(01)
Pater =父は(主格)
dat =与へる(三単現)
filio =息子に(与格)
librum=本を(対格)
である。
従って、
(01)により、
(02)
① Pater dat(filo librum).
に於いて、
dat( )⇒( )dat
といふ「移動」を行ふと、
① Pater dat(filo librum)⇒
① Pater(filo librum)dat =
① 父は (息子に本を)与へる。
といふ「語順」になる。
然るに、
(03)
① Pater dat(filo librum).
から、
① Pater
を除いても、
① dat(filo librum).
は、「ラテン語」として「正しい」ものの、
① Pater dat(filo librum).
から、
① dat
を除いた、
① Pater (filo librum).
は、「ラテン語」として「正しく」ない。
然るに、
(04)
同様なことは、
① 父与(息子本)。
といふ「漢文」に於いても、さうである。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① Pater dat(filo librum).
① 父与(息子本)。
の場合は、両方とも、
① Pater
① 父
といふ「語」ではなく、
① dat
① 与
といふ「語」が、
①(filo librum).
①(息子本)。
といふ「2つの語」に係ってゐる。
然るに、
(06)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(06)により、
(07)
管到というのは「(横書きであれば)左の語が、右のことばのどこまでかかるか」ということである。
従って、
(05)(07)により、
(08)
① Pater dat(filo librum).
① 父与(息子本)。
の場合は、両方とも、
① dat
① 与
といふ「語」が、
①(filo librum).
①(息子本)。
といふ「2つの語」に「管到」してゐる。
従って、
(09)
① dat(filo librum).
① 与(息子本)。
に於ける、
①( )
①( )
といふ「括弧」は、「管到」を表してゐる。
然るに、
(10)
「漢文」とは異なり、「ラテン語」の場合は、例へば、
② Filio dat librum pater.
であっても、「その語順」ではなく、「その語形」から、
② 父は息子に本を与へる。
といふ「意味」である。。
然るに、
(11)
② Filio(dat[librum〔pater)〕].
に於いて、
Filio( )⇒( )Filio
dat[ ]⇒[ ]dat
librum〔 〕⇒〔 〕librum
といふ「移動」を行ふと、
② Filio(dat[librum〔pater)〕]⇒
② ([〔pater)Filio〕librum]dat=
② ([〔父は)息子に〕本を]与へる。
といふ「語順」になる。
従って、
(11)により、
(12)
② 息子(与[本〔父)〕].
に於いて、
息子( )⇒( )息子
与[ ]⇒[ ]与
本〔 〕⇒〔 〕本
といふ「移動」を行ふと、
② 息子(与[本〔父)〕]⇒
② ([〔父)息子〕本]与=
② ([〔父は)息子に〕本を]与へる。
といふ「語順」になる。
然るに、
(13)
①( )
①( )
は「括弧」であるが、
②([〔 )〕]
は「括弧」ではない。
加へて、
(14)
② 息子与本於父。
といふ「語順」が有って、この場合は。
② 息子与〔本於(父)〕⇒
② 息子は〔本を(父)に〕与へる。
といふ「意味」である。
従って、
(01)~(14)により、
(15)
① Pater dat filo librum.
といふ「ラテン語」の「管到」は、「括弧」で表すことが出来ても、
② Filio dat librum pater.
といふ「ラテン語」の「管到」は、「括弧」で表すことが出来ない。
然るに、
(16)
「漢文」の場合は、「ラテン語」とは異なり、
① 父は(息子に本を)与へる。
といふ「意味」を表す「語順」は、
① 父与(息子本)。
といふ「語順」しか無い。
従って、
(15)(16)により、
(17)
「漢文の語順」と「日本語の語順」の「関係」は、
「ラテン語の語順」と「日本語の語順」の「関係」と、「同じ」ではない。
令和02年03月21日、毛利太。
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