2019年9月10日火曜日

三上章先生 は、気付いてゐない(Ⅱ)。

― しばらく、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他」を、お読み下さい。―

(01)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 私理事長です。
理事長は私です。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(03)
理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、両者は、固より、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(03)により、
(04)
理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
②=③ である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 私理事長です。
理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(05)により、
(06)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
従って、
(06)により、
(07)
① これいいです。
② これは良く、これ以外は(相対的に)良くない
に於いて、
①=② である。
従って、
(08)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
① これいいです。
とは言はずに、
① これいいです。
と言ふのであれば、
② これは良く、これ以外は(相対的に)良くない
といふ「意味」になる。
然るに、
(09)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
② これは良く、これ以外は(相対的に)良くない
と言ふのであれば、必然的に、
② これ欲しい(これを下さい)。
といふ「意志表示」に、ならざるを得ない。
然るに、
(10)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
 これいいです。(不用)
 これいいです。(用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型異議になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
① これいいです。
と言ふのであれば、
② これは良く、これ以外は(相対的に)良くない
といふ「意味」になる。
といふことは、三上先生も、認められてゐる。
然るに、
(12)
① 私は理事長です。
② 私理事長です。
に於いて、
① 私は(清音)
② 私音)
である。
然るに、
(13)
音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 私は(清音)
② 私音)
に於いて、
① の「(心理的な)音量」よりも、
② の「(心理的な)音量」の方が、「大きい」。
従って、
(14)により、
(15)
① 私は理事長です。
② 私理事長です。
に於いて、
① 私は(清音)に対する、
② 私音)は、「強調形」である。
然るに、
(16)
 私理事長です。(理事長は私です)
のように、ガの文がいわばハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。このような「私強声的になっていると言うことにする。そこに発音上のストレスを与えたのと似た効果を持っているからである。
(三上章、日本語の論理、1963年、106頁)
従って、
(16)により、
(17)
① 私は(清音)に対する、
② 私音)は、「強調形(強声的)」である。
といふことは、三上先生も、認められてゐる。
然るに、
(18)
例へば、
① これを下さい。
と言ふ際に、
① これを
を「強調強く発音)」するならば、
①(これ以外要らないので、)これを下さい。
といふ「意味」になる。
従って、
(15)~(18)により、
(19)
① これ_いいです。
と言ふ際に、
① これ_
を「強調強く発音)」するならば、
①(これ以外要らないので、)これを下さい。
といふ「意味」になる。
従って、
(19)により、
(20)
① 私_理事長です。
と言ふ際に、
① 私_
を「強調強く発音)」するならば、
②(私以外は理事長ではなく、)理事長は私です。
といふ「意味」になる。
従って、
(06)(15)(16)(20)により、
(21)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
ところの「理由」は、
① 私は(清音)に対する、
② 私音)が、「強調形(強声的)」である。
からである。
然るに、
(01)(16)により、
(22)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
ところの「理由」が、
① 私は(清音)に対する、
② 私音)が、「強調形(強声的)」である。
からである。
といふことに、三上章先生は、気付いては、ゐない
(23)
(ⅰ)
① AはBであり、A以外はBではない
といふ「命題」を、「排他的命題(exclusive propotison)」と言ふ。
然るに、
(ⅱ)
強調形」は、「排他的命題」を主張する。
然るに、
(ⅲ)
① 私理事長です。
に於ける、
① 私音)は、
① 私は(清音)に、対する「強調形」である。
従って、
(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)により、
(ⅳ)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
といふ、そのことに、三上章先生は、気付いては、ゐない
令和元年09月10日、毛利太。

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