2020年10月12日月曜日

「ピリオド越え」と「述語論理」。

(01)
―「昨日(令和02年10月11日)の記事」でも示した通り、―
1   (1)  ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}    A
1   (〃)あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い}。   A
 2  (2)  ∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}    A
  3 (3)     吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)     A
   4(4)     タマa&    ∃y(名前ya)     A
  3 (5)            ~∃y(名前ya)     3&E
   4(6)             ∃y(名前ya)     4&E
  34(7)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     56&I
 23 (8)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     247EE
12  (9)   ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya)     138EE
1   (ア) ~∃x{タマx&    ∃y(名前yx)}    29RAA
1   (イ) ∀x~{タマx&    ∃y(名前yx)}    ア量化子の関係
1   (ウ)   ~{タマa&    ∃y(名前ya)     イUE
1   (エ)    ~タマa∨   ~∃y(名前ya)     ウ、ド・モルガンの法則
1   (オ)    ~∃y(名前ya)∨~タマa        エ交換法則
1   (カ)     ∃y(名前ya)→~タマa        オ含意の定義
1  4(キ)              ~タマa        6カMPP
12  (ク)              ~タマa        24キEE
  3 (ケ)     吾輩a&猫a               3&E
123 (コ)     吾輩a&猫a&~タマa          クケ&I
123 (サ)  ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)         コEI
12  (シ)  ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)         13サEE
12  (〃)あるxは(吾輩であって猫であるが、タマではない)。 13サEE
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)},∃x{タマx&∃y(名前yx)}├ ∃x(吾輩x&猫x&~タマx)
といふ「推論」、すなはち、
①{吾輩は猫である。名前は無い。}然るに、{タマには名前が有る。}従って、{吾輩はタマではないが、猫である。}
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(03)
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が「以降の文の主語」としても働く現象のことだ。それはどういうものなのか、実例として
夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭の文章を見てみよう。
 吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
 最初の文の主語(「主題」とも言う)である「吾輩」は、以降の文の主語でもある。
(オルタナティブブログ:どんなときに主語を省略できるのか。)
従って、
(03)により、
(04)
ピリオド越え」といふのは、例へば、
① 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
といふ「文」が、「実質的」に、
吾輩は猫である。(吾輩は)名前はまだ無い。
といふ「意味」である。といふ、ことを言ふ。
然るに、
(05)
1 (1)       ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}    A
1 (〃)     あるxは{吾輩であって猫であり、名前は無い)。   A
 2(2)          吾輩a&猫a&~∃y(名前ya)     A
 2(3)          吾輩a                  2&E
 2(4)              猫a               2&E
 2(5)                 ~∃y(名前ya)     2&E
 2(6)             吾輩a&~∃y(名前ya)     35&I
 2(7)          ∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}    6EI
1 (8)          ∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}    127EE
 2(9)          吾輩a&猫a               34&I
 2(ア)       ∃x(吾輩x&猫x)              9EI
1 (イ)       ∃x(吾輩x&猫x)              12アEE
1 (ウ)∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}   8イ&I
1 (〃)あるxは(吾輩であって猫である。)&
     あるxは{吾輩であって(xの名前である所のyは)存在しない。}8イ&I
従って、
(05)により、
(06)
① ∃x{吾輩x&猫x  &       ~∃y(名前yx)}├
  ∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}
といふ「連式」、すなはち、
①{吾輩は猫である。     名前は無い。}故に、
 {吾輩は猫であり}、{吾輩は名前は無い。}
といふ「連式」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
①{吾輩は猫である。     名前は無い。}故に、
 {吾輩は猫であり}、{吾輩は名前は無い。}
といふ「推論」が、「妥当」である。といふことは、
① 吾輩は猫である。     名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(04)~(07)により、
(08)
① 吾輩は猫である。     名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふことは、「ピリオド越え」に、他ならない。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすると、
① ∃x{吾輩x&猫x  &       ~∃y(名前yx)}├
  ∃x(吾輩x&猫x)&∃x{吾輩x&~∃y(名前yx)}
といふ「連式」が「妥当」であるからこそ、
① 吾輩は猫である。     名前は無い。
② 吾輩は猫である。(吾輩は)名前は無い。
に於いて、
① ならば、② である。
といふ「ピリオド越え」が、「実現」する。
然るに、
(10)
EXCERCISES
1 For each of the following formulae, state whether it is a well-formed formula, a propositional function not a well-formed formula, or neither.
練習問題
1 つぎの式のそれぞれについて、それが「論理式であるのか」、または、「論理式ではなくて、命題関数であるのか」、または、「論理式でも、命題関数でも、ないのか」を述べよ。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、187頁改)
(私による)解答:
(a)∀x(Gxa) は、「論理式」である。
(b)∀x(Gya) は、「論理式」でも、「命題関数」でもないため、所謂、「非文」である。
(c)∀x(Gxy) は、「yに関する、命題関数」である。
然るに、
(11)
「Fx」、「(Fy→∀x(Gx))」、「Hxy」のような式は、「縛られていない、変数x」および「縛られていない、変数y」が含まれていることから考えて、「真または偽なる命題」を表現する、「完全な文(complete sentence)」でないことから、われわれの今の定義によって「論理式」とはみなされないのではあるが、以下においては、それらの式に対する呼び名のある方が便利である。われわれは論理学の伝統にしたがって、「命題関数(propositional function)」の名を用いるであろう。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、182頁改)
従って、
(10)(11)
(12)
 「論理式」は「完全な文(complete sentence)」であるが、
「命題関数」は「完全な文(complete sentence)」ではない
然るに、
(13)
完全な文(complete sentence)」ではないのであれば、「(sentence)」ではない
従って、
(12)(13)により、
(14)
「命題関数」は、所謂、「(sentence)」ではない
然るに、
(15)
① ∃x{吾輩x&猫x&~∃y(名前yx)}≡吾輩は猫である。名前は無い。
②           ~∃y(名前yx) ≡名前は無い(xの名前である所のyは存在しない)。
に於いて、
① は「 論理式(文である)」であるが、
② は「命題関数(ない)」である。
従って、
(05)(09)(14)(15)により、
(16)
「述語論理(Predicate logic)」といふ「観点」からすると、
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が「以降の(sentence)の主語」としても働く現象のことだ。
といふ「言ひ方」は、「正しく」はなく
ピリオド越えとは、「Ⅹは」という「主語」が『以降の「命題関数(propositional function)」の主語』としても働く現象のことだ。
といふ「言ひ方」こそが、「正しい」。
令和02年10月12日、毛利太。

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