(01)
① 雨降。(雨降る)
(笠間書院、漢文の語法と故事成語、2005年、32頁改)
然るに、
(02)
① 雨降。
② 降雨。
に於いて、「普通」は、
① ではなく、
② である。
然るに、
(03)
② 天降レ雨=天、雨を降らす。
に於いて、
② 天(主語)
を「省略」すると、
② 降雨。
となる。
cf.
天(2)天にいます最高の神(学研、新版 漢字源、1999年、1543頁)。
(04)
③ 小人之学、入乎耳(小人の学は耳よる入る)。
に於いて、
③「乎」は「前置詞(from)」である。
(05)
④ 病従口入(病は口より入る)。
に於いて、
④「従」は「前置詞(from)」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
③ 小人之学、入乎耳(小人の学は耳よる入る)。
の「語順」に合はせるのであれば、
④ 病従口入(病は口より入る)。
ではなく、
④ 病入従口(病は口より入る)。
でなければ、ならない。
(07)
⑤「人を知らず」は「不レ知レ人」であるが、
⑤「己を知らず」は「不ニ己知一」である。
(岩波全書、漢文入門、1957年、23頁改)
従って、
(08)
⑤ 不己知(己を知らず)。
である以上、
⑤ 不己如(己に如かず)。
でなければ、ならない。
然るに、
(09)
「論語、学而」の場合は、何故か、
⑤ 不己如(己に如かず)。
ではなく、
⑥ 不如己(己に如かず)。
である。
(10)
⑦ 如雪(雪の如し)。
は、「(転倒のない)普通の語順」である。
然るに、
(11)
「何」「誰」などの疑問代名詞(が補語)であるときは、例外もあるけれども、一般的にいって、その語順が轉倒し、「何事(何をか事とす)」となる。
(岩波全書、漢文入門、1957年、23頁改)
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑦ 如何(いかん)。
の、何」は、「転倒」されて、
⑧ 何如(いかん)。
となる。
然るに、
(13)
⑧ 何如(いかん) ⇔ どうであるか(どのやうか)。
に対して、
⑨ 如何(いかんせん)⇔ どうするか(いかにするか)。
である。
従って、
(13)により、
(14)
⑧ 何如(いかん) ⇔ どうであるか(どのやうか)。
⑨ 如之何(これをいかんせん)⇔ これをどうするか(これを、いかにするか)。
といふ、ことになる。
然るに、
(15)
コ・ラ・ム 「何如」と「如何」の違い ―
状況・程度などを問うときは「何如」を、手段・方法などを問うときは「如何」を用いる。しかし、混用されこともあり、文の前後関係から判断する必要がある。
(桐原書店、【基礎から解釈へ】漢文必携、2004年、47頁)
(11)により、
(16)
もう一度、確認すると、
「英語」と同様、「何(What)、誰(Who)」は、「普通」は「前置(強調)」される。
然るに、
(17)
⑩ 孰爲夫子(論語、微子)。
に於いて、
孰=Who
為=is
夫子=the teacher
である。
従って、
(17)により、
(18)
⑩ 孰爲夫子(だれをか夫子となす)。
の場合は、そのまま、
⑩ Who is the teacher?
である。
然るに、
(19)
⑪ 子為誰(論語、微子)。
の「語順」は、
⑪ You are who?
であって、
⑪ Who are you?
ではない。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
⑩ 誰が先生か(誰爲夫子)。
⑪ あなたは誰か(子為誰)。
に於いて、
⑩ の「誰」は「前値(強調)」され、
⑪ の「誰」は「前値(強調)」されない。
従って、
(11)(20)により、
(21)
確かに、
「何」「誰」などの疑問代名詞(が補語である場合)の「転倒(前置)」には、「例外」が有る。
(22)
⑫ 復不得兎=
⑫ 復不レ得レ兎=
⑫ 復不〔得(兎)〕⇒
⑫ 復〔(兎)得〕不=
⑫ 復た〔(兎を)得〕ず。
の場合は、
⑫「1度目は、兎を得ることが出来ず」、
⑫「2度目も、兎を得ることが出来なかった」。
といふ「意味」である。
然るに、
(23)
⑬ 不復得兎=
⑬ 不レ復得一レ兎=
⑬ 不〔復得(兎)〕=
⑬ 〔復(兎)得〕不⇒
⑬ 〔復た(兎を)得〕ず。
の場合は、
⑬「1度目は、兎を得ることが出来たが」、
⑬「2度目は、兎を得ることが出来なかった」。
といふ「意味」である。
従って、
(24)
⑫ 復不得兎(復た兎を得ず)。
⑬ 不復得兎(復た兎を得ず)。
の場合は、「訓読」をすれば「同じ」であるが、「語順」が「異なる」ことによって、「意味」も変はって来る。
ただし、
(25)
⑫ 復レ不レ得レ兎(兎を得ざること、復たなり)。
⑬ 不レ復レ得レ兎(兎を得ること、復たはならず)。
といふ風に「訓読」すれば、「訓読・語順・意味」は、すべて、「同じ」ではない。
(26)
⑭ 看雁還。
であるならば、
⑭ 看雁還(雁を看て、私は還る)。
なのかも、知れないし、
⑭ 看雁還(私は、雁が還って行くのを看る)。
なのかも、知れない。
然るに、
(27)
⑮ 看雁而返(雁を看て還る)。
であれば、
⑮ 看雁還(私は、雁が還って行くのを看る)。
といふ「意味」では、有り得ない。
従って、
(28)
⑭ 看雁還(雁を看て、私は還る)。
であって、
⑭ 看雁還(私は、雁が還って行くのを看る)。
ではない。
といふことを、ハッキリさせたい場合は、
⑮ 看雁而還(雁を看て還る)。
といふ風に、書くことになる。
(29)
⑯ 越与呉戦、大敗。
⑰ 越与呉戦、大敗之。
に於いて、
⑯ 越、呉と戦ひ、大敗す。 ⇒ 負けたは越、勝ったのは呉。
⑰ 越、呉と戦ひ、大ひに之を敗る。⇒ 負けたは呉、勝ったのは越。
であると、加藤徹先生が、述べてゐる(白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、39頁)。
(30)
質問者:cake-2009質問日時:2009/11/09 19:31回答数:1件
ラテン語は、英語の10倍難しいと聞いたのですが、本当ですか?
難しいという感覚は主観的なものなので、人によって違うかもしれませんが…
No.1ベストアンサー
回答者: Oubli 回答日時:2009/11/09 22:13
動詞は直接法が6時制、接続法が4時制あり、1~3人称、単数と複数でそれぞれ6形に語尾変化し、能動相と受動相も語尾変化で区別されます(他に命令法や分詞もあります)。語尾変化の体系は第一活用から第四活用まであります(単語によって決まる)。
名詞は6つの格、単数と複数で語尾変化し、男性・女性・中性のどれかに決まっており、語尾変化の体系は第一変化から第五変化まであります(単語によって決まる)。形容詞も名詞に似た感じで変化します。
要するに、日本語で動詞+助動詞+主語の人称・数、名詞+助詞+文法性・数といった情報が語尾変化によって1語に凝縮されており、しかもその変化体系が均一ではありません。もちろん私はラテン語をマスターしていませんが、文法をひととおりみてみると、フランス語の動詞活用やドイツ語の格変化はかなり簡易化されており、英語にいたっては児戯に等しいことが解ると思います。主観的には10倍どころではありません(教えて!goo)。
といふこと(語形変化)は、「ラテン語」には有っても、「漢文」には、一切、無い。
従って、
(31)
「語順こそ」が、「漢文の文法」である。
といふ風に、言へないこともない。
令和02年08月18日、毛利太。
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