2022年5月24日火曜日

「同一律」と「ド・モルガンの法則」と「排中律」と「対偶」。

(01)
(ⅰ)
1  (1)  P→ Q   A
 2 (2)  P&~Q   A
 2 (3)  P      2&E
12 (4)     Q   13MPP
 2 (5)    ~Q   2&E
12 (6)  Q&~Q   45&I
1  (7)~(P&~Q)  26RAA
(ⅱ)
1  (1)~(P&~Q)  A
 2 (2)  P      A
  3(3)    ~Q   A
 23(4)  P&~Q   23&I
123(5)~(P&~Q)&
       (P&~Q)  14&I
12 (6)   ~~Q   35RAA
12 (7)     Q   6DN
1  (8)  P→ Q   27CP
(02)
(ⅱ)
1   (1) ~(P&~Q)  A
 2  (2) ~(~P∨Q)  A
  3 (3)   ~P     A
  3 (4)   ~P∨Q   3∨I
 23 (5) ~(~P∨Q)&
         (~P∨Q)  24&I
 2  (6)  ~~P     3RAA
 2  (7)    P     6DN
   8(8)      Q   A
   8(9)   ~P∨Q   8∨I
 2 8(ア) ~(~P∨Q)&
         (~P∨Q)  19&I
 2  (イ)     ~Q   8アRAA
 2  (ウ)   P&~Q   8イ&I
12  (エ) ~(P&~Q)&
         (P&~Q)  1ウ&I
1   (オ)~~(~P∨Q)  2エRAA
1   (カ)   ~P∨Q   オDN
(ⅲ)
1   (1) ~P∨ Q  A
 2  (2)  P&~Q  A
  3 (3) ~P     A
 2  (4)  P     2&E
 23 (5) ~P&P   34&I
  3 (6)~(P&~Q) 25RAA
   7(7)     Q  A
 2  (8)    ~Q  2&E
 2 7(9)  Q&~Q  78&I
   7(ア)~(P&~Q) 29RAA
1   (イ)~(P&~Q) 1367ア
従って、
(03)
①     P→ Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨ Q
に於いて、
①=② であって、
②=③ である(ド・モルガンの法則)。
従って、
(03)により、
(04)
①   P→ Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨ Q
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(04)により、
(05)
①   P→ Q
② ~(P&~Q)
③ ~P∨ Q
に於いて、
Q=P
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
①   P→ P
② ~(P&~P)
③ ~P∨ P
に於いて、
①=②=③ であって、
① は「同一律」であって、
② は「矛盾律」であって、
③ は「排中律」である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① PならばPである。
といふ「同一律」が、「恒真式(トートロジー)」であって、
その上、「ド・モルガンの法則」が「成り立つ」が故に、
③ Pでないか、または、Pである。
といふ「排中律」は、「恒真式(トートロジー)」である。
従って、
(06)により、
(07)
排中律(はいちゅうりつ、英: Law of excluded middle、仏: Principe du tiers exclu)とは、論理学において、任意の命題 P に対し"P ∨ ~P"(P であるか、または P でない)が成り立つことを主張する法則である。これは、論理の古典的体系では基本的な属性であり、同一律、無矛盾律とともに、(古典的な)思考の三原則のひとつに数えられる。しかし、論理体系によっては若干異なる法則となっている場合もあり、場合によっては排中律が全く成り立たないこともある(例えば直観論理)[1][2](ウィキペディア)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「直観論理」の場合は、
① PならばPである(同一律)。
③ Pであるか、または、Pでない(排中律)。
に於いて、
① は、「恒真式(トートロジー)」であるが、
③ は、「恒真式(トートロジー)」ではない。
といふことになる。
然るに、
(09)
(ⅰ)
1  (1) P→ Q A
 2 (2)   ~Q A
  3(3) P    A
1 3(4)    Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 23&I
12 (6)~P    35RAA
1  (7)~Q→~P 26CP
(ⅱ)
1  (1) ~Q→~P A
 2 (2)     P A
  3(3) ~Q    A
1 3(4)    ~P 13MPP
123(5)  P&~P 24&I
12 (6)~~Q    35DN
12 (7)  Q    9DN
1  (8)  P→ Q 27CP
従って、
(09)により、
(10)
①  P→ Q(Pであるならば、Qである)。
② ~Q→~P(Qでないならば、Pでない)。
に於いて、
①=② は、「対偶」である。
従って、
(10)
①  P→ Q(Pであるならば、Qである)。
② ~Q→~P(Qでないならば、Pでない)。
に於いて、
Q=P
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
①  P→ P(Pであるならば、Pである)。
② ~P→~P(Pでないならば、Pでない)。
に於いて、
①=② は、「対偶」である。
従って、
(05)(10)により、
(11)
①  P→ P(Pであるならば、Pである)。
といふ「同一律」が「真」であるといふことは、
② ~P→~P(Pでないならば、Pでない)。
といふ「 命題 」といふ「命題」も「真」である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(12)
① Pであるならば、Pである(同一律)。
② Pでないならば、Pでない(同一律の対偶)。
③ Pであるか、または、Pでない(排中律)。
に於いて、
① が「真」であって、
② も「真」であるならば、
③ も「真」であると、言はざるを得ない。
従って、
(13)
(07)(12)により、
(13)
「直観論理」が、「正しい」とするならば、
① Pであるならば、Pである(同一律)。
② Pでないならば、Pでない(同一律の対偶)。
は、「真」ではなく、「偽」である。
然るに、
(14)
「直観論理」であっても、
① Pであるならば、Pである(同一律)。
② Pでないならば、Pでない(同一律の対偶)。
は、「真」であると、認めてゐると、思はれる。
(15)
③ Pでないか、または、Pである(同一律)。
に於いて、
P=直観論理は正しい。
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
③ 直観論理は正しくないか、または、直観論理は正しい。
といふ「命題」になる。
然るに、
(16)
「直観論理」からすれば、
③ 直観論理は正しくないか、または、直観論理は正しい。
といふ「命題」は、「偽」であるに、違ひない。
然るに、
(17)
ブラウワーは「AであるかAでないかが分からない場合もある」を説明する例として、「円周率の無限小数の中に0が100個続く部分があるかどうか分からない」というものをあげていた。
あるとき、ブラウワーがこの話をしたとき、「しかし神なら100個続く部分があるかどうか分かるのでは?」という質問を受けたが、 ブラウワーはそれに対し「残念ながら我々は神と交信する方法を知りません」と答えた(ウィキペディア)。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「排中律」を認めない、ブラウワーが、
③ 直観論理は正しくないか、または、直観論理は正しい。
といふことを論じてゐたとするならば、そのことは、『矛盾』であると、言はざるを得ない(?)。
令和04年05月24日、毛利太。
 

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