2019年5月9日木曜日

「千里馬常有」の「述語論理」と「雜説(韓愈)」の「有」の「語順」。

―「先ほどの記事」の「続き」を書きます。―
―「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html)。
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html)。
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html)。
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html)。
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html)。
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒

 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html)。
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)。
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)。
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。今となっては、どのやうなことを書いて、どのやうなことを書かなかったのか、ハッキリとは、覚えてはゐません。―
(32)
存在を表わす動詞として、古代語においても、「」と「」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、次のように全く反対である。
 A式 場所語―有―存在物
  例 机上書(机上に書あり)
 B式 存在物―在―場所語
  例 書机上(書、机上にあり)
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、346頁)
従って、
(32)により、
(33)
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
② 伯楽不常=伯楽は常にはあらず。
であれば、
① は、「マチガイ」であって、
② が、「タダシイ」はずであるが、
「韓愈(雜説)」の「原文」では、何故か
② ではなく、
① になってゐる。

然るに、
(34)
③ 臣弑其君者有之=臣にして其の君を弑する者、之有り。
のやうな「倒置」であるならば、
① 伯楽不常有 =伯楽は常にはあらず。
ではなく、
① 伯楽不常有之=伯楽は常には、之有らず。
になってゐても、ヲカシクはない。
然るに、
(35)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
等は、すべて、「名詞」である。
従って、
(35)により、
(36)
常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
だけでなく、
常有
の場合も、「名詞」なのかも知れない。
従って、
(36)により、
(37)
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
の場合も、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「名詞文」として、
④ 千里馬常有=千里(形容詞)+馬(名詞)+常有(名詞)。
といふ「語順」なのかも、知れないし、さうであれば、
④ 千里馬常有=千里馬は常有である。
といふ「語順」は、「漢文として、普通である」。
然るに、
(38)
「韓愈」自身は、
存在を表わす動詞として、古代語においても、「」と「」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、全く反対である。
といふことを、どうでも良いと思ってゐたのかも、知れない。
然るに、
(39)
仮に、さうであるならば、
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
といふ「それ」は、固より、
① 伯楽不常=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常=千里の馬は常にあり。
である。といふことになる。
然るに、
(40)
(ⅰ)
1  (1)∀x{馬x→∃y(千里xy)}    A
1  (2)   馬a→∃y(千里xy)     1UE
 3 (3)   馬a              A
13 (4)         ∃y(千里xy)  23MPP
  5(5)            千里ab   A
 35(6)         馬a&千里ab   35&I
 35(7)      ∃y(馬a&千里ay)  6EI
13 (8)      ∃y(馬a&千里ay)  457EE
1  (9)   馬a→∃y(馬a&千里ay)  38CP
1  (ア)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)} 9UI
(ⅱ)
1  (1)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)} A
1  (2)   馬a→∃y(馬a&千里ay)  1UE
 3 (3)   馬a              A
13 (4)      ∃y(馬a&千里ay)  23MPP
  5(5)         馬a&千里ab   A
  5(6)            千里ab   5&E
  5(7)         ∃y(千里ay)  6EI
13 (8)         ∃y(千里ay)  457EE
1  (9)      馬a→∃y(千里xy)  38CP
1  (ア)   ∀x{馬x→∃y(千里xy)} 9UI
従って、
(41)
(ⅰ)∀x{馬x→   ∃y(千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、xの千里である。
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(42)
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
といふことは、
(ⅱ)「馬の集合」の中には、「千里の馬」が、「必ずゐる」。
といふ「意味」である。
然るに、
(43)
(ⅱ)「馬の集合」の中には、「千里の馬」が、「必ずゐる」。
といふことは、
(ⅱ)千里の馬は、常に有る。
といふことである。
然るに、
(44)
(ⅱ)∀x{馬x→∃y(馬x&千里xy)}=すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、馬である所のxの千里である。
とするよりも、
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(千里馬y)}   =すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬である。
とする方が、「簡単(計算が楽)」なので、以下では、
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(千里馬y)}   =すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬である。
であると、する。
従って、
(28)(41)(44)により、
(45)
④ 千里馬常有而伯楽不常有=
④ 千里馬常有而伯楽不(常有)⇒
④ 千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∀x{馬x→∃y(千里馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)=
④ すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
令和元年05月09日、毛利太。

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