(ⅰ)『返り点』については、『「返り点」の「付け方」を教へます(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html)』をお読み下さい。
(ⅱ)『返り点と括弧』については、『「一二点・上下点」について(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)』他をお読み下さい。
(ⅲ)『象は鼻が長い。』については、併せて、『02月07日の記事(https://kannbunn.blogspot.com/2018/02/blog-post_7.html)』もお読み下さい。
(01)
① 象が鼻が長い。
といふのであれば、
①{象、麒麟、河馬}等を思ひつつ、そのやうに述べてゐる。
(02)
② 象は鼻が長い。
といふのであれば、
②{象}だけを思ひつつ、そのやうに述べてゐる。
然るに、
(03)
③ 象は鼻は長い。
といふのであれば、
③ 象の鼻以外は、長いのか、長くないのかが、分からない。
然るに、
(04)
④ 象は鼻が長い。
といふのであれば、
④ 象の鼻以外は、長くない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
④ 象は鼻が長い。
といふのであれば、
④{象}だけを思ひながら、
④{象の鼻}と{鼻以外の、象のパーツ}を「比較」して、そのやうに述べてゐる。
従って、
(05)により、
(06)
④ 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}&
④ ∀x{象x→∀z(鼻以外zx→~長z)}
といふ「連言」で、表すことが、出来る。
従って、
(06)により、
(07)
④ 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(鼻以外zx→~長z)}=
④ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻以外ならば、zは長くない。
といふ、「述語論理」に、「翻訳」出来る。
然るに、
(08)
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
④ 象は鼻が長い=
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(鼻以外zx→~長z)}=
④ 全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、全てのzについて、zがxの鼻以外ならば、zは長くない。
といふ「それ」には、少なくとも、「二つの主語(xとy)」が、あることになる。
然るに、
(10)
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
④ ∀x は、
{象x→∃y(鼻yx&長y)} に「係ってゐて」、
④ ∃y は、
④ (鼻yx&長y) に「係ってゐる」。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
④ 象は鼻は長い=
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}=全てのxについて、xが象ならば、あるyはxの鼻であって、yは長い。
であれば、
④ 象=x
④ 鼻=y
といふ、「二つの主語」が、有って、
④ 象 は、
④ 鼻は長い。 の「主語」であって、
④ 鼻 は、
④ 長い。 の「主語」である。
然るに、
(12)
⑤ サンマはうまい。
といふのであれば、
⑤{サンマ}だけを念頭に置いて、
⑤ サンマはうまい。
といふ風に、述べてゐる。
然るに、
(13)
⑥ サンマは目黒がうまい(サンマは目黒に限る)。
といふのであれば、
⑥ 目黒のさんま(落語)がさうであるやうに、
⑥ 目黒以外(日本橋魚河岸)のサンマはうまくない。
従って、
(12)(13)により、
(14)
⑥ サンマは目黒がうまい(サンマは目黒に限る)。
といふのであれば、
⑥{サンマ}だけを念頭に置いて、
⑥{目黒}と{目黒以外}を「比較」して、そのやうに述べてゐる。
従って、
(05)(14)により、
(15)
④ 象は 鼻 が長い。
⑥ サンマは目黒がうまい。
といふのであれば、
④{象} だけを念頭に置いて、
⑥{サンマ}だけを念頭に置いて、
④{象の鼻}と{鼻ではない、象のパーツ} を「比較」して、そのやうに述べてゐて、
⑥{目黒} と{目黒以外(日本橋魚河岸)}を「比較」して、そのやうに述べてゐる。
従って、
(15)により、
(16)
④ 象は 鼻 が長い。
⑥ サンマは目黒がうまい。
といふ「日本語」は、「同じ構文」に属してゐる。
然るに、
(17)
⑦ 私はフランス語ができます。
の場合は、
⑦{フランス語}と{フランス語以外の言語}を「比較」して、そのやうに述べてゐるわけではない。
然るに、
(03)により、
(18)
③ 象は鼻は長い。
といふのであれば、
③ 象の鼻以外は、長いのか、長くないのかが、分からないし、
⑦ 私はフランス語はできます。
といふのであれば、
⑦ フランス語以外は、出来るのか、出来ないのか、分からない。
従って、
(18)により、
(19)
⑦ 他にも、話せる言語は有るのですか。
といふ風に、「質問」されたくないのであれば、
⑦ 私はフランス語はできます。
とは言はずに、
⑦ 私はフランス語ができます。
といふ風に、言ふ方が、「無難」である。
然るに、
(20)
午前中に書いた、『「お前が言うな。」の「お前が」について(https://kannbunn.blogspot.com/2018/02/blog-post_9.html)』で示した通り、
「お前が」は、「(他ならぬ)お前が」といふ、「意味」である。
従って、
(21)
⑧ 私はフランス語ができます=
⑧ 私は(他ならぬ)フランス語ができます。
といふ「意味」であることも、「可能」である。
従って、
(15)(21)により、
(22)
⑧{私}だけを念頭に置いて、
⑧「(他ならぬ)フランス語」といふこと、を言ひたいがために、
⑧ 私はフランス語ができます。
と言ふことは、「可能」である。
然るに、
(15)により、
(23)
⑨ この本は、内容がよくない。
といふのであれば、
⑨{この本}だけを念頭に置いて、
⑨{内容}と{内容以外}を「比較」して、そのやうに述べてゐる。
然るに、
(24)
⑨ 内容がよくない=内容はよくなく(内容以外はよくなくない)。
であれば、「二重否定」によって、
⑨ 内容がよくない=内容はよくなく(内容以外はよい)。
といふことになる。
然るに、
(25)
⑨ タイトルは、(内容以外)である。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
⑨ この本は、タイトル_いいが、内容がよくない。
といふのであれば、
⑨ この本は、タイトルはいいが、内容がよくない。
といふ、ことになる。
然るに、
(27)
⑨ この本は、タイトルはいいが、内容がよくない。
として、
⑨ タイトルはよくて、内容がよくないのは、何か。
と問はれれば、「答へ」は、
⑨「この本」である。
(28)
⑨ タイトルはいいが、内容がよくない。
として、
⑨ いいのは、何か。
⑨ よくないのは、何か。
と問はれれば、「答へ」は、
⑨「タイトル」であって、
⑨「内容」 である。
従って、
(26)(27)(28)により、
(29)
⑨ この本は、タイトルはいいが、内容がよくない。
に於いて、
⑨ タイトルはいいが、内容がよくない。
⑨ いい
⑨ よくない。
の「主語」は、それぞれ、
⑨「この本」 であって、
⑨「タイトル」であって、
⑨「内容」 である。
平成30年02月09日、毛利太。
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