(01)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛ay&愛by&愛cy)
(ⅱ)(愛ay&愛by&愛cy)∨(愛ay&愛by&愛cy)∨(愛ay&愛by&愛cy)
(ⅲ)(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
同様に、
(02)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
② ∀x∃y(愛xy)
といふ「述語論理式」は、
(ⅰ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅱ)(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)&(愛xa∨愛xb∨愛xc)
(ⅲ)(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「手順」で、「展開」出来る。
然るに、
(01)(02)により、
(03)
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「式」は、それぞれ、
① ある人はすべての人によって、愛されてゐる(受動態)。
② すべての人は、ある人を愛してゐる(能動態)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(04)
「&(そして)」と「∨(または)」の「働き」からすれば、
①(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
②(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
に於いて、明らかに、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
(05)
例へば、
①(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
②(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
③(愛aa )&( 愛bb )&( 愛cc)
に於いて、
① ならば、② であって、
③ ならば、② であるが、
③ と ② は、「同時に真である」ことが、出来るが。
③ と ① は、「同時に真である」ことは、出来ない。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1 (1)∃y∀x(愛xy) A
2(2) ∀x(愛xb) A
2(3) 愛ab 2UE
2(4) ∃y(愛ay) 2EI
2(5)∀x∃y(愛xy) 4UI
1 (6)∀x∃y(愛xy) 125EE
(ⅱ)
1 (1)∀x∃y(愛xy) A
1 (2) ∃y(愛ay) 1UE
3(3) (愛ab) A
3(4) ∀x(愛xb) 3UI
3(5)∃y∀x(愛xy) 4EI
1 (6)∃y∀x(愛xy) 135EE
然るに、
(06)により、
(07)
(ⅱ)
3(3) (愛ab) A
3(4) ∀x(愛xb) 3UI
は、「規則UI」に対する、「違反」である。
従って、
(03)~(07)により、
(08)
いづれにせよ、
{a,b,c}といふ{3人}が「変域」であるとき、
① ∃y∀x(愛xy)≡(愛aa&愛ba&愛ca)∨(愛ab&愛bb&愛cb)∨(愛ac&愛bc&愛cc)
② ∀x∃y(愛xy)≡(愛aa∨愛ab∨愛ac)&(愛ba∨愛bb∨愛bc)&(愛ca∨愛cb∨愛cc)
といふ「式」は、それぞれ、
① ある人はすべての人によって、愛されてゐる(受動態)。
② すべての人は、ある人を愛してゐる(能動態)。
といふ「意味」であって、尚且つ、
① ならば、② であるが、
② ならば、① である。とは、限らない。
然るに、
(09)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
然るに、
(10)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(03)(08)(09)(10)により、
(11)
① ∃y∀x(愛xy)≡ ある人はすべての人によって、愛されてゐる。
② ∀x∃y(愛xy)≡ すべての人は、ある人を愛してゐる。
といふ「述語論理式」は、「量記号の作用範囲(scope)」といふことからすれば、それぞれ、
① ∃y{∀x(愛xy)}≡ ある人はすべての人によって愛されてゐる。
② ∀x{∃y(愛xy)}≡ すべての人はある人を愛してゐる。
といふ風に、書くのが、「正しい」。
従って、
(11)により、
(12)
① ∃y{∀x(愛xy)}≡ ある人はすべての人によって愛されてゐる。
② ∀x{∃y(愛xy)}≡ すべての人はある人を愛してゐる。
に於ける、「2つの右辺」にしても、
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる}。
といふ「括弧(scope)」が、有るに、違ひ無い。
然るに、
(13)
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる}。
に於いて、
① ある人は
② すべての人は
それぞれ、「文頭」にあって、「その意味」が「文末」にまで及んでゐる。
然るに、
(14)
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる}。
に於いて、
① ある人は
② すべての人は
は、「2つ」とも、「常識的」には、「主語」と言ふ。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
『主に「文頭」にあって、「その意味」が「文末」にまで及んでゐる「語」』を「日本語の主語」とするならば、
① ある人は{すべての人によって愛されてゐる}≡∃y{∀x(愛xy)}。
② すべての人は{ある人を愛してゐる} ≡∀x{∃y(愛xy)}。
③ 象は{鼻が長い}≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 鼻は{象が長い}≡∀x{∃y[鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)]}。
に於いて、
① ある人は
② すべての人は
③ 象は
④ 鼻は
は、それぞれ、
①{すべての人によって愛されてゐる}。
②{ある人を愛してゐる}。
③{鼻が長い}。
④{象が長い}。
に対する、「主語」である。
然るに、
(16)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである。
(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)
(17)
三、主語から主題へ
「主語」を廃止しようというのは、この用語のままでは困るからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、148頁)
然るに、
(18)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (〃)象は、鼻が長い。 A
2 (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
2 (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。 A
3 (3)∃x(兎x&象x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 兎a&象a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 象a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 48MPP
2 6 (ア) ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za) 57MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
2 6 (エ) ∃y(長y&耳ya) ア&E
オ(オ) 長b&耳ba A
オ(カ) 耳ba オ&E
2 6 (キ) ∀z(耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ク) 耳ba→~鼻ba キUE
2 6 オ(ケ) ~鼻ba オクMPP
1 6 (コ) ∀z(~鼻za→~長z) ア&E
1 6 (サ) ~鼻ba→~長b コUE
12 6 オ(シ) ~長b ケサMPP
オ(ス) 長b オ&E
12 6 オ(セ) 長b&~長b シス&I
12 6 (ソ) 長b&~長b エオセEE
123 (タ) 長b&~長b 36ソEE
12 (チ)~∃x(兎x&象x) 3タRAA
12 (ツ)∀x~(兎x&象x) チ量化子の関係
12 (テ) ~(兎a&象a) ツUE
12 (ト) ~兎a∨~象a テ、ド・モルガンの法則
12 (ナ) 兎a→~象a ト含意の定義
12 (ニ)∀x(兎x→~象x) ナUI
12 (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。 ナUI
12 (〃)兎は、象ではない。 ナUI
従って、
(15)~(18)により、
(19)
③ 象は{鼻が長い}≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「等式」は、「正しく」、それ故、
『主に「文頭」にあって、「その意味」が「文末」にまで及んでゐる「語」』を「日本語の主語」とするならば、
③ 象は{鼻が長い}。
に於ける「主語」は、明らかに、
③ 象は
であるといふことになり、そのため、「少しも、困らない。」
令和02年10月06日(は奥歯が痛い)、毛利太。
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