(01)
⑭ 小学而大遺「学レ小而遺レ大」とすべきところを意味を強めるために倒置した。
「小学レ之、大遺レ之」の「之」を省略した形。このような場合には、普通の場合
との区別がよくわかるように「小ハ・・・大ハ・・・」または「小ヲバ・・・大ヲバ・・・」などと読む。
(三省堂、明解古典学習シリーズ20、1963年、54頁)
従って、
(01)により、
(02)
「学小而遺大」といふ、「漢文としての、通常の語順」を、
「小学而大遺」といふ、「国語としての、通常の語順」に変へた場合は、
「(漢文としての)倒置」となり、その「結果」として、「小(補語)」と「大(補語)」が、「強調」される。
従って、
(02)により、
(03)
例へば、
① 入(危邦)⇒
① (危邦)入=
① (危邦に)入る。
に対して、
② 危邦入=危邦に入る。
の場合は、
②「危邦(補語)」が、「強調(倒置)」されてゐる(?)。
従って、
(03)により、
(04)
② 不〔入(危邦)〕⇒
② 〔(危邦)入〕不=
② 〔(危邦に)入ら〕ず。
に対して、
③ 危邦不(入)⇒
③ 危邦(入)不=
③ 危邦に(入ら)ず。
の場合も、
③「危邦(補語)」が、「強調(倒置)」されてゐる(?)。
然るに、
(05)
危険の兆候のある国には、足を踏み入れない。
(吉川幸次郎、論語上、1960年、252頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
「日本語」としては、
② 危邦に(入ら)ず。
ではなく、
③ 危邦には(入ら)ず。
である。
然るに、
(07)
枕草子の専門家が次のような頭注をつけている。
「春は」は総主語の提示語的用法。「春は曙いとをかし」などの略で。「曙いとをかし」などの述部の主語。
総主語の提示語のような総主語であり、かつ、主語である、とは難儀な話である。
(三上章、日本語の論理、1963年、148・9頁)
従って、
(07)により、
(08)
「提示語(~ハ)」といふ「文法用語」がある。
従って、
(06)(08)により、
(09)
② 危邦に (入ら)ず。
③ 危邦には(入ら)ず。
に於いて、
②「危邦」は、「 補語 」であるが、
③「危邦」は、「提示語」であって、
「日本語」に訳した際に、「提示語(ハを伴ふ)」となる「漢文の補語」は、「倒置」をしても、「強調」されることはない。
といふ風に、「仮定A」する。
然るに、
(10)
④ 父母の年ハ、知らざるべからざるなり(論語、里仁第四 21)。
の場合は、
④ 父母之年、不レ可レ不レ知也。
である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
「仮定A]を認めるのであれば、
④ 父母之年、不レ可レ不レ知也。
に於ける、
④「父母之年」は、「倒置による、強調形」ではなく、「提示語」である。
然るに、
(12)
⑤ 世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬ハ常に有れども、伯楽ハ常には有らず(韓愈、雜説)。
の場合は、
⑤ 世有二伯楽一、然後有二千里馬一。千里馬常有、而伯楽不二常有一。
である。
従って、
(09)(10)(11)(12)により、
(13)
「仮定A]を認めるのであれば、
⑤ 千里馬常有、而伯楽不二常有一。
に於ける、
⑤「千里馬」は、「倒置による、強調形」ではなく、「提示語」である。
⑤「 伯楽 」も、「倒置による、強調形」ではなく、「提示語」である。
令和02年08月14日、毛利太。
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