2019年5月5日日曜日

「排他的論理和」と「双条件法」は「矛盾」であるのに、「同じ」になる。

―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
出典 三省堂大辞林 第三版について 情報
精選版 日本国語大辞典の解説
はいたてき‐ろんりわ【排他的論理和】
〘名〙 論理和(「または」)の解釈の一つ。二つの命題から成る複合命題「AまたはB」が真となるのはAとBのどちらか一方だけが真であるときとする。日常の「または」もこの解釈をとる場合が多い。
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→Q)
(〃)(PならばQでなく)&(PでないならばQである)。
に於いて、
(ⅰ)は「排他的論理和」である。
然るに、
(03)
1   (1)  (P→~Q)&(~P→ Q)   A
 2  (2)  (P→ Q)&(~P→~Q)   A
1   (3)   P→~Q            1&E
 2  (4)   P→ Q            2&E
1   (5)          ~P→ Q    1&E
 2  (6)          ~P→~Q    1&E
    (7)   P∨~P            排中律
  8 (8)   P               A
1 8 (9)     ~Q            38MPP
 28 (ア)      Q            48MPP
128 (イ)   ~Q&Q            9ア&I
1 8 (ウ)~{(P→ Q)&(~P→~Q)}  1イRAA
   エ(エ)     ~P            A
1  エ(オ)              Q    5エMPP
 2 エ(カ)             ~Q    6エMPP
12 エ(キ)           Q&~Q    オカ&I
1  エ(ク)~{(P→ Q)&(~P→~Q)}  2キRAA
1   (ケ)~{(P→ Q)&(~P→~Q)}  78ウエク∨E
12  (コ) {(P→ Q)&(~P→~Q)}&
       ~{(P→ Q)&(~P→~Q)}  2ケ&I
 2  (サ)~{(P→~Q)&(~P→ Q)}  1コRAA
従って、
(03)により、
(04)
(1)(P→~Q)&(~P→ Q)
(2)(P→ Q)&(~P→~Q)
に於いて、
(1)を「仮定」し、
(2)を「仮定」すると、
(7)の「排中律」によって、
(1)は「否定」される。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→ Q)
(ⅱ)(P→ Q)&(~P→~Q)
に於いて、
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「矛盾」する。
然るに、
(06)
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→ Q)
(ⅱ)(P→ R)&(~P→~R)
に於いて、
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「矛盾」しない
然るに、
(07)
 P=奇数である。
~P=奇数ではない=偶数である。
 Q=2の倍数である。
~Q=2の倍数でない。
 R=2の倍数でない。
~R=2の倍数でない。ではない=2の倍数である。
であるとする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→ Q)
(ⅱ)(P→ R)&(~P→~R)
に於いて、
(ⅰ)(奇数である→2の倍数でない。)&(奇数でない→2の倍数である。)
(ⅱ)(奇数である→2の倍数でない。)&(奇数でない→2の倍数である。)
である。
従って、
(08)により、
(09)
「当然」ではあるものの、
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→ Q)
(ⅱ)(P→ R)&(~P→~R)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) とすることが、「可能」である。
従って、
(01)(08)(09)により、
(10)
(ⅰ)奇数であるか、または、2の倍数である。
(ⅱ)奇数であるならば2の倍数でなく、奇数でないならば2の倍数である。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(11)
(ⅱ)
1 (1)(P→R)&(~P→~R) A
1 (2) P→R          1&E
1 (3)       ~P→~R  1&E
 4(4)           R  A
 4(5)         ~~R  4DN
14(6)      ~~P     35MTT
14(7)        P     6DN
1 (8)        R→ P  47CP
1 (9)(P→R)&( R→ P) 28&I
(ⅲ)
1 (1)(P→R)&( R→ P) A
1 (2) P→R          1&E
1 (3)        R→ P  1&E
 4(4)          ~P  A
14(5)       ~R     34MTT
1 (6)       ~P→~R  45CP
1 (7)(P→R)&(~P→~R) 16&I
従って、
(11)により、
(12)
(ⅱ)(P→R)&(~P→~R)
(ⅲ)(P→R)&( R→ P)
に於いて、
(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(09)(12)により、
(13)
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→ Q)
(ⅱ)(P→ R)&(~P→~R)
(ⅲ)(P→ R)&( R→ P)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(09)(10)(13)により、
(14)
(ⅰ)奇数であるか、または、2の倍数である。
(ⅱ)奇数であるならば2の倍数でなく、奇数でないならば2の倍数である。
(ⅲ)奇数であるならば2の倍数でなく、2の倍数でないならば奇数である。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(14)により、
(15)
(ⅰ)明日は晴であるか、または、釣りに行かない。
(ⅱ)明日が晴であるならば釣りに行き、明日が雨であるならば釣りに行かない。
(ⅲ)明日が晴であるならば釣りに行き、釣りに行くのであれば明日は晴である。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
然るに、
(01)により、
(16)
もう一度、確認すると、
排他的論理和」とは、二つの命題から成る複合命題「PまたはQ」が真となるのはPとQのどちらか一方だけが真であるときとする。日常の「または」もこの解釈をとる場合が多い。
従って、
(15)(16)により、
(17)
(ⅰ)P=明日は晴であるか、または、Q=釣りに行かない。
に於いて、
(ⅱ)Pが「」であるならば、Qは「」である。
然るに、
(18)
(ⅱ)Q=釣りに行かない。が「偽」であるといふことは、~Q=釣りに行く。が「真」である。
従って、
(17)(18)により、
(19)
(ⅰ)P=明日は晴であるか、または、Q=釣りに行かない。
に於いて、
(ⅱ)P=明日は晴である。が「」であるならば、~Q=釣りに行く。が「」である。
然るに、
(16)により、
(20)
(ⅰ)P=明日は晴であるか、または、Q=釣りに行かない。
に於いて、
(ⅲ)Qが「真」であるならば、Pは「偽」である。
然るに、
(21)
(ⅲ)P=明日は晴である。が「偽」であるといふことは、~P=明日は雨である。が「真」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
(ⅰ)P=明日は晴であるか、または、Q=釣りに行かない。
に於いて、
(ⅲ)Q=釣りに行かない。が「」であるならば、~P=明日は雨である。が「」である。
従って、
(19)(22)により、
(23)
(ⅰ)P=明日は晴であるか、または、Q=釣りに行かない。
に於いて、
(ⅱ)P=明日は晴である。が「」であるならば、~Q=釣りに行く。が「」であり、
(ⅲ)Q=釣りに行かない。が「」であるならば、~P=明日は雨である。が「」である。
従って、
(15)(16)(23)により、
(24)
日常の「または」もこの解釈(排他的論理和)をとる場合が多い。
といふことからすれば、
(ⅰ)明日は晴であるか、または、釣りに行かない。
(ⅱ)明日が晴であるならば釣りに行き、明日が雨であるならば釣りに行かない。
(ⅲ)明日が晴であるならば釣りに行き、釣りに行くのであれば明日は晴である。
に於いて、確かに、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
然るに、
(25)
(ⅱ)明日が晴であるならば釣りに行き、明日が雨であるならば釣りに行かない。
といふ場合に、敢へて
(ⅰ)明日は晴であるか、または、釣りに行かない。
などといふ人間はゐない
従って、
(24)(25)により、
(26)
日常の「または」もこの解釈(排他的論理和)をとる場合が多い。
かどうかは、「疑はしい(?)」。
然るに、
(02)(05)により、
(27)
もう一度、確認すると、
(ⅰ)(P→~Q)&(~P→ Q)
(ⅱ)(P→ Q)&(~P→~Q)
に於いて、すなはち、
(ⅰ)明日は晴であるか、または、釣りに行かない。
(ⅱ)明日が晴であるならば釣りに行き、明日が雨であるならば釣りに行かない。
に於いて、
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「矛盾」する。
従って、
(24)(27)により、
(28)
(ⅰ)明日は晴であるか、または、釣りに行かない。
(ⅱ)明日が晴であるならば釣りに行き、明日が雨であるならば釣りに行かない。
に於いて、
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「矛盾」するにも拘らず、
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「同じ」である。
然るに、
(29)
べんしょうほう
【弁証法】
物の考え方の一つの型。形式論理学が、「AはAである」という同一律を基本に置き、「AでありかつAでない」という矛盾が起こればそれはだとするのに対し、矛盾だとは決めつけず、物の対立・矛盾を通して、その統一により一層高い境地に進むという、運動・発展の姿において考える見方。図式的に表せば、定立(「正」「自」とも言う)Aに対しその(自己)否定たる反立(「反」「アンチテーゼ」とも言う)非Aが起こり、この否定・矛盾を通して更に高い立場たる総合(「合」「ジンテーゼ」とも言う)に移る。この総合作用を「アウフヘーベン」(「止揚」「揚棄」と訳す)と言う。
▷ 起源はギリシア dialektikē (=対話)(グーグルで、弁証法で、検索)。
従って、
(28)(29)により、
(30)
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「矛盾」するにも拘らず、
(ⅰ)と、
(ⅱ)は「同じ」である。
といふことから、何となく、「弁証法」といふ「用語」を「想起」させるものの、「(01)~(28)」と、「弁証法」とは、「無関係」であるに、違ひない。
(31)
「AでありかつAでない」という矛盾が起こればそれは偽だとするのに対し、矛盾だとは決めつけない
といふのであれば、「弁証法」は、「論理学否定」である。
従って、
(32)
弁証法的論理学(読み)ベンショウホウテキロンリガク
デジタル大辞泉の解説
べんしょうほうてき‐ろんりがく〔ベンシヨウハフテキ‐〕【弁証法的論理学】
《〈ドイツ〉dialektische Logik》形式論理学に対し、ヘーゲルおよびマルクス主義における論理学。客観的実在および思考の弁証法的な運動・発展の法則を対象とする。
従って、
(31)(32)により、
(33)
弁証法的論理学」は、「論理学の否定」である。
令和元年05月05日、毛利太。

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