(01)
① 明日が晴れならば、釣りに行く。
とは、言ふものの、
① 明日は晴れならば、釣りに行く。
とは、言はない。
cf.
もしも明日が晴れならば、
愛する人よあの場所で、
もしも明日が晴れならば、
愛する人よそばにいて、
(もしも明日が、作詞 荒木とよひさ、作曲 三木たかし、唄 わらべ)
然るに、
(02)
その一方で、
② 明日は休みなので、釣りに行く。
とは、言ふ。
然るに、
(03)
①「明日が晴れ」であることは「未定」であるが、
②「明日は休み」であることは「確定」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
①(AがBである)ならば、Cである。
②(AはBである)ならば、Cである。
といふ「仮言命題」に於いて、
①(AがBである)に対して、
②(AはBである)とは言はないし、
①(AがBである)ことは、「未定」である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1) P→Q A
2 (2) ~(~P∨Q) A
3(3) ~P A
3(4) ~P∨Q 3∨I
23(5) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
12 (8) Q 17MPP
12 (9) ~P∨Q 8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 29&I
1 (イ)~~(~P∨Q) 2アRAA
1 (ウ) ~P∨Q イDN
(ⅱ)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P&P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q 2&E
2 7 (9) Q&~Q 67&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q ウエ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q エカRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(05)により、
(06)
① P→Q(Pならば、Qである)。
② ~P∨Q(PでないかQである)。
に於いて、
①=② であって、この「等式」を「含意の定義」といふ。
従って、
(06)により、
(07)
① P→Q(Pならば、Qである)。
② ~P∨Q(PでないかQである)。
に於いて、
P=AがBである。
Q=Cである。
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
①(AがBである)ならば(Cである)。
②(AがBでない)か、 (Cである)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
②(AがBでない)か(Cである)。
といふ「選言命題」は、
②(AがBでない)か、
②(Cである) か、といふ、二つの内の、
② 少なくとも一方は、「真(本当)」である。
といふ「意味」である。
従って、
(08)により、
(09)
②(AがBでない)か(Cである)。
といふ「選言命題」は、
②(AがBでない)でない。ならば、(Cであり)、
②(Cである) でない。ならば、(AはBでない)。
といふ「意味」である。
然るに、
(10)
②(AがBでない)でない。
といふことは、
②(AがBである)。
といふことである。
従って、
(06)(09)(10)により、
(11)
②(AがBでない)か(Cである)。
といふ「選言命題」は、
①(AがBである)ならば(Cである)。
といふ「仮言命題」に「等しい」。
然るに、
(12)
①(AがBである)ならば(Cである)。
②(AがBでない)か、 (Cである)。
といふことは、
③(DがBである)
④(DがBでない)
といふ場合については、何も、述べてはゐない。
従って、
(12)により、
(13)
①(AがBである)ならば(Cである)。
②(AがBでない)か、 (Cである)。
といふことは、
③(DがBである)ならば(Cである)。
④(DがBでない)か、 (Cである)。
といふことでは、決してない。
従って、
(14)
「聞き手」の側が、
③(DがBである)
と「誤解」してゐるならば、
③(Cでない)といふことが「確定」した場合には、
「聞き手」からすれば、「話し手」が、「ウソ」を付いたことになる。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① (AがBである)ならば(Cである)。
といふ場合には、
①{(DがBである)ならば}ではなく、
といふ「気持ち」をこめた上での、
①{(AがBである)ならば}そのときには(Cである)。
といふ「意味」であることは、「不自然」ではない。
従って、
(15)により、
(16)
①(AがBである)ならば(Cである)。
といふ場合には、
①(A以外ではない、AがBである)ならば(Cである)。
といふ「意味」であることは、「不自然」ではない。
然るに、
(17)
①(A以外ではない、AがBである)ならば、
と言ひたいのであれば、
①(A_Bである)ならば(Cである)。
に於いて、
① A_ を「強調」すれば良い。
然るに、
(18)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(18)により、
(19)
① Aが(濁音)
② Aは(清音)
に於いて、
① の「心理的な音量」の方が、
② の「心理的な音量」よりも、大きい。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
①(AがBである)ならば(Cである)。
②(AはBである)ならば(Cである)。
に於いて、
③ If A・B then C.
といふ「仮言命題」として、「ふさわしい」のは、
① であって、
② ではない。
といふ、ことになる。
令和02年02月24日、毛利太。
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