2020年3月3日火曜日

「ド・モルガンの法則」と「含意の定義」と「漢文の反語」について。

(01)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない
といふことは、
②  Pがであるならば、Qはであり(、Qがであるならば、Pはである)。
といふことである。
然るに、
(02)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない
といふことは、
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない
といふことである。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「日本語」で考へる限り、
①(PとQが、同時に真である)といふことはない。
②  Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
命題計算(Propositional calculus)」の記号で書くと、
① ~(P& Q)
②   P→~Q
③  ~P∨~Q
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1  (1)~(P&Q)  A
 2 (2)  P     A
  3(3)    Q   A
 23(4)  P&Q   23&I
123(5)~(P&Q)&
       (P&Q)  14&I
12 (6)   ~Q   35RAA
1  (7) P→~Q   26CP
(ⅱ)
1  (1) P→~Q   A
 2 (2) P& Q   A
 2 (3) P      2&E
12 (4)   ~Q   13MPP
12 (5)    Q   2&E
12 (6) ~Q&Q   45&I
1  (7)~(P&Q)  26RAA
従って、
(05)により、
(06)
① ~(P& Q)
②   P→~Q
に於いて、
①=② であって、この「等式」を、「含意の定義」といふ。
然るに、
(07)
(ⅰ)
1   (1) ~( P& Q)  A
 2  (2) ~(~P∨~Q)  A
  3 (3)   ~P      A
  3 (4)   ~P∨~Q   3∨I
 23 (5) ~(~P∨~Q)&
         (~P∨~Q)  14&I
 2  (6)  ~~P      35RAA
 2  (7)    P      6DN
   8(8)      ~Q   A
   8(9)   ~P∨~Q   8∨I
 2 8(ア) ~(~P∨~Q)&
         (~P∨~Q)  29&I
 2  (イ)     ~~Q   8アRAA
 2  (ウ)       Q   イDN
 2  (エ)    P& Q   7ウ&I
12  (オ) ~( P& Q)&
         ( P& Q)  2エ&I
1   (カ)~~(~P∨~Q)  2オRAA
1   (キ)   ~P∨~Q   カDN
(ⅲ)
1   (1)   ~P∨~Q   カDN
 2  (2)    P& Q   A
  3 (3)   ~P      A
 2  (4)    P      2&E
 23 (5)   ~P&P    34&I
 2  (6)  ~(P& Q)  25RAA
   7(7)      ~Q   A
 2  (8)       Q   2&E
 2 7(9)    ~Q&Q   78&I
   7(ア)  ~(P& Q)  29RAA
1   (イ)  ~(P& Q)  1367ア∨E
従って、
(07)により、
(08)
① ~(P& Q)
③  ~P∨~Q
に於いて、
①=③ である。
従って、
(09)
① ~(P& Q)
②   P→~Q
③  ~P∨~Q
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)(04)(09)により、
(10)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない
②  Pがであるならば、Qはであり(、Qがであるならば、Pはである)。
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない
に於いて、
①=②=③ である。
といふことは、「日本語」で考へても、「命題計算」で計算しても、両方とも、「正しい」。
然るに、
(11)
① ~(P& Q)
③  ~P∨~Q
に於いて、
①=③ であって、この「等式」を、「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(03)(11)により、
(12)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない
③ PとQの内の、少なくとも一方は、真ではない
に於いて、
①=③ である。といふことを、「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(12)により、
(13)
命題論理」としての「ド・モルガンの法則」は、
集合論 」としての「ド・モルガンの法則」とは異なり、極めて、「当り前」である。
然るに、
(09)(10)により、
(14)
① ~(P& Q)=(PとQが、同時に真である)といふことはない。
②   P→~Q = Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(15)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
③ Q→~P=Qが真であるならば、Pは偽である。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
③ Q→~P=Qが真であるならば、Pは偽である。
に於いて、
② と、
③ は、「同じこと」である。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽であり(、Qが真であるならば、Pは偽である)。
といふ「等式」は、
② P→~Q=Pが真であるならば、Qは偽である。
といふ「等式」と、「同じ」である。
従って、
(14)(17)により、
(18)
① ~(P& Q)=(PとQが、同時に真である)といふことはない
②   P→~Q = Pがであるならば、Qはである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(19)
①(PとQが、同時に真である)といふことはない
② Pがであるならば、Qはである。
といふことは、
①(PであってQであるといふことはない
② Pであるならば、Qではない
といふことに、他ならない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① ~(P& Q)=(PであってQである)といふことはない。
②   P→~Q = Pであるならば、Qではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(21)
④ 學而不思則罔(論語、爲政、十五)。
④ 學&~思→罔(学びて思はざれば則ち罔し)。
がさうでやうに、
「而」は「&」であって、
「不」は「~」であって、
「則」は「→」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① 不(P而 Q)=(PであってQである)といふことはない。
②   P則不Q = Pであるならば、Qではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(23)
P=賈島の才能を愛す。
Q=賈島の薄命を惜しむ。
とする。
従って、
(22)(23)により、
(24)
① 不(P而 Q)=(賈島の才能を愛して、   賈島の薄命を惜しむ。)といふことはない。
②   P則不Q = 賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(25)
②〈反語カBセン [読み]カセンヤ〔ヤ〕
[訳]誰がBしようか、いや誰もBしない。
[例]誰不子乎。[読み]誰か子を愛せざらんや。
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、226頁を参照)。
従って、
(24)(25)により、
(26)
不(P而 Q)=誰か(賈島の才能を愛して、  賈島の薄命を惜しむ。)といふことはない。
②  P則不Q =誰か賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。
といふのは、「反語」であって、
①=② である。
然るに、
(27)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、45頁、1973年)
従って、
(26)(27)により、
(28)
① 誰不(P而 Q)=誰か(賈島の才能を愛して、 賈島の薄命を惜しむ。)  といふことはない。
②   誰P則不Q =(賈島の才能を愛するならば、賈島の薄命を惜しまない。)といふことはない
に於いて、
①=② である。
然るに、
(29)
① 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時、誰不愛其才而惜其命薄=
① 臨死之日、家無一銭、惟病驢古琴而已。当時、誰不其才而惜其命薄
① 臨(死)之日、家無(一銭)、惟病驢古琴而已。当時、誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① (死)臨之日、家(一銭)無、惟病驢古琴而已。当時、誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① (死に)臨むの日、家に(一銭)無く、惟だ病驢古琴のみ。当時、誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
従って、
(23)(28)(29)により、
(30)
誰不其才而惜其命薄
① 誰不〔愛(其才)而惜(其命薄)〕⇒
① 誰〔(其才)愛而(其命薄)惜〕不=
① 誰か〔(其の才を)愛して(其の命の薄きを)惜しま〕ざらんや。
といふ「漢文・訓読」は、
② 誰P則不Q=(賈島の才能を愛するならば、誰もが、賈島の薄命を惜しまない。)といふことはない。
といふ「意味」になる。
従って、
(23)(30)により、
(31)
P=愛(其才) =賈島の才能を愛す。
Q=惜(其命薄)=賈島の薄命を惜しむ。
であるとして、
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
② 誰P則不Q=賈島の才能を愛する者は、誰もが、賈島の薄命を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(32)
賈 島(か とう、779年(大暦14年) - 843年8月27日(会昌3年7月28日))は、中国・唐の詩人。字は浪仙、または閬仙。幽州范陽県(現在の河北省保定市涿州市)の出身である。
(ウィキペディア)
従って、
(32)により、
(33)
賈 島 は、63歳か、64歳のときに、死んだので、当時としては、「短命」であるとは言へない。
然るに、
(34)
薄命】天から與へられた命の薄いこと。宿命の拙いこと。ふしあわせ。不運。薄福薄倖
(大修館、大漢和辞典)
従って、
(33)(34)により、
(35)
賈島 は、「薄」といふよりも、むしろ、「薄」である。
従って、
(29)~(35)により、
(36)
P=愛(其才) =賈島の才能を愛す。
Q=惜(其命薄)=賈島の薄命を惜しむ。
であるとして、
① 誰不愛其才而惜其命薄。
といふ「漢文」は、
② 誰P則不Q=賈島の才能を愛する者は、誰もが、賈島の薄幸を惜しむ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(37)
「最近の記事」にも書いた通り、例へば、「計算(07)」は、
(ⅰ)
1   (1) 不( P而 Q)  A
 2  (2) 不(不P如不Q)  A
  3 (3)   不P      A
  3 (4)   不P如不Q   3如I
 23 (5) 不(不P如不Q)而
         (不P如不Q)  14而I
 2  (6)  不不P      35RAA
 2  (7)    P      6DN
   8(8)      不Q   A
   8(9)   不P如不Q   8如I
 2 8(ア) 不(不P如不Q)而
         (不P如不Q)  29而I
 2  (イ)     不不Q   8アRAA
 2  (ウ)       Q   イDN
 2  (エ)    P而 Q   7ウ而I
12  (オ) 不( P而 Q)而
         ( P而 Q)  2エ而I
1   (カ)不不(不P如不Q)  2オRAA
1   (キ)   不P如不Q   カDN
(ⅲ)
1   (1)   不P如不Q   カDN
 2  (2)    P而 Q   A
  3 (3)   不P      A
 2  (4)    P      2而E
 23 (5)   不P而P    34而I
 2  (6)  不(P而 Q)  25RAA
   7(7)      不Q   A
 2  (8)       Q   2而E
 2 7(9)    不Q而Q   78而I
   7(ア)  不(P而 Q)  29RAA
1   (イ)  不(P而 Q)  1367ア如E
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(37)により、
(38)
漢文」といふ「集合」は、その「部分集合」として、「命題論理(Propositional logic)」を含んでゐる。
従って、
(01)~(38)により、
(39)
命題論理(Propositional logic)」は、「目に見える形」で、「漢文文法」の「一部」である。
然るに、
(40)
ラテン語であっても、「命題論理(Propositional logic)の規則」に従はないわけには、行かない。
然るに、
(41)
「漢文」も「命題論理」も、「語順」は「自由ではない
然るに、
(42)
 ラテン語は語順が自由
「ラテン語は語順が自由」と言われます。具体例をみてみましょう。
 Cultūra animī philosophia.はどう訳すか?
(cultūra,-ae f.耕作、耕すこと animus,-ī m.精神 philosophia,-ae f.哲学)
動詞estが省かれていて、主格が2つ、属格が1つあります。「主格Aは主格Bである(est)」というのが文の骨組みです。英語でいえばSVCの構文です。「Cultūraはphilosophiaである」としても、その逆でも文法的にはどちらでも構いません。問題はむしろanimīをどちらの名詞にかけるか?です。文法的にはどちらにかけても間違いではありません。
(山下太郎のラテン語入門)
従って、
(41)(42)により、
(43)
語順が自由でない」といふ点に於いて、 「漢文」 は「命題論理」の「仲間」であって、
語順が自由である」といふ点に於いて、「ラテン語」は「命題論理」の「仲間」ではない
令和02年03月03日、毛利太。

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