(01)
F=象
G=動物
として、
① ∀x(Fx→Gx)
② 象は動物である。
③ 象について言えば、象は動物である。
④ 象であるならば、それは動物である。
⑤ すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物である。
に於いて、
①=②=③=④=⑤ である。
然るに、
(02)
「象ハ鼻ガ長イ」の「象ハ」は主語ではない。「象について言えば」と話題を提示しているのである。
(三上章『象は鼻が長い』 大澤真幸が読む - 朝日新聞 ...)
従って、
(01)(02)により、
(03)
② 象は動物である。
③ 象について言えば、象は動物である。
に於いて、
②=③ であるが故に、
② 象は は、「主語」ではない。
然るに、
(04)
F=Elephants
G=animals
であるとして、
① ∀x(Fx→Gx)
② Elephants are animals.
③ Speaking of elephants, they are animals.
④ If they are elepahnts, then they are animals.
⑤ For any x, if x is an elephant, then x is an animal.
に於いて、
①=②=③=④=⑤ である。
従って、
(02)(04)により、
(05)
② Elephants are animals.
③ Speaking of elephants, they are animals.
に於いて、
②=③ であるが故に、
② Elephants は、「主語」ではない。
然るに、
(06)
『少年少女のための論理学』は、主語と述語について、「日本人は東洋人だ」「太郎は正直者だ」などを例として、
ふつうの言い方では、主語がさすもののはんいのほうがせまく、述語のさすもののほうが広く、主語は述語にふくまれ、述語は主語をふくむ、というようなぐあいに、主語と述語をきめるのです。このような文法上の言い方の規則は、世界のひじょうに多くのことばに、共通な特ちょうで、日本語をはじめ、英語でもフランス語でもロシア語でも中国語でも同じことです。
(三上章、日本語の論理、1963年、179頁)
従って、
(06)により、
(07)
F=日本人
G=東洋人
であるとして、
① ∀x(Fx→Gx)
② 日本人は東洋人である(日本人者東洋人也)。
③ すべてのxについて、xが日本人であるならば、xは東洋人である。
に於いて、
② 日本人 は、「主語」である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
① 象は動物である。 ⇔
① ∀x(象x→動物x)⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、xは動物である。
に於ける、
① 象は は、「三上文法」からすれば、「主語」ではないが、
① 象は は、「論理学的」には、「主語」である。
然るに、
(09)
「逆は必ずしも真ではない」といことは、
「逆には、真である場合と、真ではない場合がある」といふことに、他ならない。
従って、
(06)(09)により、
(10)
「ふつうの言い方では、主語がさすものの範囲の方が狭く、述語のさすもの方が広く、主語は述語に含まれ、述語は主語を含む、というようなぐあいに、主語と述語を決めるのです。」
とするならば、
① 東京は日本の首都である(日本の首都は東京である)。
のやうな、
① AはBである(BはAである)。
に於ける、
① Aは は、「主語」ではない。
といふことになる。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1(1)∀x{(Ax→Bx)&(Bx→Ax)} A
1(2) (Aa→Ba)&(Ba→Aa) 1UE
1(3) (Aa→Ba) 2&E
1(4) (Ba→Aa) 2&E
1(5) ~Ba∨Aa 4含意の定義
1(6) Aa∨~Ba 5交換法則
1(7) ~(~Aa&Ba) 6ド・モルガンの法則
1(8) ∀x~(~Ax&Bx) 7UI
1(9) ~∃x(~Ax&Bx) 8量化子の関係
1(ア)∀x(Ax→Bx) 3UI
1(イ)∀x(Ax→Bx)&~∃x(~Ax&Bx) 89&I
(ⅱ)
1(1)∀x(Ax→Bx)&~∃x(~Ax&Bx) A
1(2)∀x(Ax→Bx) 1&E
1(3) Aa→Ba 2EI
1(4) ~∃x(~Ax&Bx) 1&E
1(5) ∀x~(~Ax&Bx) 4量化子の関係
1(6) ~(~Aa&Ba) 5UE
1(7) Aa∨~Ba 6ド・モルガンの法則
1(8) ~Ba∨Aa 7交換法則
1(9) Ba→Aa 8含意の定義
1(ア) (Aa→Ba)&(Ba→Aa) 39&I
1(イ)∀x{(Ax→Bx)&(Bx→Ax)} アUI
従って、
(11)により、
(12)
① ∀x{(Ax→Bx)&(Bx→Ax)}
② ∀x(Ax→Bx)&~∃x(~Ax&Bx)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて、xがAであるならば、xはBであり、xがBであるならば、xはAである。
② すべてのxについて、xがAであるならば、xはBであり、A以外のxで、Bであるxは存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① AはBであり(、BはAである)。
② AはBであり(、A以外はBでない)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(14)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(14)により、
(15)
① 私は理事長であり(、理事長は私である)。
② 私は理事長であり(、私以外は理事長でない)。
③ 私が理事長である。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① AはBであり(、BはAである)。
② AはBであり(、A以外はBでない)。
② AがBである。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(17)
① AはBであり(、BはAである)。
② AはBであり(、A以外はBでない)。
といふ場合をも含めて、「主語」といふものを考へるのであれば、
③ AがBである。
に於ける、
③ Aが もまた、「主語」である。
といふ風に、しなければならない。
従って、
(10)(17)により、
(18)
① 東京は日本の首都である(日本の首都は東京である)。
② 東京は日本の首都である(東京以外は日本の首都ではない)。
③ 東京が日本の首都である。
に於ける、
③ 東京が を、「主語」ではないと、するならば、
① 東京は も、「主語」ではないと、せざるを得ない。
然るに、
(19)
① 東京は都市である。
③ 東京が日本の首都である。
に対しては、
① 東京 is a 都市.
③ 東京 is the 首都 of 日本.
である。
従って、
(02)(18)(19)により、
(20)
「~は」は「主語」ではないとした上で、
① 東京は都市である。
③ 東京が日本の首都である。
といふ「日本語」と「比較」する限り、
① Tokyo is a city.
③ Tokyo is the capital of Japan.
に於ける、
① Tokyo
③ Tokyo
は、両方とも、「主語」ではない。
然るに、
(21)
① Tokyo is a city.
③ Tokyo is the capital of Japan.
に於ける、
① Tokyo
③ Tokyo
は、両方とも、「普通」は、「主語」といふ。
令和04年05月31日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿