひない。
然るに、
(16)
  太郎は犯人でない。
∴ 次郎が犯人である。
といふ「推論」が成り立つためには、
④(太郎か次郎)以外は犯人でない。
といふ「前提」を、必要とする。
然るに、
(15)により、
(17)
③(太郎か次郎)が犯人である。
④(太郎か次郎)以外は犯人でない。
に於いて、
③=④ は、「公理(Axiom)」である。
従って、
(17)により、
(18)
この場合は、
① 太郎か次郎(は)犯人である。
ではなく、
③ 太郎か次郎(が)犯人である。
でなければ、ならない。
すなはち、
然るに、
(15)により、
(19)
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ は、「公理(Axiom)」である。
従って、
(19)により、
(20)
③ AだけがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ は、「公理(Axiom)」である。
従って、
(20)により、
(21)
③ これだけが、知ってもらいたい。
④ これ以外は、知ってもらいたくない。
に於いて、
③=④ は、「公理(Axiom)」である。
然るに、
(22)
① これ以外は、知ってもらっても良い。
④ これ以外は、知ってもらいたくない。
に於いて、
① と ④ は、「矛盾」する。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① これ以外は、知ってもらっても良い。
③ これだけが、知ってもらいたい。
④ これ以外は、知ってもらいたくない。
に於いて、
① と ④ だけでなく、
① と ③ も、「矛盾」する。
然るに、
(24)
① これだけは、知ってもらいたい。
といふ「日本語」は、
①(少なくとも、)これだけは、知ってもらいたい。
といふ「意味」である。
然るに、
(25)
①(少なくとも、)これだけは、知ってもらいたい。
といふことは、
① これ以外は、知ってもらっても、知ってもらはなくと、どちらでも良いので、(少なくとも、)これだけは、知ってもらいたい。
といふ「意味」である。
然るに、
(26)
① これ以外は、知ってもらっても、知ってもらはなくと、どちらでも良いので、(少なくとも、)これだけは、知ってもらいたい。
と言ふのであれば、すなはち、
① これ以外は、どちらでも良い。
と言ふのであれば、
① これ以外は、知ってもらっても良い。
といふ、ことになる。
従って、
(23)~(26)により、
(27)
① これだけは、知ってもらいたい。
と言ふのであれば、
① これ以外は、知ってもらっても良い。
といふ、ことになり、尚且つ、
① これ以外は、知ってもらっても良い。
③ これだけが、知ってもらいたい。
に於いて、
① と ③ は、「矛盾」する。
従って、
(27)により、
(28)
① 日本語の教師の方たちには、これだけ(は)、知ってもらいたい。
といふ「日本語」を、
③ 日本語の教師の方たちには、これだけ(が)、知ってもらいたい。
といふ風に、「言ひ換へ」ることは、出来ない。
(29)
① AはBである。
② BはAである。
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。とするならば、
① AはBである。
といふ「日本語」は、
① A以外については、「何も述べてゐない」。
従って、
(29)により、
(30)
① 象は動物である。
といふ「日本語」は、
①「象」以外については、「何も述べてゐない」。
従って、
(29)(30)により、
(31)
① 象は鼻は長い。
といふ「日本語」は、
①「象と、象の鼻」以外については、「何も述べてゐない」。
然るに、
(15)により、
(32)
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ず
③=④ であるため、
① 鼻は長い。
とは言はずに、
③ 鼻が長い。
と、言ふのであれば、
③ 鼻は長く(、鼻以外は長くない)。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(33)
① 象は鼻も牙も長い。
といふ風に、「思ってゐる」ならば、
① 象は鼻も牙も長い。
と言ふのであって、
③ 象は鼻が長い。
とは、言はない。
従って、
(30)(32)(33)により、
(34)
③ 象は鼻が長い(三上章著、1982年、第13版)。
で言ふところの、
③ 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
③ 象は鼻が長い=
③ 象は鼻が長く、鼻以外は長くない=
③ その動物が象であるならば、その動物には長い鼻があって、その動物の、鼻以外は長くない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(35)
③ その動物が象であるならば、その動物には長い鼻があって、その動物の、鼻以外は長くない。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
③ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理」に、「対応」する。
従って、
(31)(35)により、
(36)
③ 象は鼻が長い。
ではなく、
① 象は鼻は長い。
であるならば、
① 象は鼻は長い=
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}=
① その動物が象であるならば、その動物の鼻は長い=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
といふ「述語論理」に、「対応」する。
従って、
(35)(36)により、
(37)
① 象は鼻は長い=
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}=
① 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
であって、
③ 象は鼻が長い=
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
③ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
でなければ、ならない。
然るに、
(38)
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(37)(38)により、
(39)
③ 象は鼻が長い=
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}=
③ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「日本語・述語論理」には、少なくとも、
③ x=象
③ y=xの鼻
といふ、「二つの主語」が、含まれてゐる。
従って、
(40)
「言語学(文法学)」としてではなく、「述語論理」的な「解釈」からすれば、
③ 象は鼻が長い。
には、少なくとも、
③ x=象
③ y=xの鼻
といふ、「複数の主語」が、含まれてゐる。
従って、
(05)(40)により、
(41)
① 中野は東京である。
③ 象は鼻が長い。
に於いて、
①「中野は」は、所謂、「主語」であって、
③「象は」 は、所謂、「主語」であって、
③「鼻が」 も、所謂、「主語」であったとしても、「何らの支障」もない。
(42)
③ サンマは目黒に限る(落語)。
③ サンマは目黒がうまい。
であれば、
③ ∀x{サンマx→∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)}=
③ 全てのxについて、xがサンマならば、あるyは目黒のxであって、yはうまく、全てのzについて、zが目黒のxでないならば、zはうまくない。
といふ風に、書けるかどうかは、「論理学の先生」に尋ねて欲しいものの、
③ サンマは目黒がうまい。
といふ「日本語」は、
③「サンマ」以外、例へば、「ウナギ」に関しては、「何も述べてゐない」し、
③「目黒のサンマ」と「目黒以外(日本橋魚河岸)のサンマ」を「比較」して、「目黒以外(日本橋魚河岸)のサンマ」は「うまくない」。
といふ風に、言ってゐる。
従って、
(34)(39)(41)(42)により、
(43)
③ 象は鼻が長い。
③ サンマは目黒がうまい(目黒に限る)。
といふ「二つの日本語」の「構造(シンタックス)」は、「等しい」。
従って、
(40)(43)により、
(44)
③ 象は鼻が長い。
③ サンマは目黒がうまい(目黒に限る)。
といふ「日本語」には、それぞれ、「二つの主語」が、無ければ、ならない。
(45)
ウナギ文[編集]
日本語では、例えば食べ物を注文する際の「ぼくはウナギだ」のように、一致や属性を意味しない場合にもコピュラを用いることが多いとの指摘があり、このようなコピュラの使用をする構文を前記例文にちなんで、ウナギ文と呼ぶことがある[3]。これについては現在までにさまざまな文法的な説明がなされている(ウィキペディア)。
然るに、
(46)
ならば、「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語で人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)
然るに、
(47)
③ ぼく(人称名詞)はウナギ(普通名詞)だ。
といふ「日本語」は、
③(ここにゐる数人中で)ぼくはウナギが欲しく(ウナギ以外は欲しくない)。
といふ「意味」である。
然るに、
(48)
③ ぼく(人称名詞)はウナギ(普通名詞)だ。
といふ「日本語」は、
③「ぼく」以外については、「何も述べてゐない」。
従って、
(47)(48)により、
(49)
③ ぼく(人称名詞)はウナギ(普通名詞)だ。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{僕x→∃y(鰻y&欲xy)&∀z(~鰻z→~欲xz)}=
③ 全てのxについて、xが僕ならば、あるyは鰻であって、xはyが欲しく、全てのzについて、zが鰻でないならば、xはzを欲しくない。
といふ「意味」である。
従って、
(49)により、
(50)
③ ぼく(人称名詞)はウナギ(普通名詞)だ。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{僕x→∃y(鰻y&欲xy)&∀z(~鰻z→~欲xz)}=
③ ここにゐる数人の中のxを、「ぼく」と呼ぶならば、「ぼく」というxは、「ウナギ」が欲しく、「ウナギ」以外は「欲しくない」。
といふ「意味」である。
従って、
(50)により、
(51)
③ ぼく(人称名詞)はウナギ(普通名詞)だ。
といふ「日本語」は、
③「ぼく」以外、すなはち、「あなたたち」に関しては、「何も述べてゐない」し、
③「品書き」の中の、「ウナギ」と「ウナギ」以外を「比較」して、「ウナギ」は「欲しい」が、「ウナギ」以外は「欲しくない」。
といふ風に、言ってゐる。
然るに、
(35)により。
(52)
③ 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
③「象」以外、例へば、「麒麟」に関しては、「何も述べてゐない」し、
③「象の鼻」と「象の鼻以外のパーツ」を「比較」して、「鼻」は「長い」が、「鼻」以外は「長くない」。
といふ風に、言ってゐる。
従って、
(43)(52)により、
(53)
③ 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
③ サンマは目黒に限る(目黒がうまい)。
といふ「三つの日本語」の「構造(シンタックス)」は、「等しい」。
然るに、
(54)
③ 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
③ サンマは目黒に限る。
の、「表面上」の「構造」は、「同じ」ではない。
然るに、
(55)
大辞林 第三版の解説
しんそうこうぞう【深層構造】
チョムスキーによって導入された変形生成文法理論の基本概念の一。現実の発話の背後に仮定される高度に抽象化された概念で、見かけ上は同じか類似している意味をもった複数の構造間の違いを明示するのに役立つ。変形規則という規則が、深層構造と表層構造を結びつける役目をしている。D 構造。 → 表層構造
従って、
(53)(54)(55)により、
(56)
チョムスキーの「用語」で言ふならば、
③ 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
③ サンマは目黒に限る。
といふ「三つの日本語」の「表層構造」は、「等しく」ないが、「深層構造」は「等しい」。
然るに、
(57)
日本の理論言語学者の方たちは、
③ 象は鼻が長い。
③ ぼくはウナギだ。
③ サンマは目黒に限る。
といふ「三つの日本語」に於ける、「深層構造」としての、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{僕x→∃y(鰻y&欲xy)&∀z(~鰻z→~欲xz)}。
③ ∀x{サンマx→∃y(目黒yx&美味y)&∀z(~目黒zx→~美味z)}。
といふ「論理式」を、認めないものと、思はれる。
平成30年02月23日、毛利太。

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