2019年5月14日火曜日

師の説(韓愈)の「述語論理」。

―「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。今となっては、どのやうなことを書いて、どのやうなことを書かなかったのか、ハッキリとは、覚えてはゐません。―

(01)
弟子不必不如師=
弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
弟子[必〔(師)如〕不]不=
弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず=
弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
(02)
(α)
1 (1)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} A
1 (2)∃x~{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)} 1量化子の関係
1 (3)∃x~{~弟子x∨∃y(師yx&~如xy)} 2含意の定義
 4(4)  ~{~弟子a∨∃y(師ya&~如ay)} A
 4(5)    弟子a&~∃y(師ya&~如ay)  4ド・モルガンの法則
 4(6)    弟子a                5&E
 4(7)        ~∃y(師ya&~如ay)  5&E
 4(8)        ∀y~(師ya&~如ay)  6量化子の関係
 4(9)          ~(師ba&~如ab)  7UE
 4(ア)           ~師ba∨ 如ab   8ド・モルガンの法則
 4(イ)            師ba→ 如ab   9含意の定義
 4(ウ)         ∃y(師ya→ 如ay)  イEI
 4(エ)    弟子a& ∃y(師ya→ 如ay)  5ウ&I
 4(オ) ∃x{弟子x& ∃y(師yx→ 如xy)} エEI
1 (カ) ∃x{弟子x& ∃y(師yx→ 如xy)} 34オEE
  1 (〃)あるxは弟子であり、あるyがxの師であるならば、xはyに及んでゐる。
1 (〃)師に劣らない弟子が存在する。
(β)
1  (1)  ∃x{弟子x&∃y(師yx→  如xy)} A
 2 (2)     弟子a&∃y(師ya→  如ay)} A
 2 (3)     弟子a                2&E
 2 (4)         ∃y(師ya→  如ay)  2&E
  5(5)            師ba→  如ab   A
  5(6)           ~師ba∨  如ab   5含意の定義
 25(7)     弟子a& (~師ba∨  如ab)  36&I
 25(8)  ~~{弟子a& (~師ba∨  如ab)} 7DN
 25(9)  ~{~弟子a∨~(~師ba∨  如ab)} 8ド・モルガンの法則
 25(ア)   ~{~弟子a∨(~~師ba&~如ab)} 9ド・モルガンの法則
 25(イ)   ~{~弟子a∨(  師ba&~如ab)} アDN
 25(ウ)   ~{弟子a→(  師ba&~如ab)}  イ含意の定義
 25(エ)   ~{弟子a→(∃y師ya&~如ay)}  ウEI
 2 (オ)   ~{弟子a→(∃y師ya&~如ay)}  45エEE
 2 (カ) ∃x~{弟子x→(∃y師yx&~如xy)}  オEI
1  (キ) ∃x~{弟子x→(∃y師yx&~如xy)}  12カEE
1  (ク)~∀x{弟子x→ ∃y(師yx&~如xy)}  キ量化子の関係
1  (〃)すべてのxについて、xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない。
1  (〃)弟子に及ばない師がゐる。
従って、
(02)により、
(03)
(α)~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)} 
(β) ∃x{弟子x&∃y(師yx→ 如xy)}
に於いて、
(α)=(β) である。
従って、
(03)により、
(04)
「弟子」と「師」を「交換」した、
(α)~∀x{師x→∃y(弟子yx&~如xy)} 
(β) ∃x{師x&∃y(弟子yx→ 如xy)}
に於いても、
(α)=(β) である。
従って、
(04)により、
(05)
「二重否定」により、
(α)~∀x{師x→∃y(弟子yx& ~如xy)} 
(β) ∃x{師x&∃y(弟子yx→~~如xy)}
に於いても、
(α)=(β) である。は、マチガイです。
従って、
(05)により、
(06)
「~如」を「賢」に「置換」した、
(α)~∀x{師x→∃y(弟子yx& 賢xy)}
(β) ∃x{師x&∃y(弟子yx→~賢xy)}
に於いても、
(α)=(β) である。
従って、
(06)により、
(07)
(α)すべてのxについて、xが師であるならば、あるyはxの弟子であって、xはyよりも賢い。といふわけではない。
(β)あるxは師であって、あるyはxの弟子であって、xはyよりも、賢くない。
に於いて、
(α)=(β) である。
然るに、
(08)
師不必賢於弟子=
師不[必賢〔於(弟子)〕]⇒
師[必〔(弟子)於〕賢]不=
師は[必ずしも〔(弟子)よりも〕賢なら]ず=
師は、必ずしも、弟子よりも、賢い。といふわけではない。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
といふ「漢文」は、
① ~∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
② ~∀x{ 師x→∃y(弟子yx& 賢xy)}
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(10)
① ~∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
② ~∀x{ 師x→∃y(弟子yx& 賢xy)}
といふ「述語論理」は、
① It is not always true that students are inferior to their teachers.
② It is not always true that teachers are superior to their students.
といふ「英語」に、相当する。
従って、
(10)により、
(11)
① ~∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
② ~∀x{師x  →∃y(弟子yx& 賢xy)}
といふ「述語論理」は、
① that students are inferior to their teachers.
② that teachers are superior to their students.
といふ「内容」に対する、「部分否定」である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
といふ「漢文」も、
① 弟子不如師=弟子は師に及ばない。
② 師賢於弟子=師は弟子よりも賢い。
といふ「内容」に対する、「部分否定」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
その意味では、
① 弟子必不如師。
② 師必賢於弟子。
といふ「漢文」も、
∀x{弟子x→∃y(  師yx&~如xy)}
∀x{師x  →∃y(弟子yx& 賢xy)}
① It is not always true that students are inferior to their teachers.
② It is not always true that teachers are superior to their students.
と「同様」に、
{弟子必不如師}。
{師必賢於弟子}。
といふ「語順」であるべきである。
然るに、
(14)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
ではなく、
弟子必不如師。
師必賢於弟子。
であるとすると、それぞれ、
が、「名詞(弟子)」を「否定」し、
が、「名詞( 師 )」を「否定」する。
然るに、
(15)
」は、「動作状態」を「否定」する。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
① 弟子不必不如師。
② 師不必賢於弟子。
に対する、
弟子必不如師。
師必賢於弟子。
といふ「漢文」は、無い。
然るに、
(17)
「不」が、「動作や状態」を「否定」するのに対して、
「非」は、「内容」を「否定」する。
然るに、
(18)
③ 不弟子必不如師。
④ 不師必賢於弟子。
だけでなく
弟子必不如師。
師必賢於弟子。
といふ「漢文」も、無い。
(19)
明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考えを身につけました。漢文論理的な構文をたくさん含んでいるからです。
(山下正男、論理的に考えること、1985年、ⅲ)
然るに、
(20)
① 弟子不必不如師=
① 弟子不[必不〔如(師)〕]⇒
① 弟子[必〔(師)如〕不]不=
① 弟子は[必ずしも〔(師に)如か〕ずんば]あらず=
① 弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
といふ「漢文(部分否定で、二重否定)」こそが、「論理的構文」の、「典型」である。
従って、
(20)
① 弟子不必不如師=
① 弟子は、必ずしも、師匠に及ばない。といふわけではない。
といふ「漢文訓読」こそが、
① ~∀x{弟子x→∃y(師yx&~如xy)}=
① すべてのxについて、xが師であるならば、あるyはxの弟子であって、xはyよりも賢い。といふわけではない。
といふ「述語論理」に、最も訳し易い
然るに、
(21)
⑤ 欲人之無惑也難矣=
⑤ 欲〔人之無(惑)〕也難矣⇒
⑤ 〔人之(惑)無〕欲也難矣=
⑤ 〔人の(惑ひ)無からんと〕欲するや難し=
⑤ 人が疑問をなくそうと願っても、それは難しい。
のやうな「漢文訓読」は、「論理的構文ではないものの、「典型」である。
従って、
(22)
⑤ 欲人之無惑也難矣=
⑤ 人が疑問をなくそうと願っても、それは難しい。
といふ「漢文訓読」を、「述語論理」に訳すことは、出来ない
従って、
(23)
「師の説(韓愈)」の全体を、「述語論理」に訳すことは、出来ない
令和元年05月14日、毛利太。

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