(01)
三上章の『象は鼻が長い』を読み、「主語廃止論」と並んで衝撃的であったのは、「は」のコンマ超えとピリオド越えである。
(金谷武洋、日本語の文法の謎を解く、2003年、72頁)
(02)
ピリオド越えとは、「Xは」という主語が以降の文の主語としても働く現象のことだ。それはどういうものなのか、実例として夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭の文章を見てみよう。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
最初の文の主語(「主題」とも言う)である「吾輩」は、以降の文の主語でもある。
(オルタナティブブログ:どんなときに主語を省略できるのか。)
従って、
(02)により、
(03)
「ピリオド越え」といふのは、例へば、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
に於ける、
① 名前はまだ無い。
といふ「文」が、「実質的」に、
① 吾輩は猫である。(吾輩は)名前はまだ無い。
といふ「意味」である。といふ、ことを言ふ。
然るに、
(04)
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)} A
1 (〃)あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い} A
2 (2) ∃x{タマx& ∃y(名前yx)} A
3 (3) 吾輩a&猫a&~∃y(名前ya) A
4(4) タマa& ∃y(名前ya) A
3 (5) ~∃y(名前ya) 3&E
4(6) ∃y(名前ya) 4&E
34(7) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 56&I
23 (8) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 247EE
12 (9) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 138EE
1 (ア) ~∃x{タマx& ∃y(名前yx)} 29RAA
1 (イ) ∀x~{タマx& ∃y(名前yx)} ア量化子の関係
1 (ウ) ~{タマa& ∃y(名前ya) イUE
1 (エ) ~タマa∨ ~∃y(名前ya) ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ) ~∃y(名前ya)∨~タマa エ交換法則
1 (カ) ∃y(名前ya)→~タマa オ含意の定義
1 4(キ) ~タマa 4カMPP
12 (ク) ~タマa 64キEE
3 (ケ) 吾輩a&猫a 3&E
123 (コ) 吾輩a&猫a&~タマa クケ&I
123 (サ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) コEI
12 (シ) ∃x(吾輩x&猫x&~タマx) 13サEE
12 (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(04)により、
(05)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)},∃x{タマx&∃y(名前yx)}├ ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)
といふ「推論」、すなはち、
① 吾輩は猫である。名前は無い。然るに、タマには名前が有る。従って、吾輩はタマではないが、猫である。
① I am a cat. I have no name for me. However, Tama has his own name. Therefore, I am not Tama, but a cat.
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(06)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
(ⅱ)括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
に於いて、
① ∃x≡吾輩
の「意味」は、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「述語論理式(完全な文)の全体」に、及んでゐる。
従って、
(07)により、
(08)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
とするならば、「定義」により、
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
に於ける「主語(MAIN WORD)]は、
① ∃x≡吾輩
である。といふことになる。
然るに、
(09)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
に於ける、
① ~∃y(名前yx)≡名前は無い。
の場合は、
① xに関する、「命題関数(propositional function)」であって、
①「命題関数」は、「完全な文(Well-formed formula)」ではない。
従って、
(04)(09)
(10)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「等式」に基づく限り、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
こそが、「1つの論理式(完全な文)」であって、それ故、
① 名前は無い。
といふ「命題関数」は、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
といふ「論理式(完全な文)」の、飽くまでも、「一部」に過ぎない。
従って、
(10)により、
(11)
① 吾輩は猫である。名前は無い。⇔
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
といふ「等式」に基づく限り、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
といふ「文」は、「2つの文」ではなく、飽くまでも、「1つの文」である。
従って、
(02)(11)により、
(12)
「ピリオド越え」とは、「Ⅹは」という主語が以降の文(論理式)の主語としても働く現象のことだ。
といふ風に「定義」する。のであれば、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
に於いて、「ピリオド越え」は、無い。
然るに、
(13)
「一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる(ウィキペディア)。」としても、
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」
といふ「文の全体」を、「(数学用の)述語論理式」に「翻訳」することは、「無理」である。
然るに、
(11)(12)(13)により、
(14)
(ⅰ)名前はまだ無い。
(ⅱ)どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
(ⅲ)何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
に於いて、仮に、
(ⅰ)だけでなく、
(ⅱ)も「論理式(完全な文)」ではなく、「命題関数(不完全な文)」である。
(ⅲ)も「論理式(完全な文)」ではなく、「命題関数(不完全な文)」である。
とするならば、その限りに於いて、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
② 吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
に於いて、
① だけなく、
② であっても、「ピリオド越え」は、無い。
然るに、
(08)により、
(15)
もう一度、確認すると、
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
とするのであれば、
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (〃)象は、鼻が長い。 A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
2 (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。 A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 象a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
12 (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。 ナUI
12 (〃)兎は、象ではない。 ナUI
といふ「計算(Predicate calculus)」が「可能」であるが故に、「定義」により、
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於ける、「主語(MAIN WORD)」は、
② 象≡∀x
である。といふ、ことになる。
同様に、
(16)
1 (1)∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)} A
1 (〃)鼻は象が長い。 A
1 (2) ∃y{(鼻ay&象y→長a)&(~象y&長a→~鼻ay)} 1UE
3 (3) (鼻ab&象b→長a)&(~象b&長a→~鼻ab) A
3 (4) ~象b&長a→~鼻ab 3&E
5 (5)∃x∃y(兎y&~象y&鼻xy) A
5 (〃)兎は象ではないが、鼻がある。 A
6 (6) ∃y(兎y&~象y&鼻ay) A
7(7) 兎b&~象b&鼻ab A
7(8) 兎b& 7&E
7(9) ~象b 7&E
7(ア) 鼻ab 7&E
7(イ) ~~鼻ab アDN
3 7(ウ) ~(~象b& 長a) 4イMTT
3 7(エ) ~~象b∨~長a ウ、ド・モルガンの法則
3 7(オ) ~象b→~長a エ含意の定義
3 7(カ) ~長a 9オMPP
7(キ) 兎b&鼻ab 8ア&I
3 7(ク) 兎b&鼻ab&~長a カキ&I
3 7(ケ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) クEI
3 6 (コ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) 67ケEE
3 6 (サ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) コEI
35 (シ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 56サEE
1 5 (ス)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 13シEE
1 5 (〃)兎の鼻は、長くない。 13シEE
といふ「計算(Predicate calculus)」が「可能」であるが故に、「定義」により、
③ 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
に於ける、「主語(MAIN WORD)」は、
③ 鼻≡∀x
である。といふ、ことになる。
然るに、
(17)
2 Show the validity of following arguments:
2 つぎの論証の妥当性を示せ。
(d)Some girls like William; all boys like any girl; William is a boy; therefore there is someone who likes William and is liked by William.
(〃)幾人かの少女はウィリアムが好きである。すべての少年はいかなる少女も好きである。ウィリアムは少年である。故にある人はウィリアムが好きであって、ウィリアムもその人を好きである。
(私による)解答:
(d)
1 (1)∃x(少女x&愛xw) A
2 (2)∀y{少年y→∀x(少女x→愛yx)} A
3 (3) 少年w A
2 (4) 少年w→∀x(少女x→愛wx) 2UE
23 (5) ∀x(少女x→愛wx) 23MPP
23 (6) 少女a→愛wa 5UE
7(7) 少女a&愛aw A
7(8) 少女a 7&E
237(9) 愛wa 68MPP
7(ア) 愛aw 7&E
237(イ) 愛aw&愛wa 9ア&I
237(ウ) ∃x(愛xw&愛wx) イEI
123 (エ) ∃x(愛xw&愛wx) 17ウEE
従って、
(08)(17)により、
(18)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
といふ「定義」により、
① ∃x(少女x&愛xw) ≡Some girls like William≡幾人かの少女はウィリアムが好きである。
② ∀y{少年y→∀x(少女x→愛yx)}≡all boys like any girl ≡すべての少年はいかなる少女も好きである。
に於ける、「主語(MAIN WORDS)」は、
① ∃x≡少女≡Some girls≡幾人かの少女
② ∀y≡少年≡all boys ≡すべての少年
である。といふ、ことになる。
(19)
③ 少年w=William is a boy=ウィリアムは少年である。
の場合は、「素文(atomic sentence)」といって、「述語論理式(完全な文)」である。
従って、
(18)(19)により、
(20)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
(ⅲ)ただし、「少年w」のやうな「素文」の場合は、「w」を、「主語(MAIN WORD)」とする。
とするならば、
① ∃x(少女x&愛xw) ≡Some girls like William≡幾人かの少女はウィリアムが好きである。
② ∀y{少年y→∀x(少女x→愛yx)}≡all boys like any girl ≡すべての少年はいかなる少女も好きである。
③ 少年w ≡William is a boy ≡ウィリアムは少年である。
に於ける、「主語(MAIN WORDS)」は、
① ∃x≡少女≡Some girls≡幾人かの少女
② ∀y≡少年≡all boys ≡すべての少年
③ w≡William ≡ウィリアム
である。といふ、ことになる。
然るに、
(21)
④ ∃x(愛xw&愛wx)=there is someone who likes William and is liked by William=ある人はウィリアムが好きであって、ウィリアムもその人を好きである。
に関しては、
④ ∃x≡someone≡ある人
が、「主語(MAIN WORD)」であるため、
① ∃x≡少女≡Some girls≡幾人かの少女
② ∀y≡少年≡all boys ≡すべての少年
③ w≡William ≡ウィリアム
といふ「主語(MAIN WORDS)」とは、「様子が、違ふ」ことになる。
従って、
(20)(21)により、
(22)
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
(ⅲ)ただし、「少年w」のやうな「素文」の場合は、「w」を、「主語(MAIN WORD)」とする。
(ⅳ)ただし、「there is(are)・・・・.」のやうな「英文」には、「注意」すること。
といふ風に、「主語(MAIN WORD)」を、「定義」出来る。
然るに、
(23)
「MAIN WORD」と訳される「主語」は、無い。
然るに、
(24)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである。
(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)
(25)
三、主語から主題へ
「主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、148頁)
(26)
① 吾輩は猫である。名前は無い≡∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
③ 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
に於ける、「主語」は、
① 吾輩≡∃x
② 象≡∀x
③ 鼻≡∀x
である。としても、「少なくとも、私は困らない」し、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
② 象は鼻が長い。
③ 鼻は象が長い。
に於ける「主語」は、
① 吾輩 であって、
② 象 であって、
③ 鼻 である。
とするのは、明らかに、「多数派」である。
然るに、
(27)
かりに既成専門語をご破算にして、文法(英文法、日本文法)と論理学とが今後新たにそれぞれの専門語をきめるものと仮定しよう。問題は Subject という俗語を採用すべきか否かである。
(三上章、日本語の論理、1963年、62頁)
従って、
(22)(26)(27)により、
(28)
「主語(Subject)」に換へて、
(ⅰ)「主語(MAIN WORD)」とは、「述語論理式(完全な文)の文頭」にあって、
(ⅱ)「文末」にまで、「その意味」が及んでゐる所の「語」をいふ。
(ⅲ)ただし、「少年w」のやうな「素文」の場合は、「w」を、「主語(MAIN WORD)」とする。
といふ「新たな定義」を、行ったとしても、
① 吾輩
② 象
③ 鼻
こそが、
① 吾輩は猫である。名前は無い。
② 象は鼻が長い。
③ 鼻は象が長い。
といふ「日本語」に於ける「主語」である。
といふ「常識」は、「これまで」と、「変り」が無い。
令和2年10月11日、毛利太。
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