2020年10月13日火曜日

「述語論理」に於ける「総主語」。

―「昨日(令和2年10月13日)の記事」を書き直します。―
(01)
1  (1)     Ra&(a=b)      A
1  (2)     Ra            1&E
1  (3)         a=b       1&E
1  (4)     Rb            23=E
   (5)     Ra&(a=b)→Rb   14CP
 6 (6)             ~Rb   A
 6 (7)   ~{Ra&(a=b)}     56MTT
 6 (8)    ~Ra∨(a≠b)      7ド・モルガンの法則
 6 (9)     Ra→(a≠b)      8含意の定義
   (ア)~Rb→{Ra→(a≠b)}     69CP
  イ(イ) Ra&~Rb            A
  イ(ウ)~Rb                イ&E
  イ(エ)    {Ra→(a≠b)}     アウMPP
  イ(オ)     Ra            イ&E
  イ(カ)        (a≠b)      エオMPP
   (キ)     Ra&~Rb→(a≠b)  イカCP
   (ク)  ∀y{Ra&~Ry→(a≠y)} キUI
   (ケ)∀x∀y{Rx&~Ry→(x≠y)} クUI
   (〃)すべてxとすべてのyについて{xがRであって、yがRでないならば、xとyは同一ではない}。
従って、
(01)により、
(02)
R=理事 であるとして、
① ∀x∀y{理事x&~理事y→(x≠y)}⇔
① すべてxとすべてのyについて{xが理事であって、yが理事でないならば、xとyは同一ではない}。
といふ「論理式」は、「トートロジー(恒真式)」である。
従って、
(02)により、
(03)
① xが理事であって、yが理事でないならば、xとyは「同一人物」ではない
といふ「命題(関数)」は、「恒に」である。
cf.
①「理事であって、尚且つ、理事でない人」は、存在しない
然るに、
(04)
① 理事 が、仮に、5人ゐるのであれば、
① xが理事長であって、yも理事長であるならば、xとyは「同一人物」である
とは、言へない
然るに、
(05)
① 理事 ではなく、
① 理事長は、1人しかゐないため、
① xが理事長であって、yが理事長でないならば、xとyは「同一人物」ではない。
① xが理事長であって、yも理事長であるならば、xとyは「同一人物」である
といふ「命題(関数)」は、「両方」とも、「恒に」である。
従って、
(05)により、
(06)
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて{xがT会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)}。
とするならば、
① 私はT記念会の理事長であって、私以外に、T記念会の理事長はゐない
といふ、ことになる。
然るに、
(07)
② 私は、「倉」であるならば、
② 私は、「小倉」ではない
然るに、
(06)(07)により、
(08)
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない
② 私は、大倉であって、小倉ではない
といふのであれば、
③ タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない
然るに、
(09)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  34MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)     ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)        小倉c&~私c                       A
    ア (イ)        小倉c                           ア&E
    ア (ウ)            ~私c                       ア&E
     エ(エ)               b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3スCP
1  9  (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
1  9  (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。                セUI
従って、
(05)~(09)により、
(10)
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。⇔
① ∀x{タゴール会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて{xがタゴール会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(11)
① 理事長は私です。
② 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(12)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① タゴール記念会は、私理事です。⇔
① 私はタゴール記念会の理事長であって、私以外に、タゴール記念会の理事長はゐない。⇔
① ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて{xがタゴール会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(14)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる「少なくとも2つの箇所」を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
従って、
(13)(14)により、
(15)
例へば、
① タゴール記念会は、私理事です。⇔
∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ「等式」に於ける、
∀x を、「主語」と呼ぶ。
といふ風に、「定義」するならば、
∀xタゴール記念会(タゴール記念会の会員)
といふ「語」が、
① タゴール記念会は、私理事です。
といふ「日本語」の、「総主語」である。
といふ、ことになる。
同様に、
(16)
② 象は、鼻長い。⇔
∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「等式」に於ける、
∀x を、「主語」と呼ぶ。
といふ風に、「定義」するならば、
∀x
といふ「語」が、
② 象は、鼻長い。
といふ「日本語」の、「総主語」である。
然るに、
(17)
「明治時代の標準的な文体(普通文)」である所の、「漢文訓読体」の場合は、
② 象は、鼻長い。⇔
∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「言ひ方」は無く、
③ 象は、鼻長し。⇔
∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
といふ「言ひ方」しか、無い。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
「明治三十ニ年」であれば、
③ 象は、體(体)大なり。⇔
∀x{象x→∃y(体yx&大y)}⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの体であって、yは大きい}。
に於ける、
∀x
といふ「語」が、
③ 象は、體(体)大なり。
といふ「日本語」の、「総主語」である。
然るに、
(19)
 一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。何トナレバ「象は體大なり」「熊は力強し」等ヨリ「象」「熊」等ノ再度ノ主語ヲ取去ル時ハ、殘餘ハ「體大なり」「力強し」等トナリテ、文法上ノ文ノ形ハ完全ニ之ヲ具フルニモ拘ラズ、意義ニ不足ヲ生ジ、其事ノ主トアルベキ「象」「熊」等ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ意義ノ完全ナル一圓ノ説話ヲ成サントスル傾アルコト、ナホ普通ノ動詞、形容詞ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ一ノ完全ナル説話ヲ成サントスル傾アルト同趣味ノモノアレバナリ。殊ニ「性有り」「限無し」等ノ一種ノ説話ニ對シテハ、實用ノ際ニ再度ノ主語ノ必要アル事ハ頗ル顯著ナルニアラズヤ。コレハ「うら(心)やまし(疚)」「て(質)がたし(堅)」ナドノ一説話ノ轉シテ一ノ形容詞トナリ、然ル上ハ實用ノ際ニ更ニソノ主語ヲ取ルト一般ナリ。サレバ「富貴は羨し」ノ「うらやまし」ニ對シテ「富貴」ヲ主語トイフヲ至當トセバ、「體大なり」「力強し」ニ對シテ「象」「熊」ヲソノ主語トイフモ亦不當ニハアラジ。斯カレバコノ類ノ再度ノ主ヲ予ハ別ニ「總主」ト名ヅケントス。
 總主ハ斯ク頗ル簡單ニ説明セラルベク、亦容易ニ會得セラルベキ者ナリ。學者ノ潛思苦慮ヲモ要セズ、考古引證ヲモ須タズシテ、小學ノ兒童モ、口頭ニ、文章ニ、此語法ヲ用ヰ、歌人文士モ之ヲ用ヰテ毫モ疑フ事ナシ。コノ語法ハ本ヨリ我國ニ有リシナランガ、漢學ノ流行ニ連レテ益廣ク行ハレ、今日トナリテハ最早之ヲ目シテ國語ノ法則ニ非ズトイフヲ得ザルニ至レリ。然ルニ國語ノ法則トシテ日本ノ文法ニ之ヲ編入スル者ナキハ何故ゾ。西洋ノ言語ニ類似ノ語法ナク、西洋ノ文典ニ類似ノ記載ナキガ故ニハ非ザルカ。 (草野淸民、國語の特有セル語法 ― 總主、『帝國文學』五卷五號、明治三十二年:大修館書店、日本の言語学 第3巻 文法Ⅰ、1978年、533頁)
従って、
(18)(19)により、
(20)
③ 象は、體(体)大なり。⇔
∀x{象x→∃y(体yx&大y)}⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの体であって、yは大きい}。
といふ「等式」に於ける、
∀x
といふ「語」を、
∀x を、「主語」と呼ぶ。
といふ風に、「定義」するならば、「主語」とは、草野淸民 先生 が、所謂、「主」である。
従って、
(15)(16)(20)により、
(21)
タゴール記念会は、私が理事です。≡ ∀x{タゴール記念会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
は、鼻が長い。        ≡ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
は、體大なり。        ≡ ∀x{象x→∃y(体yx&大y)}
に於ける、
∀xタゴール記念会(タゴール記念会の会員)
∀x
∀x
といふ「語」は、3つとも、草野淸民 先生 が、謂ふ所の、「主」である。
然るに、
(22)
(ⅰ)象は鼻長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は、象ではない。
といふ「(日本語による)推論」は、明らかに、「妥当」である。
然るに、
(23)
1     (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1     (〃)象は、鼻が長い。                       A
 2    (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
 2    (〃)兎は、耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。            A
  3   (3)∃x(兎x&象x)                      A
1     (4)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
 2    (5)   兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za)  2UE
   6  (6)   兎a&象a                       A
   6  (7)   兎a                          6&E
   6  (8)      象a                       6&E
1  6  (9)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  48MPP
 2 6  (ア)      ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za)  57MPP
1  6  (イ)      ∃y(鼻ya&長y)               9&E
    ウ (ウ)         鼻ba&長b                A
 2 6  (エ)      ∃y(長y&耳ya)               ア&E
     オ(オ)         長b&耳ba                A
     オ(カ)            耳ba                オ&E
 2 6  (キ)                 ∀z(耳za→~鼻za)  ア&E
 2 6  (ク)                    耳ba→~鼻ba   キUE
 2 6 オ(ケ)                        ~鼻ba   オクMPP
1  6  (コ)                 ∀z(~鼻za→~長z)  ア&E
1  6  (サ)                    ~鼻ba→~長b   コUE
12 6 オ(シ)                         ~長b   ケサMPP
     オ(ス)             長b                オ&E
12 6 オ(セ)             長b&~長b            シス&I
12 6  (ソ)             長b&~長b            エオセEE
123   (タ)             長b&~長b            36ソEE
12    (チ)~∃x(兎x&象x)                     3タRAA
12    (ツ)∀x~(兎x&象x)                     チ量化子の関係
12    (テ)  ~(兎a&象a)                     ツUE
12    (ト)  ~兎a∨~象a                      テ、ド・モルガンの法則
12    (ナ)   兎a→~象a                      ト含意の定義
12    (ニ)∀x(兎x→~象x)                     ナUI
12    (〃)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない)。  ナUI
12    (〃)兎は、象ではない。                      ナUI
従って、
(22)(23)により、
(24)
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は、象ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(22)(23)(24)により、
(25)
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(25)により、
(26)
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 象は鼻が長い≡すべてのxについてxが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(27)
これに対して三上は、日本語には主語はない、とする。「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)〔三上文法! : wrong, rogue and log〕。
然るに、
(26)(27)により、
(28)
(ⅰ)すべてのxについてxが象であるならば
といふことは、
(ⅰ)これから象についてのことを述べますよ
といふことに、他ならない。
然るに、
(29)
(ⅱ)括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つスコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(27)(29)により、
(30)
(ⅱ)メンタルスペースのスコープを形成する働きをもつ
といふことと、
(ⅱ)括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ
といふことは、「無関係」ではない。はずである。
従って、
(26)~(30)により、
(31)
②「三上章先生 の学説」と、
② 象は鼻が長い≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 象は鼻が長い≡すべてのxについてxが象であるならば、あるyはxの鼻であって長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)}。
といふ「等式」は、「矛盾しない
然るに、
(32)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである。
(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)
従って、
(27)(31)(32)により、
(33)
主語」という語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われている。
といふ、ことからすれば、
② 象は鼻長い。
② The elephant has a long trunk.
に於いて、
② 象 といふ「主語」が、「主題(話題)」であるならば、
② The elephant といふ「主語」も、「主題(話題)」である。
従って、
(32)(33)により、
(34)
「主語」という語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われている。
といふ、ことからすれば、
② 象は鼻長い。
② The elephant has a long trunk.
に於いて、
② 象 といふ「主題(話題)」が、「主語」であるならば、
② The elephant といふ「主題(話題)」も、「主語」である。
令和02年10月14日、毛利太。

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